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話しかけたい200メートル

 「てっちゃんと結婚するんダ~」って。私は決めていた。5~6歳の頃。
 向かいの家に住んでいる日本人の男の子。おっとりしていて、マイペース。決して人を傷つけるようなことを言わないし、自分の思うように人を動かそうとか、強がるとかそういうところがなかった。
 穏やかだけど、好奇心が旺盛で、同じ年齢にしては色々な物事を知っていた。少なくとも私より。だから憧れて「てっちゃんと結婚する」と決めていた。

 でもてっちゃんは、全然私の方なんか向いていなかった。私の兄を慕って、兄にまとわりついていた。帰国時には、私もアッサリとサヨナラしてしまう。

 帰国してからは、文化に馴染むのに苦しんだ。辛い思いはあったけれど、そこからさらに転校するまでは、男の子たちと抵抗なく喋れた。むしろ男の子たちとの方が面白くフザけられて楽しかった。
 
 ただ一人。
 話せない男の子がいた。
 クラスは違ったけれど、家が近所で、下校の時に一緒になる。

 当時、子供の数が多く、下校時もたくさんの同級生と、大勢で賑やかだった。だけど、どうしてもその男の子には話しかけられなかった。近所だから遊ぶ、なんてもってのほか。

 初めての「ドキドキし過ぎて何を話したら良いかわからない」気持ち。

 他の下校仲間たちとバイバイして、タイミングさえ合えば、二人になる時間がある。その距離、ほんの200メートルほど。そこを一緒に歩くと、その子の家の前。「じゃあね」とか言ってお互いの家に向かう。私の家はさらに100メートルほど先。

 それまで賑やかに喋っていても、他の男の子相手みたいに話せない。その200メートルの間、無言になってしまう。さっきまでと態度の違う私に、イヤな気持ちがしていないかな。

 このドキドキは、結婚するって決めていたてっちゃんの時とは全然違う。心の中に何かがポッと灯る。それが胸の中で、そして頭の中で温かく感じる。ふわふわする。

 「これって好きなんだきっと」

 好きなんだとハッキリ意識すると、ますます何を話していいか思い浮かばない。

 二人きりになるのが怖くなってしまった。賑やかなみんなとバイバイした後、なるべく一緒にならないようにした。みんなが各々の家に入っていく頃、少しずつペースを遅くしていって、彼の背中を見ながら歩く。そうじゃなければ走って先に帰る。

 「避けるのしんどいな。どうしたもんかな」。7~8歳の私には何の知恵もない。でもある日、ふと思い出した。「○○君て、最初‘○◎君’、て聞き間違えて覚えていたんだよな」。

 そうだ。そのことを話そう!!
 二人きりになるあの時に言おう。

 ものすごいことを思いついたように、私はウキウキした。

 そしてタイミングが合う瞬間ができた。みんなとバイバイして、あの200メートルを並んで歩く。今、言わなくちゃ。


 「○○君てさ、最初‘○◎君’、て思ってたんだよ」

 さっきまで賑やかだった自分を思い出すように、大きな声で言ってみたつもりだった。でも聞こえてきた私の声のは、鈴をちょっと鳴らしただけのような高くて小さい声。緊張と恥ずかしさにあふれていた。
 彼は「ホント?」と言ってから、ふふふと笑った。

 実は今の私、初恋の彼の名前を覚えていないのだ。本当の名前も。間違えて覚えていた方の名前も。
 
 でも彼の「ホント?」の笑顔は、背景と共に、今でもくっきりと脳裏に浮かぶ。
 色白で、品が良くて、ふんわりとした雰囲気を持った笑顔のやわらかい子だった。

 話せた! 私に向かって笑ってくれた!

 バイバイした後、スキップして家に帰ったのを覚えている。胸の温かさが、いつもより増した気がして、そのまま空に向かってスキップしていきそうだった。



#エッセイ #初恋 #数百メートル #話せない  

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かわせみ かせみ
読んでいただいて、ありがとうございます! 心に残る記事をまた書きたいです。