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日常を過ごす

 身の回りで起きているわけではなくたって、胸が痛み過ぎる。人の命が奪われるのはただでさえ辛いのに、人同士で何てことをと、打ちひしがれる。
 それでも祈り、考え、行動し、まだ考えるのをやめられない。多くのみんなが、自分はどうしたら良いのか考えながらできるだけ日常を過ごしているだろう。

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 あれとこれとを同じに考えるわけではない。だけど、すぐそばで起きていることではない出来事を、我が事のように思って気持ちがどうしても沈むものだよね。
 そんな風に思いを寄せるのができるのは「人」だからだよ。
 30年ほども前、20歳の頃に観た「想像力」についての番組を、いまだに時々思い出す。

 11年前の大地震の後の原発事故の時も、私は日常を送るのが怖くなっていた。物理的にもそうだったし、感覚的に戻るのも抵抗があった。
 それでも阪神大震災の時と違ったのは、身近な場所以外で日常が送られている様子を見ると、とても安心したことだ。私が大好きな奥田民生も、歌う直前に叫んでいた。「元気な僕たちが、日常を過ごして応援しよう!」みたいな言葉で、励まされた。
 どこかで人が歩き、車が走り、ミュージシャンが歌い、お笑い芸人が笑わせてくれて、子供が笑う。
 息子が毎週末吐かなくなる。

 きっとこの先に、それをまた手に入れられる。

 そんな風に思えた。


 当時は充分ネットも普及していたし、SNSだって盛んだったけど、今ほど皆が皆スマホで何でもってことはなかった。
 そんな時にツイッターのありがたさ、温かさにも気づく。

 息子が生まれる前後の約20年前から、私はゆる~く読み続けている「ほぼ日」の存在にも助けられた。

 夫が勧めてきたので読んだ、うるまとでるびさんの、妊娠から続く育児1コマ漫画日記が面白くて。
 他は、主に読者投稿ネタを読んだり投稿したりが私の楽しみ方。

 あまり熱心にあれもこれも読んで知っているわけじゃなく、日々上げられる「今日のダーリン」も、読んだり読まなかったり。へえ面白いと思ったり私は違う考えと思ったり。
 人それぞれだから、それでも良いんじゃないだろうか。自分と考え方違ったらムキになって批判する感覚は、私にはよくわからないよ。自分の生活の中で、どうしても関わらないといけないわけでもないでしょうに。

 いずれにしても、私にはすごく励まされる日もある。

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 東日本大震災の頃に、私たちの地域は、避難する人しない人で分かれた。原発についてわからないことが多すぎて情報に振り回された。目の前に広がっている事実は同じなのに、判断は分かれ、それぞれの気持ちが荒むのを感じた。

 阪神大震災の時も、避難するしないで、当時互いを責める雰囲気が少しあったけど、友達なんだからと受け入れ合う結果になった。
 そんな過去があったから、東日本大震災の時も私は判断の違いで知り合いや友達を分けたくなかった。
 でもあまりにも互いを受け入れようとしない人は、どちらの考え方であれ、話したって虚しい。無意識にでも頑張り過ぎる人は、人を許せなくなってくるからね。人を許せない人は、正解を求めて言い負かす気持ちになっているから、話そうとする側がただ消耗するだけになっちゃう。

 そんな時に、「どっちも正しい」で良いんじゃないかなって糸井さんは書いておられた。

 周りで互いを責める空気だけでなく、私たちは避難した自分、避難しない自分を責めたりもするのだ。過去に例のない事象だったから科学的にもわからないことが多くてどうにも仕方なかったのに。

 だから「自分で決断したことならそれで良いじゃないか」と励まされている気がした。

 絶望的な気持ちでアパートを出た時も、避難先の実家で罪悪感と疲労感と安堵とが混在している時も、当時のほぼ日「今日のダーリン」は、私の気持ちを落ち着かせてくれた。

 世の中で起きているすべての事象を取り上げる必要はないと思う。書き手が何を書くかは自分で判断するものだし、それをあえて書かない時もあるだろう。私など、取り上げたくても上手く書けないから諦める出来事、多々!
 今回だって現地の人たちの思いに、寄り添わずにいられない人もたくさんいるだろうし、そこを書くも書かないもどちらでも良いよ。

 3日の「今日のダーリン」を読んでいて、11年前を思い出した。

 糸井さんはこうなってしまったことを日々嘆いていらして、この日はその過程あっての思い。
 本当は全文素晴らしかったので載せたいけれど、権利の問題とか色々あるのかな。一部だけでも載せて良いのか切り貼りが大変失礼なのではと申し訳なく、こんなことして良いのか不安だけど、胸がぐわっと熱くなったので共有したい。

 いちばんあたりまえのことを祈っていよう。
 なにもできないということはない。
 たくさん生きる、という側に立っていること。
 どの人も、どの場所も、生きるようにいたはずだ。
 すべてを壊してやるという側に立たないこと。
 それはそうするものの心までも壊し切るよ。
 みんな、春を待つ花のように今日を生きていく

       -3月3日 ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」よりー

 できるだけ落ち着いて。歌も踊りもそのままにね。 


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読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。