後部座席で外を眺める気持ち
入道雲と高い所の筋雲が重なって見える。ほんのちょっぴり秋の気配。かな。外は暑いけれど。車の後部座席に座って、外を眺めていると、幼い頃を思い出す。
いつもは運転席か助手席。息子が加わると、私は運転席の後ろに座り、外を眺める。
父も母も、ニュージャージーで車が必要になり、免許を取った。最寄りのスーパーも銀行も、車なしでは遠すぎる。日本の田舎街と同じだ。
週末になると家族で車に乗り、どこかへ出かけた。
当時はチャイルドシートもなければ、後部座席でシートベルトもしていなかった。
横にいる兄が後部座席の真ん中で両足を広げ、運転席と助手席の間から身を乗り出し、両親と話す。
私は車にも運転にも、道路や行き先にも興味がなかったから仕方ない。
兄がいない時に、私も兄のようにしてみたけど、特に話したいこともなかったから仕方ない。
でも、兄のその態度がどうしようもなくイヤだった。イヤだと思っているのは、家族で私だけだった。
家族の輪に入ることが、両足と身体全体に阻まれて、狭い車内で行き場がない。
何を話しているかもよくわからなくて、カーラジオから流れてくるビリー・ジョエルやエルトン・ジョン、アバに耳を傾けながら外の風景を眺めた。
雲の形。空の色。一緒に走るように見える飛行機。家並み。木々。店。大きなショッピングモールや駐車場。
帰国後は、走るにつれて上下する電線。巨大な鉄塔。田舎の大きな家。田んぼ。ぽつんと立つアオサギ。風に身をまかせるとんび。
混雑した時にゆっくり流れる夕暮れの景色は、格別。押し寄せてくるセンチメンタルにつぶされそうで。
私は今も、人の会話に加われなくてもすごく平気だ。むしろ楽しそうに会話する人を見ているだけで嬉しい。
でも「わからないでしょ」「入れないよ」という雰囲気はすごく寂しい。
車の後部座席で夫と息子が話しているのを聞きながら、私は外の風景に目をやる。
その時間は幸せで、あの山の木の葉先から、空までの広さを思い、飛んでいけそうな気がした。