私を構成するマンガは3つまで書いたところで疲れ果ててしまった
ちょっと前に、「私を構成する5つのマンガ」の記事を募集していた。先週めまいから体調悪くなり、どうやら更年期症状らしいとわかった。とにかく数年前から、思うように物事が進まない。軟弱者が更年期症状でもっと大変だ。
こんなで、あんなこともこんなことも書けないまま、気が付いたらどんどん世の中は先に行っている。歳取るってこんな感じなの? 次々とついて行けなくなっていく。
今週、いつものペースより少し遅れ気味でカットに行く予定を入れた。鏡には、ずいぶん白髪が増えた私が映る。
「もうおばあちゃんになってきたよ私は。……じいさんや~! ばあさんや~!」
志村けんを偲びつつ、車の助手席で外に向かって一人叫びながら(※窓は閉めています)、夫に話す。
ばあさんは、「応援したいスポーツ」で、野球も語りたかったよ。これも終わっちゃったから、またの機会に、好きに書こう。
そんなわけで、マンガについて書きたいのだけど。
これがさ、記事を募集してすぐ書けたらこんなことにならなかったわけでさ、何故なかなか書いて載せなかったのかと言えばさ。
気にしている人もいらっしゃるだろうけど、好きな漫画を挙げるわけじゃないからだ。「構成」だよ、「構成」。
……難しくないかい?
好きなマンガならたくさんある。影響だって少なからず受けている。大笑いして心に残っているマンガも、怖くて忘れられないマンガのシーンも、感動して涙を流したマンガも、悲しくて泣いたマンガも、山のように。
じゃあそれを書けばってなるけど、好きとか感動とかじゃなく、「自分を構成」って。そう簡単にこの違いを、私はごまかしたくない。
しかも挙げて良いのは5つだ。
半世紀近く、マンガを読んできて(って言えるほどマンガ好きでもない)、5つだけよ。
構成しているとハッキリ言えるのは、3つある。しかしだ。それ以上増やすとなると、あれもこれもと出てきて、意外とこの「5つ」の縛りが私にとっては難しいのだ。
選べない。
夫の本棚を呆然と眺める。夫の本棚からたくさんのマンガを拝借して読んできた。
夫と私の共通の本棚パート2を呆然と眺める。なんだよパート2って。とにかくパート1にはマンガを置いていないのでパート2を眺める。
困ったもんだ。
私を構成する5つを考えるには、2年くらい必要かもしれない。
やっぱり私には書けなかったんだ。
ひどく挫折感を味わいながら、けっきょくのところ、本当に構成していると言って良いのかどうかよくわからない幾つかを挙げていく。
まず一つ目は、ちばてつやの「あかねちゃん」。
ちばてつやの漫画は、兄が「おれは鉄兵」を持っていて、手放す時に「ちょうだい!」とお願いするほど好きだった。私に子供ができたら、「てっぺい」って名前にしようって思うくらい。小学三年生の頃。できるかどうかもわからない子供の心配をしていた幼い私だった。子供って純真。
その直後くらいかな。某小学生新聞を取っていて、そこに載っていた「あかねちゃん」にめちゃくちゃハマってしまったのだ。
私を構成している大事なところ以外を極力省くから、ストーリーなんか書かないぞ。忘れているのもあるけど。調べてざっと読み返しても「ああ……そうそう、そんなだった」くらいだ。でも今、もし買い直してちゃんと読んだらきっと夢中になる。
当然、主人公はタイトルの「あかねちゃん」なのだけど、私を構成しているのは、鋼のような意志を持つあかねちゃんだけではない。彼女が親しくなった秀麿って子の存在も。
秀麿は親がPTA会長で、ずっと何をやってもできない子だったのだけど、あかねちゃんのおかげで勉強を頑張り、「全国テスト大会」とやらで異常な成績をおさめる。
何故「異常」なのかと言えば、得意科目で100点満点かそれに近い点数を採るのに、不得意科目はほぼ0点だったからだ。
これが小学生の私に強いインパクトを残した。
これで良いんじゃないか? って思ったのだ。
幼心に、得意ってなんだろうとか、好きな分野が伸びる喜びとか、そういったものを、漫画を通し、しみじみ感じた。私も自分に子供ができたら、親である自分の地位や名誉とかカッコいいことをするんじゃない。子供にあれもこれもさせるんじゃない。自分が恥ずかしいとかそういう気持ちを横に置いといて、子供の好きなことを伸ばすのが良いと思えた。小学四年生の頃。だから子供の心配するのが早いって。
