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過去の苦い経験も、いつかは自分の気持ちを救ってくれるよ〜ドタバタ移動〜
急な札幌行きだったので、飛行機は値段が高く感じて、新幹線やJRの特急列車を駆使することになった。
一度だけ新幹線と特急列車を乗り継いで行ったことはある。5年以上前だったかな。当時、座席がかたくて直角に近かった。めっちゃ揺れるやん! と思いながら乗ってしまい、揺れをしっかりと認識すればするほど酔った。
北海道は広いのだ。
道南と呼ばれる地域の函館から、道央と呼ばれる地域にある札幌は特急列車で3時間半くらいかかる。
それに引き換え、函館から南を通る新幹線は快適だ。座席も柔らかいし隣りとほんの少し余裕があり、多少リクライニングもできるし姿勢も苦しくない。揺れだって少ない。
それでも今回はいたしかたない。
覚悟して行こう。
ーと思っていたら、特急列車の乗り心地は改善されていた。
素晴らしい!
シートは柔らかく、少しリクライニングもできた。揺れはかなりあったけど、他のことに気を取られるようにして揺れに対する感覚を鈍らせた。
前からこんなんだっけ。私の記憶ちがいかもしれないと思うほど、時間はかかれどつらくなかった。
昔の記憶が薄れすぎていて、新幹線とJRの乗り継ぎ駅が「新函館北斗」という名前なのすら忘れていた。
えっ。函館じゃないんだ。
そう。函館駅はそこからもう少し南。
見慣れない「新函館北斗」の文字をまじまじ眺めてしまう。
こんな駅名だったのか。まちがっていないよね私。少し不安になるほど新鮮に思える字面。
新函館北斗駅自体は、明治時代からある駅らしい。大正生まれでその昔、新潟から一時、札幌で暮らした祖父も利用した駅なのかもしれない。
2016年に青森から北海道まで新幹線が通り、北海道内の在来線をつなぐ駅として利用されるようになったそうだ。
新幹線としては終着駅で、降りて札幌行きの特急列車に乗り換える。
在来線のホームに行くと、「◯号車の方は、黄緑色のメロンの位置でお待ち下さい」とか言っているように聞こえた。よく聞こえない。黄緑って言った? メロン? どの表示?? あと何だかアルファベットを言っていてよく聞こえないよー。上に果物だの動物だのの表示が描かれているけど、色の区別も微妙だし、なのに次々と乗車位置を指定される。
情報量が多すぎて何を伝えているんだかわからない!
列もあるけど狭いホームで、どこからどっちにつながっているのかわからない!
心配になって、あからさまに険しい表情をしていたと思う。「この辺? よくわからないな」と何となくたたずんで待った。
「新函館北斗」は私にとってまったく新しく、知らない駅に感じた。
そこからは思っていたより多くの駅で止まり、思っていたより多くの人が乗り降りする。最初こそ混雑していたけど、札幌駅近くになると意外と人は減っていった。何かと小さなトラブルがあったようで、ほんの少し遅れた。まあ少しは遅れることもあるよね。くらいに思った。
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帰りも札幌から新函館北斗に行き、そこで新幹線に乗り換える予定になっている。
そういえば新函館北斗からの新幹線は、青函トンネルを抜ける。真っ暗な時間がしばらく続くものだから、「おっトンネルに入った」とちょっとだけイベント感を味わえる。
帰りの列車は空いていて、斜め前にはスマホを熱心に見るお兄さんと、通路隔てた斜め前には缶ビールを飲みながらパソコンで作業をするおじさんがいた。
私の両隣りには誰もいなくて、ゆったりしたものだった。
車窓から海が見える。
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こんなに果てしなく思える景色が広がっていたんだ。ほぼ真下から始まる海が水平線まで続いている風景を久しぶりに見た。
曇っているけど穏やかだ。
