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午後2時のNHK−FM、渡辺徹さん、笑瓶さん

東日本大震災が来た瞬間も、その数ヶ月後に破水した瞬間も、私はNHK−FMを聴いていた。
あの日聴いてたFMの番組がなんだったか、確かめたい、と検索したらちゃんと過去の番組表があった。日付で検索できて、おもしろい。

私は妊娠中、毎日午後2時から「おしゃべりクラシック」で渡辺徹さんとチェリスト向山佳絵子さんまたは声楽家の澤畑恵美さんのお話を聞いていた、と思っていた。震災の瞬間も聴いてて番組が突然中断したのを覚えてる。

しかしNHKクロニクルとWikipediaで調べたら、震災の日の番組に出ていたのは渡辺徹さんではなく笑福亭笑瓶さんだった。
おしゃべりクラシック(気ままにクラシック)の放送は毎日じゃなく週一回だった。
私の記憶も大概だな、と思った。なんか、大学以後は全部まとめて“最近”の記憶になってるかもしれない。

渡辺徹さんを聴いてたのはもっと昔だったのか。間違いなく渡辺徹さんの声を聞いていた。それが妊娠中じゃなくてもっと前だった、と言われるととたんに、いつ(金曜午後?日曜?再放送で?)どこで(下宿で?実家で?)どう聴いていたかわからなくなる。なぜか私の頭では“渡辺徹のおしゃべりクラシック”と“妊娠中の平日午後”が、十年くらい違う時期なのにセットで記憶されてしまっている。

「よく聴くと、ん?どこか似ているぞコーナー」など、所々は脳内で音声が再現できるくらいなのに。この記憶も当てにはならないけども、私の脳内記憶のラジオではこんな感じ。
「(お便り紹介で)『たとえば、あれをああしてこれをこうして』ちょっと待ってください。たとえば、と言うからにはもう少し具体的に何か言っていただきたいのでございますが、あれをああしてこれをこうして、うーん」
「(似ているぞコーナーを聴いた後)えー、このコーナーはですね、“よく聴くと”ちょっと似ているという音楽を募集しているのでございますが、えー、これはですね、大変申し上げにくいのですけども、同じでございますね。同じ音楽です。カバーと申しまして」
「そのとき向こうから澤畑恵美さんの素敵なおでこが」
などなど。

一方で笑福亭笑瓶さんの気まクラの記憶が薄い。なんでだろう。
笑瓶さんについての記憶は別の思い出にある。
中学の文化祭。平成の最初ごろだから笑瓶さんは何歳だったんだろう。まだお若かったけどテレビにも出ていて有名人だった。田舎の公立中学の文化祭に笑瓶さんとお弟子さんが来て、体育館で落語をしてくれた。みんな初めて生で見る芸能人にわくわくしていた。

前座で出てきたお弟子さんがステージの座布団に座って一つお話をしている間、千人以上の(各学年42人✕9組まであった時代)生徒と教職員が体育座りでぎゅうぎゅうの体育館は、恐ろしいほど静まり返っていた。お名前も、なんの話だったかも、覚えていないけど、落語であり、笑えるはずの話だったと思う。
なぜだろう。真面目そうなお弟子さんの緊張が伝染してしまったのか、なんだったのか、身動きするのもはばかられるほどシーンとしていた。固唾を飲んで、という表現があるけど、静かすぎて私は唾を飲むことさえできなくて苦しくなっていった。笑いたかったし笑ってあげたかったから、笑いのきっかけを求めてみんな真剣に聞いていたけど、その真剣さがますますの静けさと緊張感につながってしまっていた。

静寂のまま前座が終わり、拍手の中、その人が引っ込んでいき、笑瓶さんが出てきた。笑瓶さんは最初に地元の方言について話し始めた。「行こまい」というのが一緒に行こうと言う意味なのは、標準語で「何々するまい」が否定の意味なのと逆のように聞こえる、ということや、「そうだら〜」の完璧に地元民アクセントでの真似、話し始めてものの数十秒で体育館中が大爆笑になった。さっきのお弟子さんの精神が心配になるくらいの、すごい違いだった。あのお弟子さん、落語家になれてたら、落語家じゃなくても楽しい人生を歩まれてたらいいなあ。

渡辺徹さんも笑瓶さんもまだ若かったのに亡くなられてしまい、さみしい。地球ドラマチックのナレーションももっと聞きたかった。でも、たくさんの人にこんなふうな楽しい記憶として残っているのだろうな。