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たくさんの思い出をありがとう
バタバタと1階に降りて玄関のドアを開ける。挨拶もそこそこに、奥の寝室に一直線。
入ってすぐ右にある鏡台の引き出しを開ける。
今日もちゃんとある。
大人の親指大の金色のクマが引き出しのすみに座っている。両手両足を広げて座った姿勢のそれを持ち上げ、重みを確認しながら両手の指先を使って前半身を開ける。お尻を軸に、前と後ろに分かれて開くようになっていて、中には硬めの白いクリームが入っている。
鼻を近づけると、7歳くらいの私でもイヤにならないような淡い甘い香り。
閉じてまたそのクマを眺める。目はキラキラとしたガラス玉。毛並みのでこぼこがざっくりと、ほどこされている。
満足して元の場所に置くと、バタバタ台所に行き「かせみちゃん」と声をかけられる。
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ニュージャージーで3歳の頃から暮らしたのは、父の仕事のため。一生懸命英語の勉強をしたらしく、海外赴任できたのだと母に聞いた。
当時、海外赴任は社員である本人が家族より半年ほど先に行く決まりがあった。父はその間に、家族で暮らす家を探してくれていた。
その辺りの家は、1階と2階でちがう家族がそれぞれに暮らしており、家賃も一律だったようだ。庭にプールがあっても変わらない家賃と知り、父は子供たちが楽しめるだろうとその家に決めてくれた。そこの1階で暮らすのは中国人一家で、大家さんだった。
彼らには大人になった娘さん二人と息子さんがいた。
日本でしばらく暮らした経験もあるらしく、皆日本語ができる。特にお母さんのヘレンさんは話すのも流暢で、書けば達筆。古い日本語や表現を使っていらした。
長女さんのダンナさんはアメリカ人で、時々遊びに来る彼は私をとてもかわいがってくれた。特別何かをするわけではなかったけど、ニコニコ接して、よく遊んでくれた。プールでもよく遊んだけど、車の掃除の時に好きなように遊ばせてくれたのが楽しかった。
母はヘレンさんに声をかけて、他の日本人たちと中華料理を習った。その頃に買った中華鍋を長く使っていたし、私も母の作る中華料理を帰国後も長年堪能した。
帰国するとわかってから、ニューヨークのレストランで皆で食事会をしたけど、7歳くらいの私に、別れの意味は今一つわかっていなかった。またすぐ会えるのだろうと思っていて。
帰国間近の頃。
長年そうしているように、バタバタと金色のクマを見に行く。
そしていつものように台所に行くと、「かせみちゃん」と声をかけられた。
「いつものを見に行ったのね。本当に好きね」と笑う。そして「あげるから持って行きなさいね」と私にくれた。
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帰国してから15年間。日本の学校の文化になかなかなじめず、それがニュージャージーで暮らしたせいだと思うようになっていた私は、思い出を忘れようとがんばった。
入った小学校では水槽の金魚を眺めて自分の気持ちをまぎらせた。
その次に転校した先ではいじめられる。
受験を経て入った中学では仲良くなった友達が、幼い頃に、近くでお互いの存在に気付かずに暮らしていたと知る。
なるべくニュージャージーのこと、忘れなくちゃと思うよね。でも英語は覚えていたくても忘れちゃったよね。発音だけ残っているから英語ができると思い違いされるのを否定しても、謙遜だとか思われちゃうよね。日本にいなかった頃の流行りものの話題についていけなくて輪に入れないことがあるよね。何でもハッキリ発言できる気持ちの強い人と思われちゃうよね。
そんな気持ちを初めて言い合えてから、ニュージャージーでの自分の姿を少しずつ思い出し始めていた。
それでもいじめられた記憶が強くて自己主張の仕方が難しかった。思春期だったことや元々の気質も手伝って自我はグラグラとなり、急に自己主張をしてみるものの、だいたいが周りの様子を見ながら気をつけた。
幼い頃の自分を「あれで良かった」なんて思えなかったし、思い出してしまう自分も良くないんだと打ち消すようにがんばった。
またニュージャージーに行きたいなんてみじんも思えなかった。
でも兄が大学の卒業旅行でニュージャージーに行くと言う。
旅行から戻ってきた兄は、写真をたくさん見せてくれて、「ヘレンさんたちに会ってきた」と話してくれた。
ずっと忘れようとしていた風景やその中の人たちを見て、私もまた行きたいと思う気持ちがふつふつとわいてくるのを感じた。
大学三年生の頃に、バブルがはじけて就職活動が厳しくなり、四年生の夏にはニュージャージーに向かった。逃避だったのかもしれないけど「今を逃がしたら行くきっかけを見つけられないんじゃないだろうか」とも思っていた。
当時ニュージャージーには、友達も住んでいた。幼少期に同じようにニュージャージーで暮らしていたけど、お互い近くにいたと知らずにいた彼女だ。大学をやめてニュージャージーで暮らし始めていたのだ。彼女に会いにも行ける。
そこで兄がしたように、私もヘレンさんに連絡を取り、何泊かさせてもらった。
長女さんの住む家にも連れて行ってもらい、15年ぶりくらいに、むかし可愛がってくれたダンナさんに会った。
彼らには子供ができず、アジア人の血が入った赤ちゃんを養子に引き取ったところだった。ヘレンさん一家がアジア系だものねと思っていたら、「幼い頃のかせみちゃんの面影を追って、アジア系の子供をとっても楽しみにしてたそうよ」とヘレンさんに聞いた。
