過去と未来の話が怖い
怖さは感覚的なものなので、どんなもの、というのが伝えにくい。
背筋を冷たいものでスッとなぞられるような、
涙が出る直前の眉間の熱さが頭に刺さるような、
遺伝子が考えることを拒否するような感覚です。
なんとなくわかっていただけると、とても嬉しい。
過去の話が怖い
といっても学生の頃の黒歴史とか、あのころ若かったよな的な話ではなく、自分が生きていない時代の話がなぜかとても怖いです。
平成の産まれなので、平成時代は肌感覚でなんとなくわかるし、古き良き昭和の時代も漫画やアニメ、身近な人たちからの武勇伝でなんとなく伝わってくる。
しかし大正時代より前が全くピンとこない。
鬼滅の刃のモチーフは大正時代であると言うが、あの風景が現実として存在することを想像できない。
木造の家、蹴鞠、ろうそく、着物、などなど。
とはいえ、明治維新された後の文化的な時代であればまぁ人の考え方にそこまで差はないだろうと高を括っている。そこまで怖くない。
しかし江戸以前はもう狂気の沙汰としか思えない。
武士の情け、切り捨て御免とか、疫病、災害、封建制度。
圧倒的な力と人間の欲に支配された無秩序な時代。
人の一生がとても儚く、生存率が低い時代。
あほらしいが、多分私はタイムスリップしたときのことを考えている。
真剣に、本気で、「ありうる」と考えている。だから怖い。
知らない時代で死ぬことが怖い。
未来の話が怖い
逆に100年以上先のことを考えても怖い。
今行った環境活動が実を結ぶのは100年後なんだから今できることをやろう。「未来のためにできること」を今、始めよう。
と、サステナビリティを声高に叫ぶのとイコールで「その未来に居ない自分」を想起させられてしまう。
これは本当にめちゃくちゃ怖い。
実は宇宙も怖い
同じのか違うのか、感覚的には宇宙も怖い。
ビッグバンから途方もない時間もかけて育ってきたもの、膨張・収縮を繰り返し、その向こうにはまた別の銀河がある。
地球の歴史でも60億年らしいけど、60億年って6,000,000,000年だぜ?
人生何回繰り返せばええんや。
遠くの星に向けて放ったメッセージが戻ってくるまでの途方もない確率と時間もこわい。
広い宇宙に意思疎通のとれる存在が居ると信じてるからこそ、いつか出会える時代になった時に自分が生きていないことが怖い。
人間の歴史上、異なる土地に住む者とのファーストコンタクトが上手くいった試しはあまり記憶にない。
多分宇宙規模でもそうなんだろうな、とは思う。
多分、理由
壮大な話をしたけども、詰まるところ本当に小っちゃい男なので、目の前に死を意識することが怖いんだと思う。
言ってしまえば当然かもしれないけど、こんなにも娯楽にあふれた世界を楽しめなくなることが真剣に怖い。
「人生は壮大な暇つぶし」を芯にして20年以上生きてきて、最近は2周目の気持ちになりつつあるけど、自分の足が届かないところに対してはまだまだゾッとしてしまう。
そんな小さな感覚の話でした。
「善きこと」とは「続くこと」。
「続かないこと」は「悪いこと」。
こう書くと善悪二元論の話になってしまうけど、本当にこれが正しいかどうかはまた今度。
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