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話しかけられる隙を作っておきたい

 先生にどうしても言いたいから話しかける。
 忙しそうに「ちょっとまたね」と他の子供たちに呼ばれてその場を離れる。他の先生に話そうとするけど、また他の子供たちに気を取られて忙しそうだ。また別の先生に話しかけるけど、伝えたい内容がうまく言葉にならず、もごもごしてしまう。その先生もやっぱり忙しそうだからとえんりょしてしまう。

 とうとう泣き出してしまった。
 だれか私の話を聞いて!

 そこで目がさめた。
 ついこの間の夢。
 うまく話せない、その状況を伝えられない私は今でもいる。他のことに気を取られていると思うと遠慮して相手を優先させる自分も。そんな瞬間は確かに必要でもあるし、まったく遠慮のない夫や息子相手だと、むしろ気を遣わなさすぎてと申し訳なくなるほどの時もある。
 でも元々気を使いすぎるので、親や他人に対しては、遠慮の気持ちが過剰になると自分の気持ちがおろそかになる。

 子供のころから遠慮がひどかった。ニュージャージーでちゃんと自己主張していた時期でもそう。だって大人たちって忙しそうなんだもん。特に先生方ってずっと忙しそうよね。実際忙しいんだろうし。子供には「今なら大丈夫そう」って判断、むずかしいよ。だからずっと遠慮ぎみ。

 大人は、忙しいイライラした気持ちをいったん置いといて「どうしたの」と立ち止まっているだろうか。子供がうまく説明できなくても「じゃ時間ないから」とすぐ次へ行くのではなく「何か言いたいんだ」「話したいことがあるのね」と待っているだろうか。

 息子は大学生になっても、なんだかんだとおしゃべりするのが好きだ。
 黙っている時間も長いし、とりとめもなく話すタイプではなさそうだけど、時々自分の心にあるものを話しては議論したがる。
 前回の帰省時、それをさえぎってしまわなかったかとふと気になった。

 次のチャンスはいつ来るだろう。
 大人になるとじっくり話すチャンスはとっても減ってしまう。
 たくさん話したい息子だけどいつもってわけじゃあない。タイミングもあるだろうから、家族の間では話しかける隙を作っていたい。
 自分が「手一杯!」って必死の形相じゃないことも大切だし、そのため自分の気持ちが安定していることも大事なのだよなあ。



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かわせみ かせみ
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。