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呪文の書かれた瓦 奈良県

●急急如律令と書かれた瓦
 (1文字目の急の字は本来は口偏に急)
瓦関係の書籍を何冊か読んでいたときのことである。鬼瓦の写真と共に、以下の記述を発見した。

「急急如律令」と「十種神寳」の書かれた飾瓦(奈良県桜井市)
蔵、倉庫によく使用され、泥棒避けなどに使われる呪文を軒飾瓦に入れている。

こういうのを見つけるとどうしても自分の目で見てみたくなるものである。

私は「急急如律令」、「十種神寳」と書かれた瓦を見るため、そして撮影するため、奈良に向かうことにした。

とは言え、なんの下調べもなく現地に向かったところで、こういった瓦はそう簡単に見つかるものではない。ましてや、民家の瓦なのだから、カメラを構えて住宅地を徘徊することは怪しいとしか言いようがない。

ひとまず、ネットで「急急如律令 瓦」と検索してみることにした。すると、急急如律令と書かれた瓦を大量の写真とともに紹介するブログ記事を見つけた(ブログ名:毎日がチャ〜プト〜〜)。

ブログの筆者の方によれば、この呪文の書かれた瓦は橿原・天理地方に多いのだという。そのヒントをもとに、私はGoogleストリートビューを用いて目的の瓦を探してみることにした。職場では昼休みを利用し、自宅では就寝前にスマホと睨めっこする日が続いた。

その結果、天理市、田原本町、桜井市において目的の瓦を見つけることができた。しかしながら、ブログで紹介されているものの3分の1ほどにとどまった。
ブログの筆者の方のリサーチ力、観察力には敬意を表するばかりである。

いずれにせよ、現地に行くしかない。今回は桜井市三輪と田原本町の浄照寺周辺に絞って撮影を行うこととした。

普段寺社等では躊躇なくカメラを向ける私だが、今回は民家なので現地での行動には気を使ったつもりである。

真夏の炎天下、約16km歩き回った。

以下、その写真を紹介したい。

写真1. 急急如律令(母屋) 桜井市三輪
写真2. 急急如律令(土蔵) 桜井市三輪
写真3. 十種神寳(母屋) 桜井市三輪
写真4. 十種神寳(塀) 桜井市三輪
写真5. 急急如律令(母屋) 田原本町
写真6. 急急如律令および無尽勝和符(母屋)
田原本町
写真7. 写真6の拡大
写真8. 十種神寳(母屋) 田原本町
写真9. 写真8の拡大
写真10. 天圓地法六律九障符神至所萬鬼滅亡
急急如律令
(母屋) 田原本町
写真11. 写真10の拡大
写真12. 天圓地法六律九障符神到所萬鬼滅亡
急急如律令
(母屋) 田原本町
写真13. 写真12の拡大
写真14. 天圓地方六律九障符神至所萬鬼滅亡
急急如律令
(母屋) 田原本町
写真15. 写真14の拡大
写真16. 鍾馗像(急急如律令入り)
(母屋)田原本町
写真17. 写真16の拡大


●急急如律令について
急急如律令については多くの文献で考察されている。私が一番しっくりきた文献を引用したい。

以下引用
「急急如律令」という呪句について述べる時、まず触れておかなければならないのは瀧川正次郎氏の「急々如律令」と題する短編であろう。
氏はその中で、「急々如律令」は元来法制用語で、中国の漢の時代には、律令に明定されていない事項を行下する場合、文末に「如詔書(詔書ノ如クセヨ)」と書き、律令にすでに明定されている事項を行下する場合には文末に「如律令(律令ノ如クセヨ」と書くのが詔書行下の書式であった。そのため中国人にとってはこの句が国家の絶対権力を表徴する言葉のように思われていた。そこで、魏・晋の時代に、教義を整えつつあった道家がそうした民衆の心理を巧みにとらえ、この句を呪符に取り入れた。以上のように解いている。
瀧川氏の見解は大筋において認められるが、最近中国で大量に発見された居廷漢簡や墓券等に「急急如律令」「如律令」が呪句として用いられていることから、公文書かの結句から呪句への転用は後漢末(二世紀後半)まで遡ることが明らかになっている。したがって瀧川氏の見解は若干の修正が必要である。
山里純一 「急急如律令」考 日本東洋文化論集(5) 1999

つまり、もともとは詔書行下の書式であり、呪文としての「急急如律令」は道教に由来するものということになる。
また、別の資料では、日本に伝わった際に陰陽道により朝廷儀礼や魔よけの場面で「鬼よ、早く去ってしまえ」と悪鬼をはらう呪文として用いられたとされる。

おそらく奈良においては、冒頭に紹介したように「泥棒避け」の呪文としての意味も存在するのであろう。
また、写真10-15ついては、文末に「急急如律令」とあることから詔書行下の書式を残すものであると考えられる。

●無尽勝和符について
写真6.7の紋様のようなものは、「無尽勝和符」というもので簡単にいうと、無限に勝利し、平和を保つという意味があるようである。
ネットで検索してみると、平安時代に武士が戦いの勝利を祈願して用いたという。江戸時代には、無尽勝和符は庶民の間にも広がり、商売繁盛や病気平癒の願い事にも用いられたとされる。
民家の屋根瓦に用いられていること、急急如律令と組み合わされていることも納得できる。

●十種神寳について
十種神宝の内容は以下である。
・沖津鏡
・辺津鏡
・八握剣
・生玉
・死返玉
・足玉
・道返玉
・蛇比礼
・八比礼
・品物之比礼
これらの神器にはそれぞれ意味があるようで(ネットを参照されたい)、それぞれが霊力をもつものとされる。これらを総合して、言わば魔除けの呪文として瓦に書き入れているのではないだろうか。
石見国一宮物部神社には、十種神寳御守というものがあるようである。身体の健康と病気平癒の御守なのだという。さらに、伏見神宝神社には十種神寳御守りペンダントがあるそうである。
このように、「急急如律令」が道教や陰陽道に由来するのに対し、「十種神寳」は神道に由来するもののようである。


●まとめ
今回は「急急如律令」、「十種神寳」と書かれた瓦を紹介した。現地を探訪した印象としては、どの瓦も比較的新しいということである。

橿原市の今井町を探訪してもわかるように、奈良の古い民家の鬼瓦には、宝珠、打ち出の小槌、福袋(巾着)、恵比寿天大黒天がデザインに用いられるケースが多い。
したがって鬼瓦に「急急如律令」や「十種神寳」という呪文を書き入れる風習は比較的新しいものなのではないだろうか。実際に、江戸時代からの建物が残る今井町では呪文が書かれた瓦は見られない。

一説によると、橿原市の曲川遺跡(イオンモール橿原周辺)から「急急如律令」と書かれた木簡が出土したため、この地域に呪文が書かれた鬼瓦が多いという話もある。仮にこれが本当だとすれば、相当新しい風習ということになる。

「急急如律令」という呪文を用いる風習は全国至る所に存在する。瓦にこの呪文を書き入れるという風習が奈良のこの地域に限定されていることは不思議なことである。

奈良の古くからの瓦屋さんに話を聞くことができればスッキリするのかもしれない。

このようなミステリアスでロマンがある瓦が見られるところに奈良の魅力、奥深さを感じる。奈良ほど瓦探訪をして面白いところはないだろう。

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