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自分は何者でもない症候群

何者でもない自分
vs
「何者か」になってる人はほとんどいないという現実

著名人が亡くなったあとのニュースを思い出してほしい。
「本日午後未明、作家の○○さんが亡くなりました。○○さんは生前、□□という作品がベストセラーとなり、本屋大賞を受賞しました。
地元では、○○さんを惜しむ声が多く上がっています。
では、次のニュースです。」

この間1分ほどである。

私は衝撃だった。肛門からスイカ捻り出すような苦しみから生まれた作品をたとえ世に出そうとも、亡くなったあとは1分で振り返られてしまう。

その次のニュースが仮に内閣の解散や芸能人の不倫だった場合、視聴者のほとんどはその故人のことなど忘れ去ってしまうだろう。

私はその時、死ぬ前に日記やエッセイ、絵を突然描き始める高齢者の気持ちがわかったような気がした。

この世に何か、自分が生きたなにがしかの証拠を残し、人々の記憶に焼き付けておきたい気持ちに駆られるのかもしれない。
忘れ去られるという恐怖があるから。

だから自分も何か創りたい・残したい
という気持ちもあるが、それが人の心に残らなければ、ニュースに1分間さえ取り上げられずに終わる人生となる。

生きてるうちから、死後の恐怖に怯えずに今を楽しむべきだとは思うが、つくづく私の心って不器用だなあと自身に苦笑してしまう。

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