親にも子供にも豊かな体験だったんだろうな~キャンプの思い出~
もうずいぶん前の話になってしまう。
息子が小学生になった辺りから中学生になる頃まで、夏になると毎年キャンプに出掛けたものだった。川岸にタープ張って日帰りキャンプ。そして山の湖のほとりへ泊まりキャンプ。
車を1時間くらい走らせて山の中に行けば、真夏でもエアコン要らずの避暑地となる。
***
息子は生き物に興味のないタイプだった。
夫も私も、息子を知ってから、子供に対する考え方がずいぶん変わった。
幼少期の私は、兄の友人たちと公園に虫捕りに行ったものだった。住宅事情や家の方針で金魚やメダカしか飼えなかったけど、ペットを飼うことに憧れを抱いていた。
夫は小鳥を飼った経験があり、息子ができるまでは二人でハムスターを飼って可愛がった。今も近所の犬を愛で、ネットや漫画の猫に癒されている。
こんな二人だから、息子のようなタイプがいることに驚いた。息子にはそういう心がないのかと、少なからず落ち込んだこともある。他の家庭の子供を羨んだことも数知れず。
大小関わらず動物であれ植物であれ、何かを育てることにも全然興味を示さなかった。私はすっかり虫が苦手になってしまったけど、同じく「苦手」と言っている親でも、その子供が勝手に捕まえてきた話を聞くと、それがぞっとするような話でも羨ましかった。
息子は金魚すくいの金魚に目もくれない。公園で見つけたアマガエルにも、アパートをウロウロしていた猫にも、興味を示さない。
いっそ水族館や動物園や博物館へ、知識先行でならどうだ。と試してみたけど、館内や敷地の広さに喜び走り回るばかり。
生き物の図鑑に興味を示してくれたと喜んだら、その生き物自身より、大きさとか重さとか数字ばかり覚える。寝る前に「読んで」と持ってくるその図鑑の数字ばかり読み上げさせられる。「○○(植物の名前) ~~メートル」とか「○○(動物の名前)時速~~キロくらいの速さ」とか延々と数字を読み。うっかり「大きいねえ」とか「速いんだね」なんて言おうものなら、その数字に段々と興奮してくる。寝る前だから、こちらもできるだけ棒読みで感情を抑制して読まなければならない。読んでいるこっちが先に眠くなるんだよ。
親が何かを楽しむことは、子供にとって一番手っ取り早く楽しみ方を知る方法となるだろうと、思いつくあらゆる手段を取ってみた。
でもそんな簡単なものじゃない。周りで見られる子供みたいにならない。こうしたらこうなるよ、なんて教科書や育児書通りにもいかないんだ。
息子は自分がやりたいと思うものでなければ頑なに試そうともしない。
こんなで大丈夫なのか。不安でいっぱいだったけど、息子が本来持っているものもある。
息子は友達に対してドライでもあったけど、大好きな子と苦手な子とが自分の中でハッキリしているようだった。自分が苦手でなければ、周りに避けられるような子でも声をかけ、一緒に遊ぶのに抵抗もないようだった。自分の好きな友達が意地悪を言われると、息子が口をはさんで守っていた。
そのくせ自分が意地悪なことされても泣くだけなので、「言い返さないの?」と聞くと「嫌なこと言われたらどんな気持ちがするか知ってるのに、どうして言い返さないといけないの?」と言っていた。
息子の中には、身近な人に対する優しさがもう充分にあるのだ。あるものを育てよう。ないものを求めようとすると息子を苦しませるのではないか。そんな風に思えるようになったものの、きっぱりその考えにまい進できるわけでもないのだけど。
夫が何故突然キャンプに目覚めたのか、そう言えば改めて聞いたこともないからわからない。夫は子供に自分の好みの何かを、お前も好きになれと押し付けるタイプではない。単純に「子供とキャンプを楽しんでみたい」願望があっただけだろうと想像する。
でも少しは、息子が自然に興味を持ってくれたらって希望はあったんじゃないだろうか。
少なくとも私は、まだそんな希望を捨てられずにいた。
生き物に興味を持ってくれたらなあ。自然を観て心を動かされる経験や記憶を刻んでほしいなあ。
***
夫の育った家庭は、幸せとはあまり言えない風だった。
