失敗をよくやらかす
何かと失敗が多い。
失敗エピソードばかりで、その日せっかく会った友人を笑いっぱなしにさせて帰ったなんてことも時々ある。
きちんとしている夫に呆れられていると思う。最近は年のせいか、夫もちょこちょこ失敗をするようになり、温かく見守ることにしている。ようやく私に追いついてきたようだな。でもあまり落ち込み過ぎないでね!
人を傷つけてしまうような失敗はしないように気を付けたいが、日常生活の上での失敗に関しては、反省はするけど神経をとがらせないようにもしている。何故なら神経とがらせたところで失敗するからだ。神経とがらせている時点でストレスなのに、結局失敗してストレスだなんて、人生がしんど過ぎるのだ。身が持たない。神経とがらせて失敗しないなら、もうとっくになおっていることだろう。
大きな失敗をしでかす父と、小さな失敗をこまめにする母の、両方を引き継いでしまったようなので、しょうがないから笑い話で振り返って暮らすことにしている。それくらいしょっちゅう何かやらかしている。
小さなエピソードは、母だと思って手をつないだ人が別人だったとか、ランドセルを背負い忘れて学校の校舎に入ってから気づくとか、話に熱が入り過ぎて喫茶店のコップを倒して水をこぼすとか、トイレから出たらシャツだけでなくスカートの裾の一部までパンツに入れこんでいたとか、夫に話しかけたつもりで振り返ったら違う人だったとか、逆に周りに誰もいなかったとか、付き合っていた頃にコインランドリーにて夫のパンツが可愛くて「こんなのはいてるの?」と半笑いで広げて見せたら知らない外国人だったとか、もうキリがない。物をどこかに置き忘れるとかもしょっちゅう。
大きな失敗は、飛行機や電車などのチケットをなくすことですね。これはまあまあ落ち込む。それから誰もが呆れる運転免許、更新し忘れで二度取る、というエピソードだ。市内での引っ越しをしたら、面倒でもちゃんと届け出ましょうね。これは本当に笑えない。笑えないけど、二度目の教習所での体験はちょっと珍しいことが多くてその中のエピソードを笑い話とすることにしている。
車のことと言えば、似た車を開けようとしてドアに手をかけ、「あれ?開かない……そういえば、ウチの車の中にこんな物置いてなかった。……間違えた!」って話は聞くことがある。そんなの私からすれば、日常だ。日常過ぎてもう恥ずかしいうちにも入らない。それより自分の車がどこだったかと焦る気持ちの方が強い。
一度、夫と息子が、駐車場にとめてある似た車の方に歩いていったので、二人して間違ってやんの!と笑ったら、間違っておらず自分たちの車だったこともある。
こういう間違いが私だけではないとわかっているのは、実際に私の車の目の前でも目撃したことがあるからだ。「アラごめんなさい、間違えた!」と笑っているおばさまと出くわした。「よくありますよね」とおばさまとおばさんが笑い合う。みんなありますよね。あるあるですよね。
よくあるですね。と言ったのはシソンヌですね。
それがです。
私は間違えて開けようとしたばかりか、自分の車と勘違いして、人の車のドアをガッツリ開けたことがある。
衝撃……。
一人で出かけて買い物をし、駐車場に戻り、運転席のドアを全開に開けると、そこには見知らぬおじさまが、お行儀良く座っていた。咄嗟に目の前の状況が飲み込めなくて、似ても似つかないそのおじさんを「ダンナ?? いつの間にどうやってここに来て車に乗ったのかしら」と放心してしばらく眺めてしまった。
知らないおじさんと、おばさんである私は見つめ合っていた。
目の前の出来事がどういう意味かハッと気づいた時、私は息を呑んだ。「はっ!」と本当に声に出したと思う。「すみません!!」と言いながらドアを閉め、すぐとなりにあった自分の車に飛び乗った。さすがに恥ずかしすぎて誰かに聞いてもらおうとスマホを出して電話しようとしたら、先ほどまで見つめ合っていたおじさんの視線を感じ、こんなことしている場合じゃないのだと慌てて車を出した。
こんな具合に、私は失敗が多い。
体も軟弱で困るくらいだし、全体的にポンコツだ……と言いたいけど、「ポンコツ」と調べたら、クズでダメ人間の代表みたいに書いてあって少なからず傷ついた。多分今世の中で言われている「ポンコツ」はそこまでの強い意味はないはずと思うのだが、ちょっと辛いから自分でポンコツとは言わないようにする。
とりあえず、誰かに話して笑ってもらうことで、その気持ちを昇華させている。