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大人が苦労話をするある理由
毎度ゴキゲンじゃ。今日はテックトックで観たことをまるで自分で考えたことのように話そうと思っておるのじゃ。というのもテックトックのシェアってこのnoteでは出来なくて載せることが出来ないのじゃ。ちなみに発信元は岡野タケシ弁護士。高卒から弁護士になったとてつもない御仁じゃ。
今日はなんとなく猪熊滋悟郎風の言葉使いじゃ。
大人って自分が若い頃にした苦労話をよくするのじゃが、それを聞かされる若い人からすると、そんなん聞きたくないのになんでそんなこと話すんじゃろと思うじゃろ?これな、ワシはええオッサンが自慢話をしたいだけやと思ってたのじゃが、どうやろそれ以外にもあるらしいのじゃ。で、この岡野弁護士が言うには
若い頃の苦労話が楽しい思い出に変わっているからなのじゃ。だから大人は苦労話をよくするのじゃ。ただそれを言うのが楽しいから話すのじゃ。楽しい思い出だから話しているのじゃ。
逆に、若い頃に楽したことは何も残ってないのじゃ。その時は楽してよかったと思ってるかもしれないのじゃが、それは思い出としても技術としても未来には残っていないのじゃ。いい思い出として残るのは、苦労して取り組んだことだけなのじゃ。
だから、苦労は買ってでもしろ、という感じで岡野弁護士は締めくくっていたのじゃ。
ここまでが岡野弁護士のシェアじゃ。概ねじゃがな。
まあワシがこれ聞いて思ったのは、大人は昔苦労したことが楽しい思い出になってたらええなってことじゃ。こう思えるのは今がそれなりに充実してることでもあるのじゃからな。でも若い人はそれ聞くのうっとおしいと思うから、あまり人は言わずに自分の中で秘めとくくらいでいいのじゃ。そうか同年代と話しちょれ。
子ども(下の世代という意味じゃ)は大人の苦労話を聞かされた時は、まあちょっとでもいいから「苦労は自分のいい思い出になるんだな」て思っておけばいいのじゃ。ちょっといいぞい。苦労を選ぼう、も少し違うとワシは思うしな。
とにかくワシが言いたいのは、
楽しいはどんどん選んでいいが、楽ばかりは選ぶなよということじゃ。
では今日もゴキゲンでいこうじゃ。