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40年来の友と4年ぶりに
中学一年生の時から仲が良かった彼女とは20代半ば、ニュージャージーで彼女が場所を分けてくれて一緒に住んだ。
元々招待してくれていた人が、ある日とつぜん「やっぱりダメ」と言ってきて、ひどく落ちこんでいたところへ彼女が提案してくれたのだ。「家賃も変えずに二人で暮らして良いって大家さんに許可もらったから、一緒に住もうよ」。
夫となる彼を、着いてすぐに紹介してくれたのも彼女。
何回目かのデート後、「彼には、性格の良い子がいっしょになってほしいねん」と言うので、「ひどい。私じゃアカンてことね」と思っていたら、後で「かせみちゃんが良いんちゃうかなって言いたかった」と笑っていた。
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その友人については何度かここで書いたことがあるのだけど、彼女も幼少期にニュージャージーで暮らしていて。
それを互いに知らずに中学一年生の時に、私たちは出会う。
「帰国子女って孤独だったよね」は、気持ちをつなげるきっかけにはなったけど、それとは関係なく彼女と私はフザけるのが大好きで。彼女はしょっちゅう身体を折るようにして、私はヒザからくずれ落ちながら、お腹を抱えて笑っていた。
クラスが変わっても廊下ですれ違うといちいち意味もなく、目が合うだけで大笑いする。そんなお年頃。
被服の時間で一緒になると、二人で勝手に窓の外に向かって並び、課題の浴衣などを縫ったものだった。それ自体より、フザケて笑っているので、先生によく注意された。
皆に人気のある子で休み時間などは少し距離を置いて見ていたけど、卒業しても連絡を取りあった。当時はスマホもネットもない時代なので、手紙のやり取り。
少し手紙が途絶えたと思ったある日、地元の自動車教習所の路上教習で、バッタリ会った。「あれ? Aちゃん!」「かせみちゃん!」「これからその車乗るん?」などと笑い合った。
私は大学が決まってもすぐには教習所に行かず、混雑しない時期をねらっていた。彼女の方は離れた大学で一人暮らしをしていたはずなので、何故今? ここで? と不思議に思って教習が終わってから話すと、大学をやめて、またニュージャージーに行きたいのだと言っていた。
事情を話さないからこちらも聞けず、しばらく教習所に一緒に通った。
免許を取ると、住所決まったら手紙を送ってねと念を押して、半年後くらいに手紙が来た。
時々送ってくれるから、その度に私も自分のことをたくさん書いて返事として送った。
大学四年生の頃には、私も就職活動を投げ出して夏休みにニュージャージーに行き、彼女にあちこち案内してもらった。そこで、就職するよりお金を貯めて私もニュージャージーに暮らすと決めた。
彼女もあらゆる思いを抱えてのニュージャージー暮らしだったのだけど、私も15年続いた目の前の膜が晴れていき、ようやく心と体が一緒にある感覚を味わった。長い間、私は軽い離人症と共に暮らしていた。
大学卒業後はケーキ店でパートで働いたり、我慢できずにまたニュージャージーに行ったり、そのため費用が足りずにけっきょく事務の準社員として働いたり。
24歳のころ。3か月の観光ビザしかおりなかったけど日本語講師の勉強も兼ねてとにかくニュージャージーに向かった。
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ルームシェアは、元々仲の良い子同士でしない方が良いと言われるように、関係を保つのはやはり難しかった。私が彼女に甘えてしまうし、彼女は私のために精一杯がんばろうとしてしまうので、彼女が疲れてしまった。
私は日本語講師講座も修了するため通いたかったのと、彼と離れるのもつらかったので、観光ビザで繰り返しニュージャージーに行った。
彼女は学業もあったためストレスがたまっていき、私は萎縮していくようになり、互いに良くないと思っていた。
それでも私たちは時々肩を指圧しあってしゃべったり、一緒にドライブ旅行に出かけて車の中で大笑いしたり、コインランドリーで洗濯機を回している間にダイナーで語ったり。何度も「また楽しくやっていこう」と思い直せた。
互いのイヤな部分を隠すこともできなくなって、それでもギリギリで仲が保たれていたのだろうと思う。険悪なムードや互いの失言を修復しながら、何とかこの関係をこわしたくない思いがあった。
