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home
流行の服で着飾れば 明日には古くなる
それを追いかけるも追いかけないのも
面白そうな方を選べ
その足が踏み出す先に 限りない幸せがあるから
分からない悩みならば 分からなくて別にいい
急がば回れ 知ったかぶりするな 誰しも未完の賜
homeを強要される気がたまにしている。
homeをhomeだと思えない時、「homeと思えない」ともし口に出してしまったら悲しむ人がきっといるから、「homeだ」と言うようにしているときがあった。
でも、それって本当にhomeというもの?
homeの意味ある?
自分は居場所にしても、homeにしても
「ここにいていいよ。」と人から言われるのと
「ここにいたい。」と自分で思うのとでは違うと思っている。
ただこの2つに優劣があるとは思わない。
個人的に「ここにいたい。」と思えることを大事にしたい。
長期的に見てなのか、
短期的に見てなのかはその人次第だし、そのとき次第。
でもそれがその人のその一時の欲を行動に表すことだから美しいなと思う。
その場に根付くかも知れないし、
北の国に行くかも知れないし、南の島かも知れない。
都会に憧れるかも知れないし、田舎の良さを感じるかも知れない。
わからないけど、自分の中でどんどん自分の育った環境と比較対象ができあがっていくのって良いと思う。
毎日違う場所で過ごしてみるのも、
初めましての人と共同生活してみるのも、
発見や気づきがたくさんあると思う。
それを積み重ねて、ふと地元に帰ったときに、
homeと呼ばれる自分の原点に返って、
何かが少しだけ違って見えたり、
怖かったものが怖くなくなっていたり、
大きかったものが小さく見えたり、
目の前にあったものがそうなっている理由を考える事ができたり、
いろいろ過程を経て、
「home」というものを好きになるというか、
ちょっと大切になるというか、
気にかけるようになるんだなあと思った。
だから、好きになれなかったら、
今は無理して追い込んでまで好きにならなくて良いと思う。
でも、自分の育った環境を俯瞰して見たり、
大事に思えたりするのは、
自分に取って良いことだと思うから
いつかできたらあなたにとって良いと思う。
何回も書くけど、無理してっていうことではないと思う。
人間、誰しも未完の賜なら、
この一部分は一旦おいておこうっていう思考は自分は嫌いじゃない。