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魅力ーひとがあつまるところ

人が集まるっていうことをひとはすごく求めているんだということを実感したのは大学に入ってから。すっごく活気というものをほしがる。

自分はもともと人混みやショッピングモールなどの商業施設がそんなに得意ではないから個人的にもそこを特別欲しいと思ったことは少なかったかもしれない。あとは比較的買い物に困らないところにしか住んだことがないと言うこともある。それでも、某カフェなどが家の近くにあったら良いなあと思ったことはあるし、都会の美術館に憧れたことはたくさんある。

先日、東京を訪れた際に「モネ展」を見に行った。前売り券を買っていたが、40分ほど並んで待っていた。
北海道から訪れていた自分は、東京で過ごす40分という時間さえも普段なら惜しいと思う。でも、念願のモネを見ることができるなら気にならなかった。自分と同じように並んでいた人も、前売り券を買わないで1時間以上並んでいた人も似た気持ちだったのだと思う。

並びながら思ったことがある。
すっごく当たり前だけれどこれがもし、自分の展覧会だったら仮にモネ展と同じ集客方法、周知方法をしても、経費を多くかけられるとしてもこんなに人は集まらないよなあということ。
現実では絶対起こりえないことだが、起こりえないことには起こりえないなりの理由がある。起こりえることには起こりえることなりの理由がある。

そして、並びながら思った。
まだ作品を見ていないけれど、モネすごい。
こんなにたくさんの人を行動させるモネすごい。



孤高 想像と静かな破壊

少しモネについて書きたいと思う。
モネが自分は結構好きである。彼の残した言葉。

「私は自分の頭をどこに突っ込んで良いのやらわからない 全てが最高だ、そしてどんなことでもやりたい だから私はたくさんの色を使い果たし無駄にする というのも、試されるべきことがいろいろあるからだ」

「本当に激しい天候か、魚が魚釣りに出かけたときに、私はビーチで広い空の下、過ごす」

私は生まれた時からきかん坊であった。誰も、私をどのような規律にも従わせることはできなかった。私が学んだわずかなことは、みな独りで学んだのだ。

ほかにも言葉はたくさんあるから、是非調べてみて欲しいと思う。モネについて初めて知ったとき、自分はこの人好きだなあと思った。そしてすごく孤高というか、極めることに徹する人なのだと思った。
モネ展に行って感じたが、モネは驚くほどにたモチーフを描き続ける。私の後ろにいた観覧者の方は思わず、「似たような作品が多いわねえ。」とつぶやいていた。
正直、私も思った瞬間があった。あれ、この絵とこの絵は何が違うんだ。
よく見たら分かる、違いがある。
モネは同じ対象でも 時や季節が変われば違った表情を見せる 事を示そうとしていた。そしてそれにモネの表現はそのモチーフがまるでその姿をモネに初めて見せたというかのように丁寧に描かれていた。

モネはこんな言葉も残している。

毎日まだ見ることができなかった何かを発見し、付け加えている。実に苦労は多いが進んでいる。

何かを発見し、付け加える。
これは自分が知っている探究している方々が日々やっていることなのだと思った。ガラッと何かを変えることよりも、日々やっていることを少し良くするということを繰り返している。
何かを発見して、見飽きたことからもまだ何かを発見しようとする。
それは何かと競って良くなるというよりも作品をつくるときのように、まだ見ぬ可能性を見いだすということで、今までやってきたことの土台の上にそれを作り、時に創造と静かな破壊も繰り返すということなのだと思った。

スポーツで例えるなら、今までやってきた作戦を使って勝つことを続けながらも、限られたメンバーで何かをつくりだせないかを今までのテクニックを排除し、個人個人の持つ要素に注目してその間で掛け合わせで生まれるものを思いついてやる。
それは相手に勝つために相手を罵倒するのではなく、自らが高まることで叶えるということである。


「ひとがあつまる」をつくる方法

自分も主催や運営ををしたことがあるので、人を集める大変さを知っているつもりである。そしてそれがいろいろな人にとってすごくすごくボトルネックだということも知っているし、よく聞く。
自分も全然例外ではない。
これが悲しいけれど現実で、そして意外にも自分はこの現実は健全だと思っている。

よく、誰かも誘ってきてよ、なんで誘ってくれないの?連れてきてくれないの?っていう会話をみる。自分は思う。誘って良いよって言う許可が必要なのと同じくらい、誰かを誘いたくなるほどのその場が持つ魅力が必要。
誘った人も誘われた人も将来幸せである事が重要。
だから、つくる側は、外に伝えることをしながらも、モネの言葉を借りるなら”毎日まだ見ることができなかった何かを発見し、付け加えていく”ことが大事。社会は前に進んでいくのだから、現状維持を選択した瞬間それは「後退」を意味する。

場づくり、コミュニティはすごく大事。その気持ちが自分はきっと分かる。
だからこそ、突き抜けることが大事。っていう矛盾しているように見えて矛盾していないこれを自分はもっと捉えて、つくりてとして実践していきたいなあと思う。


競争しながらこの世界を共創しよう

突き抜けるっていうことは怖いと思う。孤独に対する怖さと、盲目的になって周りを傷つけないかという心配だと思う。競争しながら共創するというのはきっと部活のスタメン争いに似ているんだと思う。自分の生き残りとチームの勝利を同時に考える。
また作品づくりとも似ている。
高校時代、自分は書道部に所属していた。
自分にはライバルが結構いた。

自分の作品が伸びたり、部活内の志気が高まったりしたのは、
同期に絶対に負けたくない、後輩に絶対抜かれたくない、先輩や全国レベルの人を追い抜きたいと思い孤独に闘っていたときではなく、孤独に作品に打ち込んでいたときではなく、
アドバイスをお願いしに行ったり、アドバイスをし合ったり、アドバイスをしたりするようになってからであった。
アドバイスをすると言うことは自分の手の内をさらすようで、真似をされたら抜かされるのではないかとビビっている自分が強くいた頃は、そういうことができなかった。でも、それをしていくことで自分は他者から学ぶ事を知り、それぞれが持つ真似したくても簡単には真似できないことがたくさんある事を知り、でもそれをテクニックとしてなら伝えることができることを知り、自分の奥底に持つ魅力にも気がつかせてもらった。
人にあげられるものは、自分も人からもらったものであると思った。
何より自分でもっと探すようになった。


私にとってモチーフそのものは、もはやあまり重要ではありません。私が表現しようとしているのは、私とモチーフの間で展開されるものなのです

これもモネの言葉である。モネが表現しようとしたのは、モチーフそのものではなく、私とモチーフの間で展開されるもの。
つまり変化。
何度も書くが社会は前に進んでいくのだから、現状維持を選択した瞬間それは「後退」を意味する。
過去を過去に出来るものが生きのこる。
そしてその生き残る方法は、しなやかにおもしろく突き抜けることである。
罵倒や蹴落としではなく、自らのレンズを通して気づいた何かを発見して付け加えていくことであり、時に全体像を確認し、自分らしく突き抜けていくことで、人に手渡そうとしても手渡せないものである。
だから競争しながら共創していくことはできると思う。
そしてその過程で「魅力」はできるのだと思う。

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