やさしさの連鎖をつくる Case. 2 - 中村 奈津枝 さん
川崎市市民文化局パラムーブメント推進担当が2024年にスタートした「やさしさの連鎖会議」では、心のバリアフリーに関する様々なフィールドで活躍する10人とやさしさの連鎖が広がるアクションを考えていきます。
どんな活動になるかは今後の展開次第。川崎らしい活動に育つよう、アドバイザーとして快く参加してくださったみなさんから、ひとりずつその想いをインタビューしました。川崎市に何を期待するのか、そして市民ひとりひとりにどんなことができるのか、ヒントを探っていきます。
Case. 2 - 中村 奈津枝 さん
東京大学 教育学研究科バリアフリー教育開発研究センター 特任研究員、キッズデザイン協議会 フェロー
1988-2019年に、富士通株式会社デザイン部門にてICT機器が一般に普及していく時期、ユーザビリティテスト、アクセシビリティ配慮、ユニバーサルデザインなどを推進。また、社内のダイバーシティインクルージョンに従事。
2019年から東京大学バリアフリー教育開発研究センター研究員。
「やさしさ」という言葉を使うことの危うさ
川崎市とは、東京オリンピック2020の時から「心のバリアフリー講座」の講師をさせていただいて、パラスポーツやイベントにも出席者として参加していました。2020の取組がひと段落しても、とても自然に、しかも継続してパラムーブメントに取り組まれていることに感銘を受けています。
一方で「やさしさの連鎖」という名称には実はすこし懸念があります。「やさしさ」という言葉が、「かわいそう」とか「お気の毒ですよね」という気持ちをオブラート的に包むことがあるからです。誤解を恐れずに言うならば、私たちの中には、道徳的に「かわいそうな人には親切にしましょう」みたいな教育が根付いてると思うんです。それはもちろん大切なことなのですが、「共生社会」という文脈の中では、「かわいそう」とか「お気の毒」という意味を含む「善意」みたいなものが前面に出るのは違うんじゃないかなと。どういうことかというと、ちょっと想像してほしいのですが、困難を抱えている人には「かわいそう」で「お気の毒」だから「やさしく」しようと考えるとします。それは、困難を抱えている人にとっては、その状況を「肯定されているように」受け止められかねないのです。「やさしさ」がもつ「同情」のニュアンスが、困難を抱えている人が直面している「不当な今の状況」を肯定し広げてしまうことに繋がる可能性すらあります。
私は仕事上、共生社会に関するキーワードとして、マジョリティーとかマイノリティという言葉をよく使います。マジョリティは今まで社会を設計できた側、社会のいろんなベネフィットを普通に享受している側を指し、社会の中で優遇される立場にいます。一方マイノリティは自分に合った社会になっていないため、機会を奪われている立場になります。マジョリティが得ているベネフィットは当たり前のように身の回りにあるため、気づきにくい。一方不便を強いられるマイノリティ側はその社会の偏りに気づきやすいという特徴があります。
地域を巻き込む「パラムーブメント」の在り方
―川崎市のパラムーブメントの活動についてどのように感じておられますか?
市民を巻き込んでやろうとされているだけでなく、企業を巻き込んでいるのがいいですね。いろんなプレイヤーがそれぞれできることを上手に発揮していけるとさらにいいなと思います。
富士通勤務時代に、地域の方向けのイベントで車いすバスケや障がい者スポーツを体験する企画をやった際、経済界協議会の方が来てくださって、会社を越えて同じ法被を着て盛り上がって。「パラムーブメント」は、みんなを巻き込めるテーマでもあると思うので、楽しさの部分を上手に盛り込んでいけるといいなと体験から思います。
―過去の取り組みの中で気づいた課題はありますか?
地域の小学生や自治体の方、障がいのある方に協力してもらったワークショップや、学校を核にしてバリアフリーマップをつくるといった取り組み、スポーツやイベントなど、楽しくて垣根が取り払われるきっかけはいくつもやったのですが、例えば地域の特別支援学校の子ども達を誘うことができていなかったんです。インクルーシブと謳っていたのにできていなかったのは、誰がどんな情報にどうやってアクセスできるか気を配れていなかったのだと反省しています。リアルな場でやるのならば、ひとりで移動ができるかまで含めて、企画側がトータルな体験として設計する必要があり、そうなると手伝ってもらう人が想定より多くなるかもしれないけれども、巻き込んでいける方を増やして方法を考えていけたらいいのかなと思います。
世界の事例やアカデミアからのアドバイスも受けながら
―インクルーシブな場づくりをしていくにあたって、参考にしていることがあれば教えてください
ICT分野のユニバーサルデザインでは、「人間中心設計」の考え方を参考にしていました。また、働き方改革の文脈で、職場のダイバーシティ&インクルージョンに関する取組みにも携わり、ニューヨークの視察では、人種のるつぼでもある地域の空気に触れ、企業の取組や、多様な人々の働き方を実現するための事例や、試行錯誤などをみてきました。
ダイバーシティやインクルージョンを考える際には、企業在籍時から、東京大学バリアフリー教育開発研究センターの星加良司さんや飯野由里子さんなど、大学の先生方に協力をお願いし、講演をしていただいたり、合理的配慮を理解する研修を作ったりする中で、法律の理解や障害についてなど学ぶことが沢山ありました。
市民ひとりひとりにできる、多様性への配慮とは
―企業などの組織だと、影響範囲も広くいろいろなことを仕掛けていけると思いますが、川崎に住んでいる市民ひとりひとりは、多様性に配慮した「まちづくり」のプロセスに関わるためにどんなことができるでしょうか?
