30代に入る頃から感じる「大人になってきた感覚」は今も
こんな素直な気持ちを、こんなに楽しそうに歌うんだー。
何となくテレビを観ていると、Creepy Nutsが「のびしろ」を歌っていた。楽しいメロディーとリズムなのに、泣けてくる。
その年齢でしか書けない、その人の年齢に合った曲を聴かされると、どうも弱い。
10代で響く応援ソング。20歳前後に聴くラブソング。いつの時代もたくさん出ていて、それは何歳になっても懐かしい感覚だったり、忘れられない思い出だったりで、飽きもしない。だけど、それ以外の曲ってどうなの。私は、ミュージシャンが自分に言い聞かせているような曲も大好き。自分のために作って自分のために歌っている、もしかしたら自分にしかわからない歌詞なのに、大勢の人に響く。
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30代手前。ずいぶん前に過ぎ去った私でもよく覚えている。10代から20代に入る頃と確かに違う感覚。
20代に入る時は、大人になると思っていたはずだけど、30代に入る頃はそれまでと違う「衰え」を知り始めている。10代20代の、流行に敏感な時期から外れ始めている自分に気付いている。もう世間の中心じゃないんだなと。
多分、最初にそれを感じるのは20代半ばだ。少しずつそれを消化しようとし始め。そのうち、若い頃の「周りの目」とかそれこそ「流行」とかから解放されてきて、気持ちが自由になる。
自由になるって解放される感覚も味わえるけど、自分の気持ちを大切にできるようにもなってくる。
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2005年、34歳になる頃。「人生という名の列車」を聴いていた。
お笑い芸人ウッチャンの「内村プロデュース(通称「内P」)」という大好きな番組が当時あった。その番組内に企画があり、さまぁ~ずとTIMとふかわりょうの6人で、馬場俊英作詞作曲の歌を歌っていた。
当時平均年齢が30代後半のメンバーだったけど、番組の中で「もう若くない」と互いの衰えを笑い飛ばしていた。若手とは違う身体や反射神経のポンコツぶりが可笑しくて。私よりほんの少しだけ年上が多いメンバーでその時代の背景がわかる歌詞が多かったけど、何よりもそのゆるさに気持ちが救われた。元々身体の丈夫じゃない私だったし、そんなの笑って乗り切っちゃえば良いんだ。
この曲は特に皆の哀愁がよく出ていた。お笑い芸人たちそれぞれの個性も出ていた各パートの歌詞も良かったし、それぞれの歌心を感じた。
中でも
いつしか大人になりわかったことは
大人もみんな迷っていたんだっていうこと
拝啓 先生 あの頃 あなたも迷っていたんですね
前略 父さん母さん あなたたちもこの風に吹かれていたんだと
この向かい風に立ち向かっていたんだと
遅まきながら知った気がした
ここの歌詞はメロディに乗せて聴くと、頭が熱くなってきて視界がぼやけてくることが避けられない。
お父さんとお母さんは、自分にとってはいつまでも大人で親で人生の先輩。親にとっては、子供はいつまでも自分の子供。
でも親にだって同世代の友達はいて、子供の友達同士と同じように、大人の友達同士で喋って笑って。わからないことだらけで、互いに聞いたり頼ったり。迷いながら日々奮闘しているんだ。一人でいればただの人に過ぎないんだもの。本当は
ウソつかず 誤魔化さず どんなときも人に優しく 決して腐らずに
わかってるし気を付けてるし頑張ってる でも出来ないよ カトちゃん
と語り掛けたい。甘えたい。
私たちの世代は、ドリフ全盛期だったから。毎週土曜日にカトちゃんが「頭洗ったか」「歯磨けよ」って言ってくれるのを見ていた。子供に教えるのが大人だから。大人になったら、何でもちゃんとできるって思っていたよ。
30代の頃って、大人になって自由になったと思って、その自由を手に入れると、「すごく」強くなった気がした。だけど大人になり始めてから10年ほど経って40手前で気づく。そんなに強くもなっていなければ、人間できたわけでもない。何を日々、自分が正義とばかりに主張を続けていたんだろう。気づくことが成長なのかもしれないけれど。
そしてこのまま年齢を重ねていって、命の終わる時って気が遠くほど先なわけじゃないんだって気づく頃。そんなに時間はないのよ。って。
25歳の頃に奥田民生の曲をよく聴くようになった。それが1996年。ユニコーンから脱退した直後。ユニコーンの曲は、2009年に再結成してから聴きこむようになった。私は30代後半になっていた。
16年ぶりに再結成した後は、ライヴ映像も繰り返し観た。