私が結婚することになった時、彼女の住まいを出て行くことになって、彼女も私もホッとした。
ほど良い距離感がまた戻る。
挙式では、彼女とたった1カ月ぶりの再会を喜んだ。何をそんなにと思うほど彼女と爆笑している写真も残っている。
その年の暮れには友人たちを新居に招待する時、彼女とその準備を楽しんだ。
間もなく帰国したけどその後も彼女とは連絡を取り続けた。彼女は筆まめでないので、メールの存在があってありがたかった。
彼女は就職もし、10年ほどの月日を現地で過ごし定着していたのに、お父さまの病気で急きょ帰国。
札幌にも来たし、今住む土地にも遊びに来てくれた。私が手を振って迎えると、「かせみちゃん派手な色の服着てめっちゃ笑顔で手振ってるやんって思った」と身体折って笑いながら近づいてきた。
私も宝塚に行けばどこかで待ち合わせてしゃべった。
彼女も結婚して娘ちゃんができて、離婚。それから連絡が来なくなって、もどかしく待ち続けた。私からの連絡をいやがっていないか案じてもいたけど、私とは気質が違ってバリバリ働く彼女を応援し続けた。
何年かぶりに連絡が返ってきて会ったら、「離婚してほんとに良かったと思ってる。あの生活に戻りたくないもん」と笑う。
ニコニコすると目が三日月になる彼女は相変わらず可愛くて、少し大きくなった娘ちゃんの笑顔は彼女にそっくり。
それからまた宝塚に行く度に会った。
けど2020年からしばらく会えなくなる。
リモートでも一度か二度話したけど、彼女と私の時間の都合がつかない。
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4年ぶりの待ち合わせは自然なことのように思えた。
ただ互いに更年期を経て、体格や髪の毛など変化が大きいんじゃないか(特に私の)。互いのマスク姿を見たことがないし。待ち合わせそのものに心配があった。
ああでも。首から肩回りの姿勢や角度。そんなところでわかるものだ。
と思って一歩近づくと。
わっ。人違い!
笑顔の所在をどうしたら良いかわからないまま、その辺を右往左往する。
目が悪くなったせいもあって、人の顔がよく見えないのだよ。自分に言い訳しながらスマホに向かう。
「待ち合わせ場所に着いているよ」
連絡すると、しばらくして今度こそ彼女がこっちにニコニコ向かってきた。
どんなに久しぶりでもやっぱりわかるもんやねえ。
ってさっきニコニコ近づいていった人がちがってん! と言うとめっちゃ笑っていた。
そうそう。この笑顔。身体の折り方。
彼女が「いいえ、けっこうです」と店員相手に片手を振る時の手の特徴。
どこか指をさす時の指の反り方。
つい真似をしたくなって同じようにして見せ「なつかしい~!」と言うと、彼女はまた大笑いする。
お腹いっぱいになった私たちはその辺で座る所を見つけて、とりとめもなくしゃべりながら、しゃべらない時間も楽しむ。
30年くらい前、教習所の帰りにファストフード店で人波を見ながらおしゃべりした時間を思い出す。
「かせみちゃんくらいよ、こんなに大事なことからどうでも良いことまで話すのって」と珍しく言ってきた。ふだんあまり連絡し合わないので、そんな風に思ってくれているのかと今さらうれしい。
話題にも無言の時間にも気をつかわない。こんなことを言ったらどう思うだろう。誤解されるだろうか。そんな心配なく言葉そのものを受け取り合える。互いの言葉に裏もなければ、もうなるべく傷つけあいたくない。
だって私たち、仲が良かったのに一緒に暮らしてんよ。
感謝の気持ちも伝えつつ、当時の話にも花を咲かせた。
私の青春は、学生時代じゃなくて、Aちゃんとニュージャージーで過ごした日々やねんよねー。の言葉に「わかる。私もあのころやわあ」と彼女。
彼女はまたニュージャージーで短期間でも良いから暮らしたいと願っている。自分がストンと終わらせてしまった大切な日々の確認をしたいようだ。
そのために今をがんばっている。
私たちが出会ったころの年齢に娘ちゃんがなった。
彼女がニュージャージーで暮らし始めた年齢に、私の息子がなった。
なんかさ。
なんかわからないけど、すごいよ。
Aちゃんもう今年52歳やねんね。信じられへんわ。私も52歳やねんよ!
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