自分にとって“つくる”ということ
展覧会開催から1週間が経ちました。
開催後、色々なことを考えて、頭を整理しています!
改めて貴重な機会であったと感じたここ1週間。
改めまして、展覧会IPPOに関わってくださった全ての皆様に厚く御礼申し上げます。ありがとうございます!
先日主催させていただいた展覧会IPPO。
今回、私の作品も出展しているのかと聞いていただくことが多かった。
すごく嬉しかった。ありがとうございます。
結論から言うと作品としては今回は出展しなかった。
私自身、作品をつくるタイプの人間である。
つくらないとなんか溜まっていくというか、
この溢れ出る想いをどこかに出したいなあ、
そして共有して外に出したいなあって思う。
つくったもの対して反応があったら嬉しい。
でもそれで何も反応がないのも自分にとってはひとつ、反応がないのが反応で、反応があっても反応でうん。
とりあえず自分の頭以外の場所でカタチになって頭の外側にそれが未完成でもいいからあって、
他のことを考える頭のスペースができるってことが自分にとってその「つくりたい」っておもっているときの自分にとって重要なんだと思う。
(そう言えば居酒屋さんでバイトさせていただいていた時に,まずはスペースを作ってそれから作業しなさいって何回も教わった。時間もそう。何かやりたくなったらまず時間を確保する。なんか似てるな。)
展覧会準備期間にも製作をした。
むしろその時の方がなんか捗った。
(誰にやれって言われているわけでもないのに捗ったっていうのもなんか違う気もするけど)
中でもお気に入りがこれ。
丁寧に描き込んだというよりは、
溢れる何かを色に、線に任せたという感じ。
だから荒い感じもする。
今ならもっと書き込めるが、
なんだかそれはもったいない気がしてこれで完成とした。
でも、すごく格別な作品。
作品説明
小学校1年生の時、写生のために初めてキリンをまじまじと見て、
なんと綺麗な目をしているんだろうと思った記憶がある。
優しくて純粋そうで、自然界でよく生きられるなあと思うほど、
この世の人、もの、みんな味方みたいな目をしている。
純粋そうで、楽観的そうで、ふわふわ。
首が長い,だからなに?みたいな顔をしている。
長い首を生かして生きている。
食べて走って、遊んで、走る。
ただ、キリンは全然、座らないという。
寝るときも立って寝ることで有名だ。
生態的にしょうがないのだが、これを初めて知ったとき、
キリンに「君はいったい何がしたいんだ」と思った。
昼間のふわふわした君からは想像できないと。
そして、そこからすごく夜のキリンの様子を想像するようになった。
昼間にあんなに楽観的な君は、夜にどんな顔をして、
どんな過ごし方をしてなにを思うのだろう。
もし壁にぶつかったとき、どう過ごすのだろう。
そして、そのエネルギーはどうなるのだろう。
夜が明けたとき、君はどう進化するのだろう。
2024.8.8
作品ができた時に、
自分も作品を出品しようかなと迷った。
グループ展というカタチには思入れがあった。
自分の作品を今回出展してくださった方々と一緒に展示するのは面白いかもしれないと思った。
でもなんか違うなとも思った。
自分が今つくりたいのは、もっと頭の中を外側にカタチとして表したいのは
アート空間という「空間」なのではないかと思った。
だからエネルギーをもう一度そっちの方向に吹っ切ることにした。
作品と製作者の方がつくる空間に染まりたいと思った。
その目に見えない力をもっと感じたいと思った。
そして急遽生まれた「ドミノワークショップ」。
後悔するかも知れないと思った。こんな機会めったにないから。
でも最終的に吹っ切ってみてわかった。
楽しかった。
自分にとってつくるということ、
今はどちらかと言えば社会の中に空間としてつくりたいのかも知れない。
その場所では色々な「大切」「好き」「想い」が共鳴する。
色々な人、もの、価値観が交わされる。出逢う、繋がる。
そしてそこで自分もインスピレーションを受け、
また想像を色々な人と巡らしていきたいのだと思う。
具体でまだカタチは浮かんでいない。
でも、多分こういうこと。
※ちなみに80歳になったら、
自分の活動や人生を振り返りながら絵本をかきたい。
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