再結成したライヴ映像で、解散直前の「すばらしい日々」を歌っている。1993年のその曲を聴いたこともあったけど、歌詞をしっかり追ったことはなかった。
ドラムの川西さんが先にやめていて、「すばらしい日々」の歌詞は、奥田民生が川西さんに書いたものだと言われている。本当の所はわからないけど、どう解釈しても良い。
再結成後、改めて歌詞を聴いて読んで、これを20代後半で書いたのかとその才能に惚れ直す。
僕らは離ればなれ たまに会っても話題がない
切なくもどこか明るいギターのイントロからこんなネガティブな歌詞を、哀愁あるメロディでこちらの心動かしてくる。気持ちの表現が、なんて素直なんだろう。
いつの間にか僕らも 若いつもりが年を取った
すばらしい日々だ 力溢れ
すべてを捨てて僕は生きてる
君は僕を忘れるから
その頃にはすぐに君に会いに行ける
当時この歌詞を聴いて、ユニコーンのメンバーたちの思いを感じて胸がいっぱいになった。この時期を超えて再結成したんだ。そしてこの曲を皆で演奏し歌っているんだ。どんな気持ちなんだろう。
でも50になろうとする今。この歌詞を聴くと、過去に出会いつながらなくなった人たちを思って、泣かずには聴けない。会わなくなる人を思い、でも会いたいかと聞かれたらもう会いたくないなあと思う。おそらくお互いに。もう充分やり取りして、互いをわかってこれ以上、イヤな思いをしたくない。これ以上、過去の思い出を汚したくない。これ以上、お互いを嫌いになりたくない。
でもそんな思いすら忘れたら?
こんな感情、若い時にわかっていただろうか。
少なくとも私は理解できていなかったな。忘れることを恐れ、忘れられることを悲しんだ。
だから好きも嫌いも混同しながら何とかつながっていたかった。
今、たくさんの大切なものも捨てて、忘れて。それでも素晴らしい日々なんだ。忘れても、いや忘れるから、会いに行けるよって。今の私だからやっとわかる。
30手前で感じ始める「大人になるんだな」って気持ち。40代に入る頃にすこーしずつ咀嚼して飲み込み始め。もしかしたら50代に入ろうとする今も地続きなのかもしれない。
あまり心の問題は感じなくなった。なくはないけど若い頃の自分と比べたら格段に少ない。30代に入る頃以上に自由になった気がするし、でも40前どころじゃない「時間ないぞ」を感じ始めてもいる。焦りはないけれど、それ以上に体の不自由さを感じ始め、年上の人たちへの尊敬の念が自然に沸き始めた。
子供の成長と同じで、「何歳になったから」とくっきり気持ちが分けられるわけではない。50代に入ろうとする私は「アラサーなんてわっかいっっ」と羨ましがってみても、実はあまり変わっていないんだよなあ。
サボり方とか 甘え方とか 逃げ方とか 言い訳のし方とか
やっと覚えて来た 身につけて来た 柔らかい頭
Creepy Nutsが歌っている。
ああそうそう。そういうの、若い頃はわからなかったんだよ。良い塩梅、良い加減で良いのがわかってくるよね。
でもね
嫌われ方や 慕われ方や 叱り方とか 綺麗なぶつかり方
もっと覚えたい事が山のようにある
それ、ずっと模索し続けるから。嫌われるのはやっぱりいやだし、慕われたいし、叱ると自分も疲れる。基本的に叱りたくないもん。でも叱らなきゃならないし、綺麗なぶつかり方もできないよ。覚えられたら良かったけどね、向き合う体力がなくなってきただけで、やっぱりあんまり変わってないのよ。
気づいているんだよね。「だらしない身体」にもなってきて、それに抗えないなあって。いやあれもこれもとやってみるし、遅らせられる老化だってあるだろう。でも外見より体調自体が気になっていくから、ダイエットだって見え方より、内臓とか体の不調とか不具合とかを改善するためにやらなきゃならない。
それも全部含めて、歳を重ねていくことって「そんな自分を受け入れていく」んだと思う。
そんな自分を受け入れて
のびしろしかないわ
と鼓舞する。きっとこのころから始まって、今も続いている。
「良い歳の重ね方を覚えられたら良いな~」。
そしてどうやら覚えられない、それが自分なんだな。ってわかっていくその気持ちに折り合いをつけるしかないのよ。
鼓舞する自分でさえも受け入れていくのが、大人になっていくってことかしら。
30代入っていく楽しみ。わかる。大人になっていく真の意味がわかっていく段階で。
私は50代入って行くのが楽しみでならない。
素晴らしい日々を思い返し、いまだのびしろを感じながら、人生という名の列車に乗って走っているんだ。
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