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結局人生お金の問題なんだろうか

このごろぼんやりと思ってること。
人生どうしようか、この先どう生きようか、と考えるときに、結局問題は経済的なことなんだろうか。

振り返ると、二十代の私は、時給700円✕5時間✕週4日≒月7万円、くらいの中から国民年金を払い、母に食費を少々渡し、実家ぐらしをしていた。その当時思っていたのは、一生これでやっていけるわけがない、この生活から抜け出したいということだった。

でも社員の仕事は少ない氷河期、そもそもフルタイムで働く体力がなく、しばしば応募条件になっている普通免許も持っていないし免許取得を家族に反対されてるし自分も取りたくないし、実家は中くらいの田舎で徒歩や自転車や電車で通勤できる範囲は限られ、都会に出て一人暮らしするにはお金も気力も足りず、新卒じゃないと採用されないと言われる時代、など突破口は見出せなかった。

そのうち友人などに子どもが生まれたことが続き、そうだ、私も産めるうちに産まなくては、子どもがいなかったら親が死んだあと寂しすぎる、と思うようになり、就職はひとまず横において婚活優先に。

幸いにも結婚も出産もでき、この十数年は子どものことに夢中で楽しくて、自分の人生について考えることがなかった。

最近暇なんだろうか?

いや、暇じゃないけど、もう50近くになるからか、考えてみると、例えばどこかへ移住したい、とか何かをしてみたい、とかふと思ったときに、それは今の夫の会社員給与で回している家計でできることなのか?それで足りないなら自分で稼げるのか?時間はあるのか?ということがどうしても出てきてしまう。

夫は結婚当初から、外で働きたかったら出ていいよ、と言う人だった。私が外で働くかどうかはどちらでもいいと。私が専業主婦なのは私の体力的に家事育児だけでいっぱいいっぱいだから。

月数万円でも私が自分で稼げたら、例えば北海道に住んでみたいという夢も、引っ越し代や家賃が出せるのになあ、と思ったりする。

「専業主婦って袋小路だった」
と言ったら夫も
「そうだろ?」
と言ってたけど、夫だって会社の給料という限りあるお金でやっていくしかない。

もし私が稼ぐ妻だったら、今より給与が下がるけど転職する、という選択だってできたかもしれないけど、私が無収入だから家族の生活水準を保つためには今の会社にいるしかなかった、というようなことが夫にも生じている。

もうちょっとお金があったらなあ、と世の中の大部分の人は思って生きてるんじゃないだろうか。別に豪遊したいんじゃなくて、怠けたいのでもなくて、ただ、ちょっと高いけど読みたい本、ちょっと遠いけど行きたい場所、ちょっと習ってみたいこと、などが気軽に出来るくらいの、もう少しの余裕があったら。

欲望にはきりがない、生活できてるだけで幸せ、などの反論も自分の中から湧いてくるけど、学生時代に後輩の子たちからもらったメッセージカードに印刷されていた言葉、
“あなたはどこにでも行けるし何にでもなれるのです”
のような、自分の人生を生きてる気持ちでいるには、ぎりぎり生活できるだけの経済状況では窮屈だと思う。

テレビで女性の年金の特集をやっていて、同年代の女性が生活が厳しくて「老後は生きてるだけになるのかなあ」と言っていた。そんなの悲しい。

それどころじゃない酷いことが世界ではいっぱい起きてるけど、みんな何か楽しみがあって希望が持てる世の中を願ってる。