『3年越しの大学合格体験記ー向上心と好奇心と探究心と愛おしさ』
先日、高校の友達と数年ぶりに電話をした。
自分の高校時代は面白かったといってもらった。
そこで、大学受験の話を書いておこうと思う。
先に書いておくと、褒められたような期間ではない。
もう記憶が曖昧になってきたけど、自分にとってすごく濃い期間だった。
きっとここに書いたら、自分の記憶から鮮明には残らなくなるだろうとも思う。正直何が正解か不正解かなんてわからない。でも3年越しに言えることは、やっぱり自分はこの大学に来てよかったということ。自分はいろいろな人に迷惑をかけながら、時に笑われながら、笑ってもらいながらいきてきたということ。生きていてよかったと思うし、大学生になって良かったと思う。3年前の自分みたいな人が見てくれたらうれしいかもしれないです。
拙いけど3年越しの合格体験記。
ぜひご覧ください!
『合格体験記』
勉強は苦手だけど前に進みたい
どうしても入りたかった部活があって、その高校にギリギリで入学。
周りは優等生。自分は劣等生。おまけにミスや忘れ物が多い。
勉強ができなかった。特に数学ができなかった。
今考えれば勉強の方法を知らなかっただけかもしれない。
記憶があいまいでわからない。
でもとにかく苦手だった。
もともと中学でもなんとなく苦手。
中学では点数はなんとなく平均以上はとれる。
でも高校は甘くなかった。
入学して2時間目にはついていけなくなった覚えがある。
なんというか今まで誤魔化していた自分の苦手を隠すものを剥がされた感覚。「朝起きなさい」って言われて布団を剥がされて「あんた、熱があるじゃないの!!」って言われた時に近い。そんな感じ。
ああああバレちゃった、というかでしょうねというか、
ごめんなさいという感じ。
何回再テストを受けていたかなんて数えきれない。
再テストは放課後。
受ける部屋は自分の部室の隣。
部活の点呼も挨拶も練習中の声も全部聞こえる。
「美咲は、あっ、、、。」
そうです、いつも通り再テスト中です。
悲しいし、悔しいしで落ち込む日もないことはなかった。
でも、常にいる前向きな自分。
自分「教育系の大学に行きたくて!!大学で勉強できるって聞きました!」
「大学はたくさん好きな勉強できるよ!でも、えっ。数学受験で使う人なの?、、。使わない選択肢もあるよ。」
自分「あっ、でも使わないと入れないところが志望校なんで使います!」
「あっ。そうなんだ。一応いうけど高望みしないなら、ほかの大学で使わない選択肢もあるからね。」
自分「あっ大丈夫です。頑張ります!」
言葉を発する前に「えっ」とか「あっ」とか挟まないと嚙み合わないこういう会話を高校時代に何度もした。
誰もが思っていただろう、いや、大丈夫じゃないでしょ笑
数学だけじゃないでしょ、あなたのやばい教科。
その通りで、勉強がとにかくできなかった。
というか、勉強の仕方がわからなかったのかもしれない。
基礎ができていなかったという可能性も十分にある。
とにかく疑問・質問しかなかった。
質問はたくさん答えていただいていた。
でもいつも言われる、
「これを知ってどうするの?こんなの気にしなくていいんだけど、、。」「質問が独特。」
「これはこういうもんなの。」
目の前の小さな突っかかりをどうにかしないと前に進めない。
だからか前に進むのに時間がかかった。
ありがたいことに、高校の先生たちは、優しかったし教科を楽しんでいる先生が多かったから、質問には嫌な顔をしないで答えてくださっていた。
本当に本当に感謝しています。ありがとうございます。
意思・意志
そんな中で心配がゆえにかけられるようになった言葉。
「受験するなら、部活いつまでやるか決めなさい。みんなはもう引退しているんだから。」
「コロナなんだから諦めなさい。大学行ったらまたやればいいでしょ。」
自分「でも、これ目指して高校来たからこれはやります。これは今この高校でやりたいので。これやらないと受験勉強中もその先もずっと引きずると思うので。多分部活を不完全燃焼で終わったら勉強できないです。」
だからどんな自信だよ。
結局夏休みまで部活をやって引退した。
進路面談。
頑張っていることは否定しないけど、残念ですが厳しいですという先生。
そうなんですね、でも、本人が行くといっているのでと母。
頑張りますと私。
カオス。
月日は流れて。
迎えた、迎えてしまった共通テスト当日。
数学は難化。
周りの鉛筆の音が止まっているのがわかった。
自分は、1点でも多くと鉛筆を動かし続けた。
数学の結果は平均くらい。
