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「インクレディブルハルク」を観て

 おせち作りも済ませ、年越しそばも軽く食べて一段落の頃。大晦日はちょっとメニエール気味で、フワフワして仕方なく、休み休み台所に立ち、買い物は夫と息子に全部まかせて、いつも通りの掃除。でも何とか終わり、疲れた頃に「インクレディブル・ハルク」を観た。あまりにしんどかったため、首回りにサロンパス貼って、寝そべりながら観た。怖いシーンはあからさまに手で画面を遮り。でもそんな風に観たら、怖がりの私が力入らずに観ることができました。家でMCU(マーベル映画作品)観る時は、今度からもこれでいこうかな。

※以下、ネタバレあります。

 さて、初めて観た「インクレディブル・ハルク」でしたが、これも、マーベル展で少し情報を得ていました。主演俳優が「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」で観たハルクと違うことも夫から聞いていました。あの八文字眉で困った顔が愛くるしいマーク・ラファロではないということ。いやわかっていても

 「!!……だれ!……」

 の戸惑い。

 いやエドワード・ノートンなんですが。これも、順を追って観ていない私の先入観なのであって、そもそもこちらが先なのだ


 で、今回は、家族が出ない。だから家族の視点で何か書けるわけではない。

 ハルクの背景をマーベル展で観たけど、今回の映画では何も描かれていない。どうやら、生い立ち、背景は、もっと前に公開された「ハルク」の方が原作に近いもののようだ。それでも「インクレディブル・ハルク」は、スタン・リーの伝えたいことがダイレクトに伝わってくる。特に「アイアンマン」と続けて観ると、正義とは何か、平和を目的につくっていた物が戦争に加担していたことの怖さ。戦争によって失われるもの、戦争の虚しさ、争うことで芽生える復讐心の連鎖や恐ろしい背景について訴えたいのだろうということがよくわかる。

 ハルクに変身したブルース・バナーも戦場で戦う者たちの象徴だろう。彼は実験で、新兵器として使おうとされてしまうわけだけど、戦争という場所をこれで表現している気がしてならない。普段はそんなことないのに、戦場は人を「ハルク」にしてしまうのかもしれない。その証拠に、心から優しく穏やかな人と接する時、少しは我に返れるのだ。彼の真の心を信じる彼女、ベティの表情がとても美しい。

 そして、ハルクになった時の自分の見たものが、トラウマとなって何度もフラッシュバックで出てくるところは、戦争体験のある人の心そのものだ。戦場に行った人が、PTSDで苦しむ話は、度々耳にする。彼は途中、「制御ではダメだ。消し去らないと」というようなことを言うけれど、それを取り払うことはできないと、最終的には自分を何とか受け入れる形で映画は一旦終わる。

 アイアンマンもハルクも、自分のおこなってきたことが自分に返ってくるという皮肉が描かれている。「インクレディブル・ハルク」では「奴を作ったのは我々だ」というようなセリフがある。最近でこそ、家族や仲間を扱った内容が多いMCUだけど、初期作品は、スタン・リーの描きたかったものがもっとダイレクトに伝わってくる。フェーズ1の訴えてくるものを、私たちはよく心に留めておくべきだろう。


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読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。