迷いながら決めていくのは楽しみでもある
「まだ早いって」
友人の一人は言う。中学一年生からの友人。
「今度会う時はグレイヘアかもしれないねんね!」
やはり中学一年生からの別の友人が面白そうに言う。
今年52歳になる私たちは、この春マスク姿で4年ぶりに会った。
特別な事情でもなければ互いのマスク姿など見ることは、それまでの40年間の付き合いの中でなかっただろう。
この4年。時にはリモートで話したけど、会って話すと互いの空気感がわかって、より話しやすい。リモートで話さなかったささいな日常や、パソコンを通すと光の具合で見えなかった互いの細かな変化もよくわかる。触れなくたって互いの熱を帯びた体温のようなものが伝わってくる。
白髪の増えてきた私たちなので、会えばそりゃ話題になる。
そんな中で、私は白髪を生かした髪色にしていきたいと話した。
長く友人関係を続けていて、遠慮のない二人の反応が全然ちがう。思い出しては、うふふと笑ってしまう。
10年ほど前、年下の友人と、白髪について話していた。
当時、びんの辺りや表面の髪の毛めくるとそれなりにあった。でも耳にかけずに髪の毛をすとんとおろしていると、ほとんど目立たない。
私より白髪が少ないのに表面で目についていた彼女は「かせみちゃんは白髪どうする? そのままにしている人は重ねる年齢を自然に受けいれてるんだって」と言う。
とっさに私はブンブン首を横に振ってしまった。
「目立ってきたら、しばらくは染めて隠してたい」。
私は年齢を重ねることを受けいれていないのかなあ。彼女の言葉がずっと気になってしまった。
そう言えば祖母が生前、なにかにつけて「そんなことしたらおばあさんみたいだからしない」と母に言っていた。自分がおばあさんに見られることをいやがって、まわりを困惑させるほど明らかに無理をしていたのだ。
おばあさん「みたい」ってなんだろう。
祖母は年齢を受けいれていなかったのかな。ちょっと前の、友人との会話についても思い出され、祖母の言葉も気になり続けた。
ここ数年、更年期症状が重たくなるにつれて、10年前に白髪が気になった友人よりウンと白髪が多くなった。長い間マニキュアでやり過ごしていたけど、どうしたものかなあと考えていた。
しばらくは感染症のせいで美容院に行くのを極力減らし、マニキュアが落ちても放置していた。
美容院でつけるマニキュアは1か月もすればだいぶ落ちて、生え際とも区別がある。人と会う時に、その差が気になるとカバーするけど、その場しのぎ。カバーせずにバッタリ別の場所で会って相手が何と思おうが気にならない。
若いころに想像していたより平気な自分がいる。
これで良いやとも思うけど、もう少しなにかしら楽しみたい気持ちも強い。
3年ほど前のまだ白髪が目立たないころ、耳の回りの髪の毛に赤を入れた。良い気分転換になったからもっと楽しみたいなあと思っていたけど、どんな色をどんな風に入れようかとか迷っている間に白髪は増えていく。
そして数か月前。
縦に何本もハイライトが入り、茶色とグレイと元の髪の色がグラデーションになっている写真に惹かれた。
たくさん写真が上がっているところを見ると流行っているようだ。みんながみんなこうなっちゃうのもどうなのかしら。おススメしない美容師さんもおられるみたい。髪の毛がいたむとか伸びてくると根元のギラつきが気になるとか。それなのに高いとか。
ウーン。
迷いどころも多いけど惹かれる色だなあ。
美容師さんにその写真を見せた。
「おお良いと思います! 髪の毛へのダメージやギラつき、伸びてきた部分の見え方については、その時その時で気になったら、対応していきましょう」と言う。
15年ほどお世話になっている方だから、その意見に対してもすっかり信用している。値段に関しても、安めのマニキュアとほぼ変わらない設定。
あちこち細かく髪の毛で束を作り、色をつけると立体感が出た。
耳際や生え際など白髪はそのまま。でも全体を見ると茶色とグレイが混じったようなハイライトがうっすら入り、なじんでいる。
「次以降は気になる所に色をつけたり、手入れしたりなので、かわせみさんだけの髪色になっていきますね。白髪が増えていくのも自然に見えてくると思いますよ」
かわせみさんだけの色。
「私だけの」なんて、心がふわふわ浮いてくるではないか。
できれば少しずつグレイを増やしていって、そのうちハイライトもやめようかな。いつの間にかグレイが当たり前の私でいるようにしたい。
今はそんな気持ちだけど、また心変わりするかもしれないのも自分の中でおりこみ済み。
何かを読もうとしてその対象物から頭をぐいと反らす度に友人が笑う。4年前だってとっくに老眼だったけど、よりひどくなったもんな。
みんな更年期とだって闘ってきた。五十肩も。
身体の変化。環境の変化。心の変化。この何年かの間に、自覚した急激な変化がたくさんあった。自分ではわかっている変化。受け入れてきた身体と、そこで激動してきた気持ち。
互いにつらくなってしまうのを時々のやり取りで知り、笑いあったり励まし合ったり。
そして会って喋る空気感が変わらない私たち。
年齢を受けいれているのかどうか、やっぱりよくわからないけど、友人たちにしても、祖母にしても、抗えないものに対するその時の気持ちだったのだろう。服装も髪型も、発する言葉も、それぞれがその時期、どう思っているかが表れる。
今の私は白髪を生かしたいみたいだ。周りからの見た目とか流行りとかより、自分が楽しい方が良いもの。
どうするかは自分が決めるんだよな。そしてそれについて考えをめぐらすのはその時の楽しみでもある。
※2カ月ほど前に書いたものに加筆修正しました。