英語が2日前に覚醒して今まで5割だったのが7割5分ずつ。
ほかの教科はぼちぼち悪い。
結果、共通テストが全国的に大荒れ。
採点しても自分の目指していた層は比べられないなあという感じだったみたいだけど、自分はそこからも少し外れていた。
2次試験が勝負。
前期試験
前期2次試験。
教科記述問題。国語と英語。圧倒的に数学よりも勉強時間が少ない。
受験番号はマイバースデー。いけるか?不合格。
前期の合格発表は後期の面接対策のために学校で見た。
結果を見た1分後に職員室に行って
「すみません。落ちました。添削などありがとうございました。面接今からもっと頑張ります!」と担任の先生に伝える。
我ながら鋼のメンタル。
学年中の先生方に気にかけていただいていたので、職員室に入るのは正直嫌だった。でも自分の口で言わないのはもっと嫌だった。
職員室を出るときに、奥のほうにいた先生が「大丈夫か?」と声をかけてくれた。「大丈夫です!」と職員室の奥にいる先生に届くように大きな声で言った。ちなみに後期の判定はよくない笑
いろいろな意味で大丈夫じゃないことはその場にいる誰もがわかっていた。
職員室の中で不合格に涙を流してくれた担任の先生に再度頭を下げて、
同じように不合格の報告をしに来て泣いている同級生を見なかったことにして、
廊下であった合格報告をしに来た同級生に「おめでとうー!!すごい!」と言いながら、
「受かったのー?」言われて「もう少し頑張るー!」と言いながら
人込みをかきわけかきわけもどった誰もいない自習室。
次年度の準備でその教室以外は卒業式を終えていた自分たちはいることができない。
いろいろな想いが込み上げてきて2滴だけ泣いて切り替えた。
1時間後、自習室には前期で合格した部活の友達が来てくれて、
お菓子と急いで書いてくれたんであろう手紙を渡してくれた。
「私よりも教育に関わりたいと思っている美咲が受からないのは、私が悔しい。ぜったいいけるよ!」
「どんまい!!面接かましてこい!!」と声をかけてくれた。
自分が幸せの絶頂にいるときに、
こんな風に声をかけられるその友達を心から尊敬した。
なぜか自分と全く同じ状況にいた姉からは、「迷わないことが強さじゃなくて、怖がらないことが強さじゃなくて、泣かないことが強さじゃなくて、本当の強さって、どんなことがあっても、前をむけることでしょ。前をね。」というムーミンのリトルミイの画像が送られてきた。やったろ。
後期試験
その後の後期試験対策の記憶はあまりないけれど、自分とたくさん向き合った期間だった。教育になんで自分が関わりたいか、なんでこの道がいいのか、3年間考えてきたことがうまく伝わらなくて先生になんども指摘、添削をいただいた。自分の長所や短所を表現するのは難しかった。
自分の良さにも気づき、短所にも気づいた。
弱さにも気づいたとき、「ちなみに、その弱さは「今」の弱さ」だからね。ずっと続くわけじゃないからね。自分にできないことが多いとほかの人と比べて多いかもしれないけど、「今は」だからね。未来はわからないからね。」という言葉を先生がかけてくれた。
劣等生の自分に、どうしようもない自分にかけてくれた希望の言葉。
本番では、あまり記憶がない。釧路についたときに、川を見てああ、自分ここに住んでみたいなと思った。のんき 笑
面接はそんなに記憶がない。
でも、全部に粘り強く答えた。
とにかく、とにかく、本気であることを真剣に伝えた。
なんで受かったかはわからないど、合格した。
家族みんなで、驚くことに実家から遠く離れた釧路で結果を見た。
合格のあとに見た夕日はすごく綺麗だった。
合格したことを、先生、友達、先輩。後輩いろいろな人に連絡して心からお礼の気持ちを伝えた。
みんな最初にいうのは「ほんとに?」「まじ!!」「嘘じゃないよね!」「びっくりした!!!」「夢じゃないよね!」「報われるって本当にあるんだね!」みんな失礼だなあ(笑)
自分が本当にぎりぎりな挑戦をしたことを改めて実感した。
面接記録を見て、誰もが自分がそんな返答をできると思っていなかったといわれた。そんな意見を持っていると思わなかったともいわれた。
そこには自分もほかの人も知らない自分がいた。
振り返って
このエピソードから思うことは人それぞれだと思う。
もっとちゃんと計画的にやれと思う人も、
再現性がないという人も、
合格できてよかったという人も、いろいろだと思う。
自分は特に言いたいことが3つある。
1つ目は、やっぱり勉強は考えながら確実にしたほうがいいということ。
実は自分は勉強が苦手だったけど時間はかなり確保しているタイプだった。