晴れていたらもっと美しいだろうけど、これで充分素晴らしかった。
今回の札幌滞在で、息子の気持ちをたくさん聞けた。部屋も片付けたし、放っておかなくて良かったと強く思う。でもこれからどうしたら良いのだろう。
別れ際の息子は、しんどい感情をなるべく閉じ込めた結果、にがい表情になっていた。何度も思い出される。日々打ち明けてくれた気持ちは苦しいものばかりだった。
まずはたくさん話し合っていくしかない。それで少しは光に向かって歩いていけるのだろうか。息子のつらさを思うと胸が痛む。
ふと車内のアナウンスが聞こえた。
連絡事項は半ばを過ぎていて、駅の到着時間についてだけが聞こえた。
予定より遅れるのかな。行きも何かとトラブルあって遅れたもんな。時間通りには着かないのかもしれない。
この時、新函館北斗が終着駅だと思いこんでいたものだから、その先の駅の到着時間も知らせていたとは思いもよらなかった。
改めて新幹線出発の時刻を確認し、乗り換えにだいぶ余裕をもたせてスケジュールを組んでくれた夫に感謝する。
そうは言っても、降りる予定時間だった15分くらい前になると、ソワソワし始めた。上の棚に乗せたリュックにペットボトル飲料があるから飲み切ってしまおう。
立ち上がってペットボトルを取る。そう言えば上着も棚に乗せていたんだったと確認しながら。
トイレも念のために行っておこう。
戻ってくると落ち着かない自分のことが気になって、席にゆったり座ってみた。
何故か急に「早く青函トンネルを通らないかな」と思い始めた。
青函トンネルは新幹線に乗り換えてからなのに、真っ暗な時間をぼんやり待ち始めた。
札幌にいる息子を再び心配する。夫と友人に、自分の思いを書く。ほんのちょっとスマホに集中する。
ああ息子が前を向けるようになってくれたら良いな。私はどんな風に支えていけば良いんだろう。どんな言葉をかければ良いだろう。
斜め前のお兄さんは相変わらずスマホをいじっている。反対側の斜め前のおじさんはパソコンを広げて作業をしている。
新函館北斗って終着駅だっけ。終着駅だとみんな降りるんだよな。
ふと。
停車中の駅の柱に書かれた文字を読む。
「新函館北斗」
新函館北斗?
えっ。
新函館北斗って書いてない?
終着駅ではないんだっけ。
私。
新函館北斗で下りるんじゃない??
ガバッと立ち上がり、棚の上着をひったくる。リュックを棚から落とすように下ろしながら背負う。
周りから明らかに慌てているって丸わかりな、唐突に機敏な動きをして見せている。もう取りつくろってなんかいられない。慌てているわあの人と思われてかまわない。だって間に合わないもの!
スーツケースを引っ張りながら通路を走る。ガツガツかかとに当たるスーツケースをバタンバタン言わせながらドアに向かう。恥ずかしい! でも知るもんか降りるんだ私は!!
デッキに出た。
ドアは。
閉まっていた。
うそん……。
普段の私なら「あ~あ私らしいや。次の駅で下りなくちゃ。もう困ったなあ」となる。帰ってから笑い話にするんだろうなあと思いながら、これから控えているであろう面倒な作業を想像してウンザリする。
でもこの時は、直前に息子をめちゃくちゃ心配して頭をそれでいっぱいにしていたからか、急に泣いてしまいそうになった。そしてチケットを取ってくれた夫、仕事を終えて最寄りの駅まで迎えにきてくれる夫を思い、自分のふがいなさを思う。
何故か足の震えがガタガタと止まらない。
おぉ……どうした私。
涙目と、自分を心配するほどの震える足と指で、どうにか夫と友人にメールを送って、自分の動揺をしずめようとがんばった。
次の駅を降りると、かの有名な五稜郭だった。
有名だけど駅は小さいのだなと知る。
さっきの席のまわりにいた人たちは「あの人、結局降りられなかったんだ」と思っているんだろうな。スーツケースを引きながらホームを惨めに歩いた。
駅員さんに事情を説明すると、新幹線は一本遅れてしまいますがと、全部手続きして座席を取ってくれた。
わああん。ありがとうございます!!
