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久しぶりにヒールが高めの靴をはいたら
祖父の葬儀があったのは23年前。今のようにSNSは発達しておらず、「礼儀の本」みたいなのを買って持っていたので、それを読み込んで臨んだ。
こういう物を身に着けてはいけない。ああいう物を買っておかなければならない。こういうのは失礼に当たる。こうするものである。
知らないことがたくさんあった。
ただそれを頭に入れて準備すると、そうはしていない周りが気になってしまった。
式の後から母に「こんな人がいたよ」と言う度に「そりゃあ準備できなかったんでしょう」「ああ〇〇さんのことね。持っていなかったんじゃない?」「えっ。そんなの着けてた?」と言われる。
喪主の祖母と、娘である母がお香典を開けているのを横で見ていると、必ずしも本に書かれてあるようにしている人もおらず、「こういう額をこんな風にして入れて良いの?」と聞くと「ああ。まあ良いんじゃない?」と言っている。そのうち「アラ。この人ったらお金入れるの忘れてるわあ。こういうのってどう返そう!」などと和やかに話している。
そういう場面を多く経験している祖母や母がそんな風に言うのだから、私が本でしか知らない知識を絶対の正解みたいにいちいち指摘するのは心が狭い気がしてきた。
祖母はそれなりの田舎で育ち、周りに親戚も多かったので、もっとしきたりにうるさいのかと思っていたけど、そうでもなかった。母も周りには寛容にいましょうという方針だった。
そして夫は札幌の人。
北海道の人は色々な地方から集まってきているためか、そういった習慣などは大変合理的に考えるようで、私はその辺でとてもラクだったと思い返す。
義母も挨拶とか態度とか言葉遣いとか、私にはうるさかったけど、マナーに関しては鷹揚で、そんなに失礼にならなければだいたいで良いのよといった風だった。
四十九日を終えてからの義母の納骨。
特に札幌では、時期がまちまち。何故なら秋や冬に葬儀があるとその時期は雪深いからタイミングが流動的なのだ。「春になって雪が溶けてから徐々に」とお坊さんも言う。お坊さんのスケジュールもある。
調整して、今回の時期になった。
どんな服装が良いのだろう。
やっぱり調べた。今回はSNSで。
暗めの服装で良いと書いてある。でもこの時期、私はそんな色の服を持っていない。
夫は「長男だし喪主だから僕はスーツだけど、かせみどんは暗めの恰好で良いよ」と言う。息子は「僕はこの時期、暗い色の服はスーツしかないからスーツで行く」と言う。
えええーそっかあー。
どうしようかなと考えて、黒のワンピースを手に取った。
でも袖が七分丈だからちょっと寒いだろうなあ。かと言って冬の喪服だと暑いだろうしなあ。上着はワンピースと生地の質がちがって冬用で、なんだか変だなあ。
お坊さん来るまで、こちらでは春用の薄手ニットを上着代わりにかぶっておこう。
で、問題は靴だった。
歩きやすいペタンコの黒い靴を持っている。
でも急に、マナーに厳しい方々の声が頭の中にうずまいてしまった。
「ヒールの付いたものにしなければ」
どうしたんだろうな私。
とにかくその時は何となくそう思って、ヒールのついた黒の靴を持っていった。
当日履いてみると、ヒールのある靴が久しぶりすぎて。
いやその靴自体が久しぶりすぎた。
まず、あっという間に足の小指だとか足首だとかが痛くなった。
「あーあ。履き慣れてないからもう痛くなった」と言いながら、「アラーン」と夫や息子に同情されながら、頑張って歩く。
ところが霊園に着き、あちこち歩いている途中から、自分の足音がおかしいと気付き始めた。
「私。うるさくない?」
霊園の中の施設に入るとますます目立つ。
カーン! カーン!!
金属音みたいな音を高らかにさせながら歩いている。
うるさい。
恥ずかしい。
ヒールのコツコツ程度なら良い。ヒールを履き慣れている人の歩いている姿勢はちょっとカッコいい。コツコツ程度も「ヒールを履いている」象徴の音みたいでカッコいい。でもこんなにまわりに私の一歩一歩を、高らかに聞かせている感じはどうにも恥ずかしい。
カーン! 私の一歩。
カーン!! 私の歩幅。
出かける時からこんなにうるさかっただろうか。
不審に思ってヒールを見ると、下についているはずのゴムが取れていて、釘が各ヒール二つとも、むき出しだった。
そこからはもう足首は痛いし、小指は靴の小ささで痛いし、ストッキングのこすれるので足の甲がかゆいし、すねを虫にさされて黒のストッキング超しにも赤くなっているのが見えるし、もちろんそこは痛がゆいし。もう膝から下全体が色々気になる!!
終わると晩御飯を夫が予約入れてくれていたので、市街地をまた歩く。
「もーうるさいよ」「恥ずかしいし痛い」
自分の一歩一歩が聞かれている感じが本当にいやで、でも高らかに鳴る音からは逃げられない。
夫が「スーパーで靴買ったら?」とたまりかねて提案してくれた。
そうだね。安物で良いからサンダルを。
と思ったのに、反動からか絶対に痛くならなさそうなウォーキングシューズにしてしまった。セール品とは言え、サンダルよりは高くなっちゃった。
でも快適過ぎて「歩くの速い……」と息子に笑われる。
漆黒のワンピース。上に薄手のラベンダーカラーのニットを着て、スニーカーをはいて、グイグイ歩く私はきっと変だっただろう。誰も気にしていないとは思うけど、改めて見るとね。少なくとも一人、険しい顔で上から下までなめるように見るおばさんと目が合ったし。
それでも札幌の土地柄のおかげか、家族だけだからか、本やネットで見る「きちんとしたマナー」を気にし過ぎずに済んだ。
今後、黒のヒールある靴を履くようなきちんとした場があったらどうしよう。
ちょっと心配だけど、その時になってから考えたら良いのだ。
あの黒いヒールの靴は、安物なのに長く持ちすぎた。長く持っていたのに履かなさすぎた。
靴は履く分だけ持っておけば良いのだ。
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