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ひいおばあさんのこと

しわしわちゃん、と呼ばれていた私のひいおばあさんのこと。

母の父の母であったその人は私が大学生の頃まで生きていた。あれはいつだったか、下宿で実家の母と電話で話した時、
「そういえばね、しわしわちゃんがちょっと前に死んでね、あんた遠いしお葬式に帰って来んでもいいと思って言わんかったけど」
と何かのついでのように言われ、ああそう、くらいの返事をしながらも、連絡くらい欲しかったのにな、と悔しく思ったことだけ覚えている。

しわしわちゃんはうちの家族みんなからしわしわちゃんと呼ばれていた。ひどい呼び名にも思えるけど、どんなに思い出してもあの呼び方に負の感情は伴っていなかった。呼ぶ方も、呼ばれる方も、たぶん。

しわしわちゃんと夫のひいおじいさんは名字が違った。今でいう事実婚というのか、そういう形だったらしい。昔祖父に聞いたのは、ひいおじいさんは農家の長男だったけど農業が嫌で農家は弟に任せて家出をした、しわしわちゃんは材木屋の三姉妹の長女だったから嫁に出ることはできなかった、ということだった。そういう事情だからか、しわしわちゃんやひいおじいさんの実家だとかきょうだいとは交流はなかったようだし、祖父は知ってたと思うけど私はどの辺にその親族がいるのかも全然知らない。

子どもは、その時代では珍しくなかったかもしれないけど、祖父の上に姉と、幼くして亡くなった兄が二人、弟妹が4人いたから、しわしわちゃんは8人も産んでる。それだけでもすごいと思う。その上その子たちが未成年の頃に戦争もあり、空襲もあり、どれだけ大変だっただろう。きょうだいの一番下の子だけがしわしわちゃんの名字で、他はひいおじいさんの名字だった。

私が小学校低学年の頃、祖父の作業場にしわしわちゃんが来ていたことがあって、うちに来るのはわりと珍しかったから、ひ孫の私たちが呼ばれて、行くと、しわしわちゃんがいつも祖父が休憩しているところに腰掛けて、横に祖父が立っていた。そんなにしょっちゅう会ってなかったから何を話せばいいのかわからなかった。祖父が、
「見ん。しわしわだ、のん」
と言ってしわしわちゃんの右腕をちょっと指先で触ってみせた。祖父の表情は優しく、愛おしそうで、苦労かけたなあと言っているようだった。しわしわちゃんは祖父とそっくりで痩せ型で細長い顔をしていて、骨と皮のような腕に静脈が浮き出ていた。

しわしわちゃんが、
「あんたたち、宿題はあるの?お父さんお母さんに手伝ってもらうの?」
と私たちに聞いた。私は意外な問いに答えられず固まった。私にとって宿題はただの書く作業のようなもので、できないとかわからないとかいうものではなく、もし手伝ってもらうとすれば書いてもらうことになり、そんなことすれば筆跡ですぐ分かってしまう。親から宿題しなさいとか勉強しなさいとか言われたこともなく、一人で終わらせる物だった。音読を聞いてもらうというのはあったけど、それは手伝いとは言わない気がした。

困っていると祖父が、
「なに言っとるだん。この子んとう賢いだもんでわしらが教えてもらうくらいだに。あんたなんか幼稚園の宿題でもわからんかもしれんに」
と言って笑った。それは言い過ぎだと思ったけど、しわしわちゃんも、
「ああ。ほんとかん。へえ〜」
なんて笑っていた。祖父が母親をあんたと呼ぶのにもびっくりしたけど、しわしわちゃんが気にしてなかったのを見ると、あんた、は失礼なニュアンスはなく、あなた、と同じくらいの感覚だったのかもしれない。祖父は子ども時代にしわしわちゃんに宿題を手伝ってもらってたんだろうか?
そのうち祖父が、ひ孫の披露はこのくらいでいいと思ったのか、もう行っていいと言ったので私たちは退出した。

別のある時、祖母がしわしわちゃんを訪ねて行く時に、私を連れて行ったことがあった。私が幼いころ、祖父母は買い物や知人を訪ねるときなどに、必要もなくても私や妹を連れて出ることが時々あった。その日も母に「連れてっていい?」と聞いて私を連れて祖母は出かけた。

しわしわちゃんの家はどこなんだろうと思ったら歩いて10分かそこらの近所だった。なんだこんな近くに住んでたのかと思った。平屋の小さい借家が三つ四つ並んでいるところの一つにしわしわちゃんはいた。祖母は中に入るでもなく声をかけると、ガラガラと窓が開いて、しわしわちゃんも出てくることもせずに窓から上半身を見せて窓枠にひじを置き、タバコを吸いながら祖母としゃべっていた。あのころ喫煙率も高かったとはいえ、女の人でタバコを吸う人は比較的珍しかったから、しわしわちゃんは変わってるなあ、と私は思った。

私はただそこにいるだけですることもなかったから、子どもの目にも家賃が安そうな、こんな小さいとこに住まなくてもうちでも他の子どもの家でも一緒に住んだらいいのになあ、一人が気楽なのかなあ、と想像したり、しわしわちゃんが咳をしたら、タバコなんて吸わなきゃいいのになあと思ったりしながらぼんやり立っていた。祖母の声は時々母の声と間違われるくらい高くて細いのに、しわしわちゃんの声は低くてしわがれてて、まるで祖父や祖父の兄弟のおじさんたちのような声だった。二人の話から、どうも最近しわしわちゃんが風邪をひいてたから祖母が心配して見に来たというところらしかった。まあまあ元気そうなのを見て私たちは帰った。

しわしわちゃんの葬儀などは一番下の同じ名字になった子の家が行って、そこの家のお墓に入ったそうで、私はそのお墓の場所も知らない。私が会った記憶がないひいおじいさんのお墓は祖父が建て、今そのお墓にはひいおじいさんとともに祖父と婿養子の父が入っている。