言葉を交わすのは心を通わせる喜びだと、改めて気づく年末年始
落ち込んでしまう気分を奮い立たせるように、歩いてみたりする。
雪が降っていない日。霧が凍っているのか空気がキラキラしていた。
光る空気を写したかったけど、全然写らない。
空を見上げたらその青さにに驚く。
なんて澄んで深い青。
葉を落とした黒い枝は、新しい芽を待っている。
年末年始に思う。
リビングで並んでいても、それぞれの部屋でのんびりしていても。気配を感じながら過ごすのは、それだけが楽しみなわけではないんだ。
時々同じ時間を過ごして、言葉を交わせるからうれしいんだ。
誰かといても、心を通わせる喜びがあるからうれしいんだ。
自分のいる意義を寂しく感じるのなら一人でいる方がマシ。
だから私は話したい。ささいなことでも聞いてくれた昔を思い出して、私も話すようにしよう。試行錯誤を楽しもう。
おいしいね。良い匂いだね。面白いね。笑っちゃうね。今日はどうする? 昨日はどうだった? 困ったね。つまんないね。残念だね。つらいね。私は好きじゃない。私は嫌いじゃない。
声をかけるのは、今の時間を邪魔するためじゃないんだ。
これからの時間だって長いんだよ。
体調の良し悪しと自由に過ごすことは近いところにあるけど、ギリギリちがう。ギリギリなだけあって口出ししづらい。遠慮していると気が付いたら自由人に振り回されていて、なんでこんなに耐え続けなくてはいけないのだと悲しくなってくる。勝手に過ごすのを許容するのにも限界がある。
どうして爆発するまで耐え続けてしまうのだろうね。日ごろ、ささいなことと思ってしまうからなのだろうね。
今回の年末年始は、夫が長めに休みを取ったので、あれもこれも今までできなかったことができるかもと期待してしまった。
夫は忙しいのが日常でよく休みを取れずにいるため、休める日は好きなようにゆっくりしてほしかったから。その分、長めの休みが取れると私がうれしくなっちゃって。
なにしろ昨年暮れまでずーーっと私の体調悪くて多くが予定通りいかなかったのでそれも申し訳なかった。
息子が帰省しなかった分、二人の時間を楽しみたかったんだけどなあ。
元旦は二人で少し散歩した。でも午後には夫が疲れて寝しまった。
その最中のスマホの音と久しぶりの長く大きな揺れ。
新潟と佐渡の友達が気になり、準備していた一本目の投稿をためらった。でも皆さんと言葉を交わしたかった。
その後、ただダラダラ過ごした。
年末にあった残念なニュースのために楽しみにしていた数々の番組も全体的に楽しくなくなった。馴れ合いとかいじりとかハラスメントとか年齢差とか媚びとか気遣いとか思わせぶりとか。技術じゃなく、本当だとしたらなんて笑えないのだろう。
映画の時間に間に合うように夫が早起きできなくなった。平日休日関係なくずっと私より早起きだったので、長い休みの日くらい仕方ないかもしれない。
今朝は銀世界。と言うと素敵なのだけど、
見た瞬間に「ああ。今日も遠出はナシだな」と思った。
長時間の運転も疲れるし、車出すまでがまず時間かかって面倒。歩いてあちこち行けたら良いのに。田舎はこういう部分が不自由でならない。一人でどこか行く案も簡単に尽きてしまう。
よく歩くコースに、楽しみを見出した先日の写真を見返す。
林の横は、木々のためにしま模様ができている。
その少し横には杭の影のせいなのかチェック模様になっている。道路の模様じゃないのよ。影と光でぐうぜんできた模様。
霜がおりていて、葉をふちどっている様子が可愛い。
そしてタイワンツクバネウツギと呼ぶらしい植物。
先週から日常は始まっていたけれど、三連休があったからまだまだダラダラしていた。気持ちも張りがなく、夫も疲れていた。ことにする。よくわからない。
明日からまた自分を律して少しずつ自分を変えていく作業が始まる。
この前書いた抱負も、今下書きに置いていてきっとそのうち出すだろう抱負も、一年をかけて変えていくもの。来年の今頃に「あっようやく上手くいくようになってきたなあ」って思えたらそれで良いのだよ。
体調が時々戻る。動悸、頭痛、腹痛、便秘、ホットフラッシュ、安定しない精神状態、悪夢など、更年期はすっかり過ぎ去ったわけではない。焦るな私。
切り換えて、ペースをつかんでいこう。