父親は大のアルコール好き。仕事が休みの日は明るいうちから飲む。母親と喧嘩をする。母親は当時幼い夫とその弟を連れて、何時間もかけて実家に戻る。一度や二度ではなかったそうだ。
洋楽に目覚めたのはラジオのおかげらしいが、ラジオが好きなのも、深夜に喧嘩の声を聞きたくなかったから。
朝起きたら、喧嘩をした母親が家族を置いて家を出てしまった後なんて時もあり、「家にいるよりマシだ」と泣きながら学校に向かう日もあったらしい。
そんな夫にとって夏休み。父親も仕事が夏休みの日。朝からアルコールを飲む父親。彼が飲むと、どういった様子か私も少しは知っている。「あんなでも、昔よりは全然マシになったんだよ」と夫は言っていた。
数年前に亡くなった義父は、やはり肝臓の病気が深刻だった。
***
息子が2歳頃になって、ひどかったかんしゃくがもっと激しいものになると、私が精神的に追い詰められて、何度も夫に救われた。
ただ言葉が話せるようになってきた息子に対し、夫が自分のイライラに支配されているように見える時もある。激しいものとして表出するわけではないのだけど、感情はトゲのある言葉として漏れ出てしまう。様子がおかしいなと私は感じ、そのように伝えていた。
そのうち私の自律神経失調の症状が強くなり、その症状について心療内科で話し、カウンセリングルームで家族関係について聴いてもらうようになった。親子関係の本をむさぼるように読み、重ねていくカウンセリングで、その深いところを知るようになる。私は私の親との関係を考え、息子を心配し、自分がどのような親になりたいかを改めて考えるようになっていった。
そんな話を夫にするのを、夫は興味深く聞いていた。そして夫もその度に考えていた。
「そっか。父親を嫌いって言ったって良いんだ」
「僕がこんな風に考えるのは母親にも原因があったんだ」
など自分で気づきを得て、時々言葉にしていた。
子供ができて4年ほど、結婚10年ほど経っていたけど、初めて聞く話が多かった。
そんな風に互いに会話を重ねながら落ち着いていき、それでも「そんなことでイライラするのか」と思う時はまだあった。私と喧嘩になる時も。
喧嘩になるのは大抵、夏休みの時期。
ある年、「子供の頃の夏休み、どう過ごしていたの? 面白くなかった?」と聞いてみたら「面白くなかったよ」と、昔の話をしてくれた。
夏休みになると、どうしても父親の影がちらつく。夫はその思い出を頭の片隅から振り払えず、家族で密着していると疲弊してくるようだった。
夫は結婚して子供ができてから、自分の幼少期を思い出しはすれど、何とか楽しいものにしようと努力していた。
息子が話せるようになってからも息子の言葉に耳を傾ける。積極的に息子と一緒に遊び、夫自身からの言葉も多く、温かく、根気よく接し、誠意のある父親でいてくれた。だから私も息子と接する時の愚痴を聞いてもらい、息子の相談をした。息子もお父さん大好きな子になっていった。
でも努力するからこそ、うまくいかないとムッとしてしまう。
家族でキャンプに行き、終始3人で作業をしていると、確かに互いの至らない部分が目に入ってくる。
身体や手先を動かすのが苦手な息子も、時々うまくいかない自分を卑屈に感じているようで心配だった。
夫も私も、特別に器用ではないけれどそれなりにこなすなので、息子の「できない」場面に戸惑ってしまう。
「まだそんなにできないよ」とかばってみるけれど、息子も息子で「手伝いたい」気持ちと行動がちぐはぐで、夫がイライラするのがわからなくもない。
でも息子は自分からキャンプに行きたいわけでもなかったから。連れてきている私たちも考える必要があると思った。
少しもめる度にお互い考え直し、葛藤し、自分たちのやり方や考え方を省みる。
***
息子はどんな気持ちでキャンプに連れられて行ったのだろうか。息子が高校生の頃に、ふと気になった。
そもそも私自身もどうだっただろうか。当時を振り返ってみる。
キャンプ地に着くと、テントの設営から始まる。涼しくたってさすがに汗だくになり、近くの温泉に入りに行く。その後、元北海道民である夫お得意の、七輪でのジンギスカンが始まる。その間の私はほとんど何もしない。夫が炭火をおこし、次々と食材を焼いて様子を見てくれる。皮が付いたまま焼いたトウモロコシなんて、こんなにも香ばしく甘いのかと驚く美味しさ。
