何でもない私だから
何でもないことを無性に書きたい。
何でもないエッセイを。何でもない内容を。ただの思い出や懐かしさや心にある風景を。日常の会話やオチのない下らない話を。
先日体調が悪くて休んでいた間、ツイッターを眺めながらふと思っていた。
絵の上手な人が多いなあ。
いやちがう。絵の上手な人ばかりだ。
いやいや世の中は面白い漫画も素敵で可愛いイラストも上手な文章も面白い映画もカッコいいミュージシャンも笑える芸人も、山のように、本当に山のようにいるではないか。
いやいやいや素人なのに上手な人も山のようにいるではないか。
自分がなる?
いやいやいやいや。
……。
いやいやいやいやいや。
なんでしょうね。つい比べてしまうんだろうか。能力だけじゃなく人生を。
自分がそんな風になれば良いのかもしれないけど、頑張って目指そうとすると焦って結局「できない!」って絶望する自分に気づいたところなので、そこはゆっくり。好きなら地味に積み重ねていこう。
とりあえずはたくさんの作品に囲まれて幸せ。好きなら作るまでいかないと「ホンモノ」と認められないなんて価値観は当たり前のものとしてあるけど、観るだけでも良いよね。
マンガを読む。
美術館で作品鑑賞。
読書。
映画鑑賞。
音楽鑑賞。
お笑いライヴ観に。
知っていれば知っているほど好きの強さも比例しているように言われる価値観だって当たり前のようにあるけど、すべて覚えていなくたって好きって言ったって良いよね。
人と対抗して優劣つけるために「好き」って言うんじゃないもの。自分の人気取りのために注目浴びなくても良いんだもの。
ネットが発達して、物の価値基準だとか人と比較する機会だとか増えすぎて、私にはその感覚に疲れてしまう時があるよ。
ツイッターで高校生が「MCUの○○を観た初心者です」と書いていて、その人が少しずつ映画を観ながら書く感想を追っていたけど。それが盛り上がりすぎた時に、スンと気持ちがさめた。
最初は新鮮な感想に盛り上がる皆を「もーみんな好きなんだからあ~」なんて微笑ましく見ていた。なのに感想につくコメントが段々マニアックになってきて。こういうところがより楽しめるとか、あの場面はああいう意味なんだとか、こういうイースターエッグがあるんだとか。
なんだかもう少し見守ってやれないものかと思ってしまった。
自分で味わう時間とか発見する楽しみとか後から知って「ああそうだったんだー!」って気づいたとか。あるじゃないそういうの。
まあでもそういうのじゃなくて仲間がほしいから、人それぞれで良いのだけど。
私が疲れてエネルギーがないだけなのかも。
世の中、「意味付け」にあふれ過ぎている。みんな頑張っているし、みんな感心する上手な文章を書く。心ときめく絵を描く。そんな風に出来上がった物を発表する。
もっと自由に。このことについて書きたいんだなとわかるようなものでなく、自由に感じ取られるような詩を読みたいし、あっちからもこっちからも楽しめる漫画も楽しい。なんだろう。そのものズバリも爽快で気持ち良いんだけど、最近誰もが表現できるようになっているから、時々くたびれちゃう。
なかなか自分の思うようなものにはありつけず、フォローしている方々は私が好むものだから楽しんでいるけれど、いっそ自分が書けば良いんだと「何でもないもの」を書く。
当然何でもないものや自分が感じたことのないもの、想像の及ばないものには反響は少ないけれど、そもそも私の人生って、何でもない。
私にとっては全力で駆けてきて、今ヘトヘトで息切れしているから休憩している。
でもこれまでだって周りに見えるのはさほど激動でもないし、語れるほどのものもない。そして何より一番見られているのが「今の自分」。今の自分は休憩中なものだし、ほんと笑っちゃうくらい何でもない。
休憩中の私は更年期で、休憩中=凪ではなく、まあまあマイナスの位置にいる。
ヘトヘトな私には意義ある内容はかなりしんどい。
だから何でもないことを書きたい。
どうぞ。お好きなようになさるのが良いですのよ。
と以前の私は思っていたけど、何だかこれで良いのかちょっと自信がないのであえて大きな声で訴えてみるのだ。
これからも何でもないことを書くぞ!