地域に届ける活動は、最初はひとつの点かもしれない。それでも、その点をいっぱい打てば、点と点が繋がって面になるようなこともきっとありますよね。同じひとつの場(点)でも、受け入れる側が熱心だったり、プロジェクトとして動かせる方だと強い味方になります。イベントも教育も、1回だけでは次の週には忘れてしまっているかもしれないものです。だからこそ1回で終わらないように。1回のそのインパクトが、他のところを揺らしてくれるように。毎年やれば、それが連続した経験になっていきます。
川崎フロンターレさんが数年前に、初めて発達障がいのある子どもたちに、フロンターレの試合を見に来てもらいましょうという取り組みをされたことがありました。音が苦手とか、落ち着いていられない、親も周りの目を心配してなかなか外出できない、などでスポーツ観戦が難しい子ども達のために、センサリールームという感覚に過敏な子供が落ち着ける部屋を用意するなどして安心して観戦できるようにした取組みだったんですが、「ようこそとどろきスタジアムへ」だったかな、子ども達が読めるひらがなでサポーターの席から横断幕が出たんです。それを見たときにすごい感動してなんか嬉しくなっちゃったことがありました。市民の皆さん全員に一斉に届くメッセージや取り組みは難しいけど、いろんなやり方や機会を掴んで、繰り返し仕掛けていくことで広がっていけばいいなと思います。
「まちづくり」のために、市民ひとりひとりがプライベートで良き市民であることはもちろん大事だと思うんですが、市民ひとりひとりが既に持っている社会の中の役割や場面で出来ることを実践して欲しい。たとえば、その人が仕事でやっていること、例えば提供している製品・サービスが社会に与える影響を意識することに期待したいです。自分が関わっている製品やサービスが特定の人を排除していないか考えることが大切だと感じています。全部の製品やサービスをバリアフリーにしろということではなく、製造、提供する側がほんの少しそういう姿勢や視点を持ち、必要に応じて個別に対応する余地を持つことも「やさしさの連鎖」する「まちづくり」につながると思います。
多様な市民が自分らしく生きられる寛容なまちの実現にむけて
―多様な市民が自分らしく生きられる寛容なまちが実現したとして、それってどんな姿、形、表情をしていると思われますか。
抽象的なんですが「失敗してもやり直せる」とか、「困ったときに相談するのが当たり前にできる」という、まちのイメージが頭に浮かびます。安心して相談できる、信頼できる先があって、解決に向けて一緒に行動してもらえるまち。困難がある人でも、自分に合った役割が見つけられるまち。価値観の違いについて寛容であるまちであってほしい。例えば、私の息子は中学生の時に登校拒否になりましたが、本人が望めばいつでも教育を受けられる環境があればいいのなにと思います。
また、個人的にはICTのユニバーサルデザインを推進してきた経験を活かして、高齢者や障害者や日本語ができない人も役所にいけない人も使えるような、行政サービスのデジタル化とユニバーサルデザインの実現を応援したいです。例えば私の90歳の母は行政のデジタル化に抵抗感があるようです。彼女はスーパーマーケットの無人のレジにも気後れをして有人レジを探しますし、ポイントカードを作るためにタブレットで入力するというような場合も断ります。自分は社会から取り残されているとよく嘆いています。でも、現金よりもプリペイドカードが便利だといって使えているのだから、高齢者にも使いやすいデジタル化の可能性は十分あると思っています。デジタル化が進めば、自宅での手続きの実現や多言語対応など、今までよりもスマートに暮らせそうです。利用者はもちろん、市民とそれを運用する行政の担当者も恩恵をうけるでしょう。私がおばあちゃんになった時にも使いやすい行政サービスを是非一緒に作りたいですね。
いつも当事者と共に
障害は、個人の属性ではなく、その社会の作り側が生み出しているものです。障害のある方向けの対策や政策を考えるとき、当事者の視点は必ず必要です。
「やさしい心」というのは大切ですし、否定するものでもないのですが、社会で有利な人と不利な人がいるという場合に、有利な側は、便利を空気のように享受しているから、なかなか気づかない。だからこそ、不便を強いられている人の視点がイノベーションにも繋がるし、社会全体の変革とか改善になるかもしれないのです。限られたパイを譲らなくてはいけない、コストがかかることだ、と捉えられるかもしれないけども、元々社会のバランスが偏ってたんだということを知れば、少しは受け取り方や提供する側の考え方も変わるのでは。
市民ひとりひとりにもできることは、「あたりまえ」を感知しそれを「疑う」アンテナをみんながさしておく、ということかもしれないですね。障害者に対する「支援」ではなく「変更とか調整」だと思うようにすると、「やってあげている」という目線ではなくなると思います。
中村さん、ありがとうございました。
記事執筆: 大城 英理子(とりどりワークス)
撮影: 今井 しのぶ(こどもとかめら)
取材場所: 東京大学
企画・コーディネート: ソーシャルデザインスタジオ ニアカリ
主催: 川崎市 市民文化局 パラムーブメント推進担当