でもきっとこれに出会わなくても、私の育った環境だといずれそういったマンガに出会い、そんな考え方になっただろう。
でもこれは、心にずっと残って今も思い出す。暗かったけど、孤独で鋼の意志を持つあかねちゃんが、友達も動かす、心揺さぶるマンガだ。心の強さを知り、私はあかねちゃんの心を持ったって良い(意固地とか言われちゃうけど)、子供は秀麿のようで良いと思ったものだ。
うわ。
一つ目だけで、ストーリーも書いていないのにこんなに長くなった。
大丈夫かな。
2つ目は成田美名子の「エイリアン通り(ストリート)」。
成田美名子のマンガは「サイファ」が一番好きなのだけど、人間関係を考えた時に、私が言い聞かせて自分に取り入れている言葉が多いのが「エイリアン通り」だ。
私はニュージャージーから帰国する時に、「帰国」の意味がわかっておらず、「また会えるから」とあっさり友達たちと別れてきてしまった。そこから親しくなっては相手か私のどちらかが引っ越し、を繰り返してきた人生だ。そんな時、励みになるのは「いつか会えるから別れを怖がるな」ってメッセージだった。何で私はこんな運命のもとに生まれたんだろうって、別れを悲しむ度に、「またね、って笑顔で別れよう」と、このマンガを思い出すのだ。
さらには、私の知っている誰かがひどく傷ついていなくなったらどうしようと思った時。このマンガで、「人間は、地球の細胞で、その細胞の一つが見えない所で傷ついたら違和感を覚えるものだ」って胡散臭いことを言う人がいる。でも彼が堂々と言うことで「まあ心配してても仕方ないのか」と安心しちゃう場面がある。
心配しても仕方がない状況なのに、どうしても不安で無駄にウロウロしてしまうような時は、これを思い出すようにしている。
日々暮らしながら、言い聞かせる2つだ。
3つ目は、野中英次の「魁!!クロマティ高校」。
完全なギャグマンガ。
このマンガ、私の笑いの琴線に触れてしまうようで、読みながら文字通り「笑い転げ回り」、何度か夫を戸惑わせた。息子との共通の話題にもなるし、登場人物の名前を挙げただけで、人の特徴を表せる。つまり登場人物の名前が、家族3人での共通言語だ。
素行の悪く、勉強もできない人たちが通う高校に、優等生だった神山が事情あって通い始めるのだけど、彼が実は一番悪いんじゃないかと思うくらい、ピュアな瞳で、ブラックな言動を起こしたりする。だからキラキラした目でブラックなことを言うと「神山がここにいる!」などと夫や息子と言う。私も言われる。いや、主に言われるのは私だ。
ちなみにここに通う高校生の中には、ゴリラやロボットがいる。例えではない。「ゴリラ」や「ロボット」だ。そして「フレディ」もいる。
……フレディ?
そう。フレディ。
あのフレディ・マーキュリーが通っている。
馬に乗って通学していたりする。
ギャグマンガだからそんなもんだ。
内容も下らないやら、ファンタジー極まりないのだけど、どこか「あるある」も含まれており、何よりもみんなが愛すべきキャラクターとして描かれている。
勉強ができるタイプの息子に、勉強ができない子だって愛すべき人っていっぱいいるんだ、って例えファンタジーでもわかってほしかった。そんなことより、あの子優しいよね。あの子面白いよねって笑いたかった。おかげでなのか元来からの気質なのか、私と息子は最もアホと思われる「林田」にハマってしまい、何度笑わせてもらっただろう。
家族3人の共通言語があり、わかるキャラクターがあるって時点で、私の一部は、クロマティ高校で作られていると感じている。
ちょっと待って。
一気に書いてめっちゃ疲れた。
病み上がりなんだから。
あと2つを書くエネルギーがない。いや思いついていないから良いのか。少なくとも大好きでおススメのマンガは2つ以上ある。
いつか書くのかな。
私を構成するマンガって企画は面白いけど、おススメのマンガの方が、マンガを読みたい方には良いかも。いつか少しずつ紹介していこう。
自分を「構成」って、多分元々あった素質の上に、絵や言語が乗って、確かなものになる気がする。きっと自分の一部を、確実なものにしてもらえたマンガだから、出会えたことに感謝している。
ああ、おばあさんになる過程にいる更年期おばさんは、ヘトヘトだよ、疲れた!
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