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自分の子供が、思っていたのと違って良かった

 今日は風邪なのか熱が出てしまい、医者に行く以外は寝てばかりいる息子。今、高校生の彼は、機嫌の悪いこともまだまだ多いし、私をうるさく感じ、イライラすることもあるようで、言っていることを完全にスルーされていることもあるけど、穏やかな方だと思う。
 でも何度か書いてきたように、息子は0歳代から小学5年生くらいまで、かんしゃくが激しくて大変だった。想像していた子育てとは全然違ったし、「男の子ってこうだろう」という概念を、ことごとく覆されてきた。

 私には兄がいて、男の子ってこう、と思えるモデルが近くにいたはずなのだけど、「兄と妹」の枠を超えない。兄は兄だから、普通の男の子とは違うかもね~。てな具合に。
 ところが息子を見ていると、兄と似ているところもあったりして、ええ~そんな風なの?……確かに兄もそういうところあったけど、と戸惑う。
 当然、兄に似ているばかりではなくて、私の父や母だったり、私の祖父だったり、夫の父親や母親だったり、夫の弟だったり、もちろん何より夫や私だったり、色々な要素が感じられて、もしかしたら遠い親戚の誰かからのものかもしれないけれど、そういったものが混じっての息子のたった一つの個性だ。息子独自のものもあるだろう。そしてその性格に対しての育った家庭環境や社会的環境によって出来上がりつつある部分もあるわけで。

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 乳児期、子供って育児書や雑誌の通り育っていくものだと思っていた。違っても、ちょっと時期がズレるくらいなのかなと。でも全然違うところがある。母子手帳に書かれてある項目の多くは標準的な発達としてチェックが入るとしても、チェック入らない項目は、息子限らずみんなバラバラだ。だからみんな打ち明け合ったり相談し合ったりした。それでも「じゃあそれをどうしたら良いのか」ということはわからない。専門家に聞いても、特効薬みたいなものはない。なかなか不安は拭えない。
 ただ漠然と、「こういうものだろう」というモデルが自分の中にあったので、子供って、とか男の子って、こうなるはずと勝手に思い込んでいた。

 例えば食事。離乳食そろそろ始めるようだ、という時期から丸々二か月、息子は抵抗し続けた。一口入れると「ギャー!!」が続いた。毎度続くと泣けてきた。息子「ギャー!!」私「……(突っ伏して泣)」が、しばらく続いてしまいました。何がそんなにイヤなのかと。でも単に息子のタイミングの問題だったんですね。書かれてある標準より数か月遅れで、突然バクバク食べ始めた。しかも遊び食べみたいなものが我が子にはなかった。猛烈な勢いで食べるので「(食べるペース)早くない?」と友達に笑われた。プラスチックのエプロンには受け皿みたいな部分があって、こぼしてそこに集まった食べ物をすくって食べていた。でも食べ遊びがなかったのはラクだったかもしれないけれど、あれってよく言われているように、やっぱり必要なものだったと思う。息子は、食べ物をこぼすことが中学生半ばまで続いてしまった。当然、周りにも色々言われた。

 おもちゃの取り合いも、息子は加わらないタイプかな、譲る優しいタイプかな、それとも取る側かな、取られて泣く側かな。と思っていたら、息子は取った挙句、泣く、という、ちょっと私の想定を超えてきた。取られた子と取った子が両方泣いている。意味がわからないと思ったけど、取られた側の母親たちと笑うしかなかった。

 幼稚園に行ったら、行く前に泣くことはすぐなくなったけど、帰りに緊張がゆるむのか、バスや車を降りてから家の玄関まで号泣。帰るのがイヤなのかとツッコミ入れたいくらい。それを見て私も泣けてきた。でも幼稚園の先生方は慣れてらっしゃるようで「自分で無意識のうちに緊張しているんだと思いますよ」「お母さん見てホッとしているんですよ」と慰めてくれた。そんなものだから、行事の時に私が顔を出すと、必ず皆の前で難癖をつけて大泣きした。お泊り会の時も、終わってから親に向かって満面の笑みで駆け寄る子供たちと違い、息子は私の顔を見ると号泣した。幼稚園の先生方には本当に感謝している。私は再会で嬉しいのに息子だけ何故こんなに泣いているのかと、幼稚園からの帰り道、よく私も泣いた。

 CMで、お菓子や料理を一緒に作って楽しそうな親子を見るけど、息子はそういうことを全然一緒に楽しんでくれなかった。あらゆるやり方を試したけどダメだった。全然興味がないらしい。母の日だけは夫と一緒に何かしら作ってくれたり、一人で頑張ってみたりしていたけど、日常の中で一緒に物づくりを楽しんでくれるということはなかった。

