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恥ずかしいとか残念に感じるのは、誰が何に対して?
ウチの子ったら、あんなことして。
-の後に「恥ずかしい」と、その友人はすぐ言う。
それはきっとその友人の口癖みたいなもの。言葉づかいを単にまちがえているだけで、友人は気持ちのニュアンスみたいなものがうまく伝えられていないだけ。そう言い聞かせてきた。
自分の子供が思わぬ言動を披露してしまった時。それがかわいいと思えるものでもない時。周りにマナーに反するものや人を傷つけるものでもなく、単に恥ずかしいとしたら。それは親である自分の感情であって、それをむやみに子供に投げつけるのは、子供の心を傷つけるのではないだろうか。子供が恥ずかしがっていようと恥ずかしくなさそうであろうと、親の恥ずかしさを共有するべきとは思えなくて。
だって親の「恥ずかしい」は、世間体だったり、そこまで広くなくても今周りにどう見えているかだったり。
「恥ずかしい」なんて、誰に対してそう思うの? 彼女の話を聞いて内心わいてくる気持ちを、打ち消そうとがんばってしまった。
子供に付き合っている相手ができたとその友人に聞かされた。
楽しそうな話だなとウキウキしていたら、話の雲行きがあやしくなってきた。
相手はそんな悪い人じゃなさそうなのに、何をそんなに怒っているのと聞いてみたら。
どうも、子供の相手が、私の友人である母親に対して、納得のいく対応ができないからだというのがその言い分。
納得のいく対応とは、こちらが何かを申し出た時に遠慮したり、こちらが気分悪くならないように会話したりすることだそうだ。
「子供にはガッカリした」
吐き捨てるように言った。
「恥ずかしい」と言ういつもの彼女のように。
夫と私が知り合い結婚したのは20代。
相手の気持ちを確かなものだと信じられながら、自分も大好きと思えた経験は初めてだった。その時は「大好きー!」な気持ちばかりで浮かれていた。そうは思っていなかったけど、今になって当時を振り返るとふわふわと楽しみ喜んでいた。
だけど余裕で悠然とかまえ、上手に親たちと渡り合い、しかもその親の個性に沿った、親たちの気に入る対応なんて、できるだろうか。今の年齢だから「浮かれていたなあ」と思えるのであって。当時、義母にさんざんなことを言われ、結婚後は両親にもたしなめられ、胃潰瘍になり病院通いしたと思い出す。
私は幼い頃から兄の褒め言葉を聞いて育ち、それらは自分にはない部分ばかり。結婚後もそうやって比べられて批判されてしまう。親の思い描くような私で、親の気に入るような夫婦でいなければならないのかと、取りつくろう言葉を積み重ねて暮らしてきた。
つい最近、「親に理解されないであろうことに、そんなにがんばって無理して、わかってもらおうとしなくて良いんだよ」という息子の言葉で、ずいぶん気持ちが解きほぐれた。その瞬間まで「親に失望されないようにしよう」と一生懸命だったことに気付いた。
親に「あなたにはガッカリ」って言われることを、どんなにおそれていただろう。親のそういった言葉がどんなに重たく自分の生き方を変えるかに気付いたところだった。
だから友人が「あの子にはガッカリ」と、強い調子で言った瞬間に強く反応してしまった。
そんなこと言わないであげてほしい。悪いことをしたわけじゃないのに。20歳そこそこの子供の判断は、まだまだ未熟かもしれないけど、それでも自分の意志や気持ちで選んでいる人なのだ。相手に明らかに困った問題点があるわけでもない。母親の立場である友人にとって「思った通りのふるまいをしない」だけだった。
少しくらい二人が浮かれていたって良いじゃないの。親の年代の人たちに対して、子供の世代がそんなに気を使って上手に会話しなくちゃ「ガッカリ」なの? 30歳くらいも年上の人に気遣いができないと「ガッカリ」なの? 自分は完璧なの? そしてその「完璧」はすべての人に当てはまると思っているの?
全部がまったくうまく言えない。代わりに涙がせり上がってくる。
どうにかこらえて、子供側の気持ちがわかるよと、過去の私の話をした。私も若い頃は今以上に、親世代にうまく対応できなかったし、親たちに言われたことで悲しかったり苦しかったりした。程度によってはしばらく話したくなくなった。その親の好みなんて、出会ったばっかりなんだしわからないよ。わかったところで上手に合わせられないよ。親世代に対して、完璧になんか対応できないよ。
「相手の親に遠慮ができないなんて、世間に恥ずかしい」
「親である私と上手に会話できないなんて、ウチの子は何であんな子を選んだのか」
彼女の思いを聞いて、彼女としばらく話をするのはやめておこうと思った。
どんな感情よりも、どんな理性よりも、私の心がただしんどい。
相手が自分の子供の心をもてあそんでいるわけでないのなら、傷つけるような人でないのなら、子供たちが成長していくのを見守る親でありたい。その後うまくいかなくなったとしても、子供には子供の生きていく世界がある。
「自分の子の良さがわかってくれる人がいてうれしい」と言える私になりたい。むかし父が、夫となる彼の存在を知って、母に伝えてくれた言葉。
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