わからないことをわからないまま受け止める能力
最近この本を読んだ。100%理解できたわけじゃないけどとても面白かった。感じたことを書き残しておきたい。
ネガティブ・ケイパビリティとは?
ネガティブ・ケイパビリティとはなにか。Wikipediaではこのように説明されている。
不確実なものや未解決のものを受容する能力
引用: ネガティブ・ケイパビリティ(Wikipedia)
うん、難しい。
もう少し噛み砕いてみると…
ぼくなりに言い換えてみる。
人間にとって「わからない」という状況は不快である。
だから、人間はそれっぽい結論を当てはめて無理やり理解したり、理解することを諦めたりしがちだ。
ネガティブ・ケイパビリティとはそういう性急な結論づけをせず、わからないという不快な状況のままで受け止め続ける能力のこと。
うん、言い換えてみたものの難しい。
具体例を出すと…
たとえば、「自分はなんのために働いているのか?」といった問いを自分に問いかけたとしよう。
どんなに考えても答えはわからない。
でも、わからないという状況は不快なので、「世のため人のため」とか、「生活のため」とか、「意味なんかない。そういうものだ」とかそれっぽい理由をつけて無理やり納得する。
もしくは、「答えなんてない。考えるだけ無駄。」と考えることを諦める。
このように性急に結論づけるか、そもそも考えることを放棄すれば、不快な状況からは抜け出せる。
しかしそんなことをせずに、わからないという状況をそのまま受け入れて、わからないまま自分の中に抱えておける能力のことをネガティブ・ケイパビリティと言う。(のだとぼくは理解した。)
ネガティブ・ケイパビリティが高いとなにが良い?
この能力が高いとどんな良いことがあるのか?
それは、性急で安易な結論づけをしないため、より高次の答えが見つけられたり、より高次の問いが生まれたりする。
先程の例でいうと、「自分はなんのために働いているのか?」という問いに対して、「生きてくため」と性急に結論づけてしまうと、その先にあったかもしれない「幸せになるため」という高次の答えや、「では自分にとって幸せとはなにか?」といった高次の問いまでたどり着けない。
わからないまま受け止め抱えておくことで、納得行くまで考え続けられる。その結果、思考の質や人生の質や納得感が高くなるんじゃないかと思う。
誰かが出した答えを自分にも当てはめて無理やり納得したりしない。
考えることをやめない。
わからないまま抱え続けていたらふとした時にこれだ!という答えが見つかるかもしれない。
そういう効能がネガティブ・ケイパビリティにはあると思う。
まとめ
これまで、わからないということは悪いということのように感じていた。だから一つ一つの事柄に全て自分なりの答えを持ちたいと思っていた。それはそれで間違いではないと思う。全てにおいて結論づけずにいることが良いとは思わないし、結論が出せるなら出したほうが良いと思う。
でも、性急に結論づけてしまうことで失われてしまうものがあるということも、この本を読むことではっきりと認識できた。
結論づけずにわからないまま受け止めることでより高次のものに昇華することがある。過去を振り返ると何度も身を持って体験している。
なんでもかんでも結論付けるのではなく、「なんでなんだろうね。不思議だね。」と抱えておけるのも立派な能力だと知れたのは、今後のぼくの人生で大きな財産になりそうな気がする。