何度も頭を下げた。
ホッとしてまた夫と友人に連絡をした。
夫には電話もすると、「どうせ仕事あるんだし、慌てて切り上げなくて良くなったから大丈夫よ」と言ってくれた。
電車を待ち、立ちつくしながら、のどかな駅の風景に救われる。
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昔、ニュージャージーで間違えたバスに乗って、あわてて降りたらとんでもなく治安が悪そうな場所だったと思い出す。
反対側の停留所からバスに乗るも、準備していた小銭はさっきのバスで使ってしまい、お札しかない。あちらのバスにはお釣りも両替機も乗せていない。小銭がないのだと運転手さんに言うと、「みんなに両替できる小銭はないか聞きな」と言われ、お札を見せながら両替できないか聞いて回った時間は地獄だった。そこからどうやって帰ったか記憶から飛んでいる。
あれを思えばこちらは天国だ。
駅員さんに「次の新函館北斗で必ず降りて下さいね」と優しく言われた私は、おつかいをまかされた子供のように、列車の中で「新函館北斗、新函館北斗」と何度も言い聞かせて、その字面を頭に思い浮かべた。
さすがに次の駅で降りた。
父は昔、大阪梅田から西宮で乗り換えるべき時に、通り過ぎて次の駅で折り返したのに、また西宮で通り過ぎてしまい、西宮を中心に電車を何往復もしたことがある。
当の父は帰宅後に話しながら笑い、話を聞いて家族で大笑いした記憶を掘り起こしてきた。そしてとりあえず次でちゃんと降りられた自分を褒めた。
こんな時、その体験を笑って話してくれた両親の記憶に救われる。ありがとう。
折り返して乗った列車は、新幹線との連絡が良いわけでもなかったため、新幹線はガラガラ。
乗り口でたった一人だったけど乗った瞬間、自分のスーツケースにつまずき、スーツケースの上に覆いかぶさるように転んだ。
さんざんだ。いっそ誰かがいて笑ってくれたら良いのにとすら思わない。
おばさんが一人でドサンと転び、わびしくドサドサ音を立てながら立ち上がる。
今度は高校生時代の修学旅行の時に、駅のトイレに並んでいる時の風景を思い出した。個室がたくさんある場合、今みたいに一列に並ぶ「フォーク並び」ではなく、当時はそれぞれのドアの真ん前で待機していた。すると鍵の閉め方が甘かったのか、おばさんのドアがゆっくり開いてしまった。和式トイレで横を向いていたおばさんが「アラやだ! エヘヘ」と小さく笑いながら片手を伸ばしてドアを閉めていた。
おばさんはその後、誰かに笑い話として話せただろうか。
トイレ中にドアが開くことを思えば、おばさんがスーツケースの上に覆いかぶさって転んだなんて大したことじゃあない。(※スーツケースのせいでつまずいたもののスーツケースの厚みが守ってくれたのでケガは全然なかったです)
最寄りの駅では夫が「遅くなったし晩ご飯食べに行こう」と提案してくれて、そこで「飲んじゃえ」とあおってきた。普段なら「いやそうは言ってもね」と体調を考えて飲まないのだけど、久しぶりにチューハイを一杯だけ飲み、夫と、札幌滞在中の息子についてや、これからについて、おおいに話した。
更年期症状はだいぶ落ち着いてきていたからか、その後もひどい疲れにはならず、こんな風に「あの時は大変だった」と振り返ることさえできている。
きっとこれらの経験も、いつの日か私を救ってくれるはずだ。
その後、苦しむ息子は、真下よりは少し前を向けるようになったと言っている。私はそのサポーターになるよ。いろんな出来事が思い出となって自分を支えてくれるからね。ポンコツな母さんがそれを保証するよ。
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