食べ終わり洗い物も済ませると、小さなキャンプファイヤーを眺める。心が癒され、時の経つのを忘れる。静かな落ち着いた雰囲気の中、息子が急に伝言ゲームをしたがって、たった3人なのに変な風に伝わっていてお腹を抱えて笑う。
寝る時間になっても、クタクタな息子がテントの中で興奮状態になる。赤ん坊の頃から変わらない。どんなに身体が疲れていても頭が興奮していると息子は全然寝てくれない。参ったなあと思いながら私は夢うつつとなる。
クッションがあってもちょっとした傾斜やゴツゴツした地面が気になって、浅い眠りのまま朝早く目がさめてしまい、テントの外に出る。周りにはもう起きている人たちもいて、ウロウロしていたり朝ごはんを食べていたり。私は一人、テントの外に建てたタープの下で椅子に座る。
ああ今回もよく眠れなかった。夜中のトイレも怖いし。疲れたな。
そんな風に思いながら、ボンヤリ目の前の湖を眺める。
そばの木にはゴジュウカラやコゲラがそわそわと動いており、可愛い鳴き声をあげている。少しずつ頭がスッキリめざめてくる。
しばらくすると夫が起きてきて、「ゴジュウカラがいたよ!」と私が知らせるのをちょっと眠そうに「良いな。見たかったな」と木を見上げる。
それから静かにバーナーの火でホットサンドを焼き始める。横で私はフルーツを洗って皿に盛る。
私にとってはキャンプの間で一番幸せを感じるひと時。
早朝の湖畔。
涼しく静かな風が肌に心地良い。
大自然の中の朝食。
こんがり焼いたパンからチーズがとろーんと伸びる。
美味し~い!
気持ち良い~!!
湖に向かって叫びたい気持ちを、そっと脳内で反響させ、かみしめながら朝食を味わう。
時にはそこから、目の前の湖でカヌーに乗って湖面をウロウロした。カモの親子が散歩していることもあり、鳥好きな夫が喜んで眺めたり。
身体に多少の疲れを感じつつ、やっぱり一番のご褒美は自然の景色だ。
高校生になった息子に「キャンプした時って楽しかったの?」と聞くと、「楽しかったよ」と言う。
「父さんや母さんの押しつけもあったと思うしさあ。○○(息子)にとってはどんなことが楽しかったの?」
と聞くと、
「ウーン、何だろう。……何かって言われるとよくわからないよ。でも楽しかったのは確かなんだよなあ」
思いを馳せている風に遠くを見ながら、覚えていることの答え合わせを私と始める。
他の旅行や帰省と違い、自分たちでテントを設営するなど協力する場面が多いキャンプでは、お父さんがイライラする瞬間があったと息子も感じていたようだ。
でも。
賑やかにお喋りしながら温泉に行ったこと。積極的に食事の支度をしたこと。それが美味しかったこと。ちっちゃなキャンプファイヤーや花火をして「キレイだね」と静かに時間を過ごしたこと。花火の煙に鼻炎アレルギーを起こすお父さんがくしゃみを連発していたこと。伝言ゲームをして大笑いしたこと。テントの中でお喋りしながら眠ったこと。大自然の中で涼しい朝を迎え、お父さんがカモに喜び、お母さんがゴジュウカラを見たと興奮していたこと。キャンプ地の管理人さんがザリガニを見せにきてくれたこと。カヌーを漕ぎながら湖面や周りの山を眺めたこと。
全部覚えているよと話してくれる。
一つ一つの記憶と、その中で起きた感情それ自体が息子にとって楽しかったのかもしれない。
息子は大学生になった今も、生物がめっぽう苦手らしい。物理や化学や数学は大好きで目をキラキラさせて話す。それをどう生かしたら良いのか模索中。
でも一緒にテレビを観ている時に動物が出てくると「可愛いね」とニコニコして眺める。
虫で大騒ぎしてしまう私にニヤニヤしながら「お父さんや僕がいない時どうするの」と半分心配もしながら対処してくれる。
大自然を「すごいね~」としみじみして眺める。
スキーが苦手な私に対し、夫と「お母さんに山の上からの景色を見せてやりたいよね」「キレイなんだよ~もったいないね~」と話す。
キャンプを楽しんだ何年かは、息子にとって豊かな体験になったのかもしれない。わからないけど。そうだったんじゃないかと信じている。そしてきっと夫にとってもね。
※過去に書いた幾つかの記事をまとめました。