交換日記みたいって、今さらだけど思った
今の若い子って「交換日記」を知っているのだろうか。
知っていたとしてやったことはあるのかな。男の子にとってはどのくらいファンタジーなんだろう。私が小学生だった40年くらい前、交換日記は圧倒的に女の子が多かったから。
何を書くって、順番がせまっているし簡単に自分の日常を書くだけ。学校の友達だと登下校中のこととか家でのこととか。学校でのことだと「こんなことあったよね~。私はこう思った」て内容。
漫画描くのが上手な子だとイラストつけてくれたり。
小学六年生の時。本来、五年生からクラス替えはないのだけど、その年度替わりは学年の子の引っ越しがとても多くて、私たちの学年はクラス替えを行った。
おかげで私はいじめっ子と離れられて、ようやく親しい友達ができた。ちょっと可愛くない珍しいニックネームから、たくさんの友達もできた。前の学校から転校してから親しくなった友達は1年ほどで転校してしまったし、学校が楽しいなんて2年ぶりくらい。
担任の先生のクラスづくりは明るかった。強い結束力を呼び掛けるようなことはなかったけど、皆がフラットに付き合えるよう心配りしてくれていた。
班日記も、先生との距離だけでなく生徒同士の距離を縮めるために使っていたのかもしれない。
班の中でぐるぐる日記を回すので、その班の子の家庭環境や学校で起きた出来事でどう思ったかが何となくわかって楽しかった。もちろん書きたくないことは書かない。
各班のノートは、教室にある先生の机に置いてあって、休み時間に生徒も見放題。
親しい友人と私は、自分たちの班の中で面白くて笑った内容のを「ねえねえこれ面白かったよ」と紹介し合ってはその子のを読み、感心したり内容が面白くて笑ったり。
例えば気になる男の子は、母親が出かける時に服で迷っている様子をつぶさに書いていた。「これはどうかしら」と迷いながらあれもこれもと試着するそのお母さんのウキウキした感じと、自分の面倒くさい気持ちとを客観的に対比させて。彼の感性だとかお母さんとの距離感だとかが可笑しくて、親しい友達と二人でお腹を抱えて笑い転げながら読んだ。
その後、人の日記を読んだり自分の思ったことや身の回りで起きたことを書いて読んでもらったりするのは、中学生になってから。その時その時で親しい誰かと交換した。
他には、交換日記とはちょっとちがったけど親しい3人の中で、おもしろストーリーを作って話を回していた。しょせん素人の「おもしろ」だからしょうもないのだけど、あとの2人をどれだけ笑わせられるかを考えながらストーリーを書くのは楽しかった。出てくるのは、それぞれのファンの人たちと私たち三人。無理矢理な接点のある設定で、私など野球選手が好きだったから登場人物は膨大だった。彼女たちのファンの人たちも混じったかなりカオスなストーリー展開。これが私以外の2人が本当に上手で。待ちきれずに授業中にも読んで笑いをこらえたものだった。そして時には友人の肩が震えているのも視界に入った。
物理的に、距離がすっかり離れてしまった友人と何か月かおきに手紙を交わしたものは文通としてアナログな手紙をやり取りしたものだったし、今もそんな友人がいる。今の時代で、あえての手紙。
noteを、文通のようだと例える方がちょくちょくいらして、なるほど! と膝を打ったけど、さらに最近、noteって交換日記みたいだなって思って。
日常について書くのもそうだし、アツい思いについて書く時もそう。文章だけじゃなく写真とかイラストとか上手な人も練習中の人も。それが特別なこととか、特別なニュースとかじゃなくても、ちょっと聞いてよ、見て見てって披露できる。
それが楽しいのって交換日記を思い起こす。
そしてすぐに反応を書けるのも。コメントがまさにそう。それについての感想を次の記事にだってできるし。
意義ある内容とか上手な作品とかももちろん素晴らしいなと感心したり気分が良くなったり考えさせられたりする。だけど、日常やその人の背景がわかるような内容が楽しかったり、コメントのやり取りが楽しかったりするのもそのためなのかもなあって最近思う。
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