放課後も部活をして、終わった後。
朝早く朝練をした後。
家に帰った後、これでもかというほど勉強時間はとっていた。
シンプルにやり方が悪かった。
やり方というものを知らないと、
大学生になって自分が本当に学びたいものに出会ったときに、
暗記の仕方、応用の仕方から躓く。
それを継続する体力は、だらだら勉強するときとはまた違う。
そういう意味でもやっておけばよかったと思う。
自分は今身に着けている途中。
2つ目は全部平均を目指さなくてよいということ。
自分は、できないことがあるのがとにかく怖いと思ってしまうことが多いタイプ。
「苦手だからしょうがない。他でカバーしよう」みたいな発想ができなかった。
プライドが高いとはまた違う気がしている。
自分が馬鹿にされるのは別にいいといえばいい。
でも、将来それで困るのは嫌だと思う。
それが原因で自分が生きたい道に行けなかったり、やりたいことができないのも嫌だと思う。
それでこれから出会う人たちに迷惑をかけるのも嫌だと思う。
だからできるようになりたい。
でも冷静に考えてみて。
将来あなたは今周りにいる人たちから離れるかもしれない。
でも、何かしたいと思ったときに完全に一人になることは多分ないんじゃないかと思う。一生懸命やって、礼儀を大切にして相談すればどうにかなることも多いらしい。自分の何回かそういうことがあった。だから、自分は最近自分の得意や好きなことをもっと頑張りたいと思っている。
3つ目は自分で決めたらいいよということ。
実は1度、志望学部を迷った。書道部で熱中していたこともあって、書道の芸術の方向に進もうかと思ったことがある。
その相談を先生にしたときに、「いくらでも相談は乗るけど、最後は自分で決めること」とアドバイスをいただいたことを今でも覚えている。
自分はいろいろ考えて、今の大学を選んだ。
なんか、教育に焦点を当てたほうが楽しそうだと思ったから。
何かを選ぶときに、
なんか楽しそうでもいいのではないかと自分は思っている。
そこには自分の「なんか楽しそう」をカタチにしている人とそれに反応する人が集まるから。「なんか楽しそう」を自分よりも言語化できている人にも出会う。動いている人にも出会う。
そうやって自分の世界は広がっていくのかなと。
最後に
高校時代の自分の一部始終を見ていた友人は、
自分の高校時代を「愛おしい」と表現した。
勉強を諦めない姿が愛おしくてあの中で皆勤賞で学校に来て、
夢だったんだとコロナ禍を言い訳にしないで部活に打ち込んで全国大会を目指す姿が「愛おしかった」と。(自分にもさぼった時期や気を抜いた時期は何度かあるから少し心が痛い。)
そして、「自分も美咲みたいに目指せばよかった。」と思ったから、大学では一回目指すことを大事にしていると。
どんな状況でも、
無理とどうしてもいわれることが多い人がこの世には一定数いて、
自分のそういうタイプであることが幼い時から多いけれど、
自分が信じなくなったらその自分の夢は止まってしまうので、
向かいたい方向に向かうための正しい努力を模索しながら、
自分だけは根拠のない自信でもいいから持ち続けていきましょーって思います!
「無理」といわれるのは、
嫌われているとかではなくてきっと、
わからない部分や知られていない部分もあって。
あと夢は変わっていいし、縛られる必要もないし。
ただ今いる場所では「異」と言われているものが時や場所が違えば「フツウ」の世界があって、
時がたったり深めたりしたら「面白いね!」に変わることもあって、
探せば共感してくれる人もいて、
馬鹿にするじゃなくてintrestingのほうで面白がってくれる人もいるので、ちょっと苦しくても無理しないで、
楽しいことを探してまだまだ生きていったら楽しいのかなって思います!
また、真正面から否定されなくても、
否定された気になったり、無関心に傷つくこともある。
それでも前に進む選択をとってほしいです。
そして、自分はだれにも迷惑をかけないで生きていきたいと思っていたのに、行くところ行くところでいろいろな人にお世話になっている人生です。もうよくわからないです。
でも、自分と関わってくれる方がいらっしゃるのが本当にうれしいです。
自分の人生に関わってくださっている方に心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございます。
最後まで読んでくださってありがとうございます!
応援してます!
自分も何か力になれたり一緒に何かできたりしたらうれしいです!
自分も進みます♪