帰国時に、また来たいと言うと、「いつでも来なさい。何泊でもしたら良いのよ」と言ってくれた。
そうやって大人になってからの付き合いが始まる。
その翌年、兄が会社をやめて、ワシントンDCにある大学院に通い始めた。母と訪ねることになり、東海岸を北上してニュージャージーにも行くことになった。
親子でヘレンさんを訪ねると、母は私の前で見せたことのない涙を流していた。
母は母で、彼女の一家には色々な感情があると言う。私の前ではほとんど言わずにいてくれるおかげで、私はヘレンさんには良い感情しかない。
その何年後かに再びニュージャージーで友人と暮らし始めた私は、夫となる彼と知り合い、結婚する。
結婚式には、夫の職場の上司と知り合いを呼ぶことになったため、私は私の友人とヘレンさんの夫婦と、同居していた次女さんを呼ぶことにした。
結婚祝いには立派なホーロー鍋のセットをいただいた。
そう言えば彼女は、40歳くらいから不動産の資格を取得したくて、毎年のように試験にチャレンジしていたそうだ。なかなか合格できず、「今年も来たね」と面接官に笑われるほどだったと、笑いながら話していたそうだ。10年かかって、ようやく資格を取れたそうで、新婚の私のためにも物件をいくつか紹介してくれた。どこも家賃が高くて、別の不動産屋さんで決めたけど、それでもその辺りのやり取りも含めて手伝ってもらった。
その後1年しないうちに私は帰国したので、会ったのは結婚後に一度くらいあっただろうか。
帰国後は、クリスマスカードを交わし始めた。
大学生以降、ニュージャージーに行くたび、結婚前後にもお世話になったのに、礼を全然尽くせていない気持ちで。
ヘレンさんからは関係を強要されることも何かに口出しされることもなく、困った時にはいつでも笑顔で助けてくれた。
その存在に助けられ、彼女の挑戦する意欲やエネルギッシュさは励みになり続けた。
毎年、自分たちの様子を書いてヘレンさんからのお返事を楽しみに待った。
ヘレンさんのダンナさんが、15年ほど前に亡くなった。
ヘレンさんのダンナさんはそれほど日本語ができなかったけど、笑顔で「かせみちゃん」と呼びかけ、私が困った時にはやはりイヤな顔一つ見せずに、すぐに車を出してくれた。
その年書くクリスマスカードには思い出やお世話になったことを書いた。あんなで良かったかなと心配だったけど「本当にありがとう。かせみちゃんの文に心を動かされた」と返事があった。
それからも息子の成長をつづり、1年間の自分の変化を伝える。
2年ほど前から返事が来なくなった。
例の感染症についても心配で、ヘレンさんもニュージャージーでの状況や不安を毎年書いてくれていた。もう90歳も超えているからカードを書くのが大変なのかもしれないな。書くとご家族にとっても迷惑かな。今年は書くのをやめようかな。
そう思っていたら今年、「次女さんから連絡があって、ヘレンさんが亡くなった」と兄から聞いた。
普段遠く離れていて、もう何十年も会っていない人が亡くなっても、少しの動揺くらいで、日常は日常で過ぎていくんだな。
そう思っていたけど、いざカードになにか書こうとすると気持ちが揺れる。迷いに迷って選んだカードを手元に出して置いてみるのに、ただ眺めて、また元に戻す。
今近くで暮らす中国人の友人に、細かな事情を伝え、助言を請う。
「何もしなくて良いけれど、かせみさんの気持ちの整理がつくなら、カードを書いて送るのはとても良いと思います」と言われた。
そうか。私が落ち着くんだよな。
クリスマスカードを選ぶ時。
一つ一つちがう図柄を見ながら、送る人を思い浮かべる。あの人にはどんなイラストが良いかな。このイラストはこの人をイメージする。そう思って、一つ一つを選ぶ。あまりに気に入ったイラストがあると、それは特別に、何人かに送ることもある。でも基本的にそのイラストが、送る人のイメージに合っているかどうかを気にする。
今回は、同居していた次女さんに送ることになる。次女さんと私は感性とか考え方がちがうのを会話で感じ、それほど相性が良くなくて。
それでもヘレンさんのイメージと、私の今回の気持ちが表れたようなカードを選んだ。
そこに次女さんに向けて、何と書けば良いのだろう。
ヘレンさんからの今までのカードを読み返してみた。
ていねいに書かれたヘレンさんの日本語。毎年、私が空白にぎっしり書いて送ると、ヘレンさんもぎっしり書いて送り返してくれるようになっていっている。
札幌で暮らしていた頃。ワールドトレードセンターのテロ攻撃のあった年。息子が生まれた年。息子の成長に伴っての言葉。ヘレンさんにひ孫が生まれた頃。その成長ぶり。自分の老い。
読み返すといつ書いたものかがわかる。夫や私をねぎらい、はげまし、息子の成長を見守って下さっていた。
改めてペンを取り、カードを前にすわる。
私にとって、格別に強い思い出がある金色のクマ。香水が入ったその置物の話を書いた。
ほんの少しヘレンさんへの思いを書いているだけで、こみ上げてくるものがある。
ヘレンさん一家とはこれから何かよほどのことがない限り、もう思い出だけなんだ。
7歳の頃に帰国後、外国を含めた引っ越しを何度もしたので、金色のクマの置物をどこで手放したか覚えていない。
でもニュージャージーでのことを忘れようと頑張っていた私が、長い間飾って大事にしていたことは覚えている。
私の中でヘレンさん夫妻と金色のクマの置物は、これからも生き続けるよ。忘れないね。
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