 小学校に入ってからは、夫も私も運動はそこそこなので、それまで公園で一緒にたくさん遊んだことも含めて、息子はそれなりにこなすと思ったら全然できなかった。独特の動きをする、と幼稚園の頃から感じてはいたけど、そんなにもできないのかと。キャッチボールがうまくなりたいと言う息子に、喜々として夫と三人で始めたら、あまりにもボールが受け取れず、顔面でキャッチしていた。投げる方が恐ろしくなっていく。それに関しては泣くことなく、何とか上手くなりたいと頑張っていた。でもあまり上手くならなかった。

 宿題をいやがるとか、やらないでサボるとかも想像していたけど、ずっと一人で頑張っていた。私が横で見るのを全力でいやがって号泣するので、小学校一年生の時から一人で続けていた。しかもちゃんとやっていたようだった。でも進んで楽しんでやるというのではなく、泣きながら時には暴れながらやっていた。字や絵は極端に下手で、クラスの後ろに張り出された物を見るのが辛かった。でも本人は、そこまでは気にしていないようだった。

 他には、翌日の時間割の物を揃えることをいやがり、毎日飽きもせず30分くらい号泣してからでないとやらなかった。4年生くらいでようやく泣かなくなっても「いやだー」とグズグズするのは5年生くらいまで続いた。そんなことをいやがるのはまったく想定していなかった。

 友達たちとそれなりにつるんで遊ぶギャングエイジというのも楽しみにしていたけど、それもなかった。一人で遊びたい、なんならお母さんと遊びたいという気持ちが強く、5年生いっぱいくらいまで私は遊び相手をしていた。友達が誘いにくると自分で断っていた。

 ゲームが好きで漫画が好きで本も読んで、どれか何かを極めるとそれもそれで良いなと思っていたけど、ただただ好きなだけだった。
 化学や物理、数学への興味が極端に強かったので何か実験をするとか夏休みレポートを書くとかちょっと憧れたけど、息子はそういうことに興味があるわけではなく、それもまたただそういう本を読んで覚えては教えてくる、というだけだった。だからどうするとか極めるとか全然ない。ただ口を開くとそんな話ばっかりで、全然興味のない私はウンザリしたものだった。

 一度くらいはケンカして帰ってくることもあるのではと思ったけど、そんなものもなかった。イジメられることはあったし、私も何度も学校に足を運んだけれど、激しいものはなく、休み時間は好きな友達と静かに過ごしたり、時には他のクラスメイトと鬼ごっこしたり、なんというか、何をするにしても「典型的な何か」ではなかった

 中学生になったら、「俺」とか言い出して黙りこくっているか反抗心むき出しにしてくるかと思ったけど、それもまた違った。機嫌の悪い時や黙る時間は増えたけど、自分の葛藤を話してきたり、機嫌の良い時なんかはよく話してきた。つっぱったようなところがない。少しくらいカッコつけたってかまわないのに、そういうところも全然ない。
 
 すべてが私の想像外、規格外だったけれど、心掛けていたのは息子が自分の気持ちを言葉で表現できることで、そこだけは注意して接してきたため、息子は表現力豊かな子に育った。お年ごろになっても話してくれて、考えを聞かせてくれるのはとても面白い。好奇心も強いので、こちらの考えや気持ちを聞き出してくれることもある。

 何よりも、私が考えている「子供」と違うし、固定観念をことごとく崩してくれたことで、私が思い上がらずに済んだ「○○(息子の名前)は、お母さんの子供だけど、お母さんとは違う人間だから、説明しないとわからないことがたくさんあるんだよ」と幼少期から言い聞かせてきたことが、自分にそのまま返ってきている。

 息子は私とは違う。
 だから全然思うようになんかならない。
 でも子供ってそうあるべきではないか。
 親がコントロールするものではないし、思い通りになんかできない。
 行動だけではない。心の中や可能性は、想像の域を超えている。

 時々見聞きする。親の思うように育っている子。言うことをよく聞く子。聞けちゃう子。私は親の言いたいことを察して先回りし、聞けちゃう子だった。ただ自由な考え方で育ったために、なかなか面白い人生を歩んでこられたとは思うけれど、言うことを聞けちゃう子は、基本的に心に積もっているものが多くてしんどそうに見えてしまう。

 親として謙虚である姿勢を教えてくれたのは息子だ。「僕は一人の人間なんだよ」と教えてくれた。

 カッコ良くなくたって良い。子供も、親も、そして接し方や育ち方も。子供には子供の人生がある。そのサポートを全力でしていきたい。

 まだ子育て半ばで、この先も本当は心配と不安だらけだけど、今までだけでも思うような子育てではなかったこと、言うこと聞かない息子であることを誇りに思い、息子に心から感謝している。


#エッセイ #子育て #子供 #育児 #想定外 #覆される概念  

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かわせみ かせみ
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。