岐阜、静岡旅(後編)
所有の車は軽の自家用車で、近所のスーパーの買い物や、家族を近くの駅に運ぶ役目に利用され、一つの街を出ないで一生を送るにふさわしいような車であるが、燃費ばかりはすごぶるいい為、この車で旅すると様々な不都合から燃費の分を差し引いたら、まあまあ満足できる結果となる。
四泊中三日車中泊と前に書いたが、移動しているうちにキャンプ場の予約をするのが面倒になってくる。事前に計画を丹念に練って安いキャンプ場を一つ一つ探してから出発すればいいのだが、ちょっとめんどくさい。無精なので、チェックイン間際に周辺の格安キャンプ場を探したりしているが(意外に地方だとギリギリ行ってもOKな場合がある)
キャンプ場も点在してるから、次に行きたい場所の最短を取って、さらに安い値段で、などと考えていると頭がこんがらがってくる。こういうときに便利なのが車中泊だ。
車中泊する場所を決めるときはグーグルマップを開き、次の目的地付近の公園や川沿いにたいていPマークが付いているのでそこへ行く。一度川沿いの高架下で車中泊してホームレス気分を味わってからは、そこはあまりの惨めさに避けるようにしているが、今回は町の中心から少し離れたやや広めの公園にPが付いていたので向かう事にした。コンビニで適当に晩飯と酒を買った。数年前、車中泊してる時に駐車場で自炊を敢行していたら、同じ駐車場の運ちゃんたちから妙な視線を喰らったので、それ以来、車中泊自炊は封印している。確かに駐車場で火気は危ない。それにホームレス感は、なかなかある。
今夜泊まる公園は、野球場が隣接されている大きな公園で、駐車場から歩いていける距離にトイレと自販機があった。しかも今のところ一台も車が止まってない。完璧だ!と思い車を停めた。
ちょうど12時も過ぎた頃、酔も覚めてきたので寝ることにした。日除けの銀の反射板をフロントガラスに取り付ける。バックガラスにはカーテンのような素材で吸盤でガラスに取付けられ、これは襞のある布が真ん中から二つに分かれ、開くと先が見通せるようになるというもの。この機能の必要性の意味が分からなかったけれど、デフォルトでこの遮蔽カーテンを付けて、いざとなったらカーテンを閉めるという意味かということをあとになって理解した。
サイドには四枚入りのややうっすら中が見える素材のマグネットで付ける中国製の遮蔽シートを付けている。数年前マグネットが弱いのか、朝起きたら四枚中二枚が下に落ちて中が外から丸見えになっていたことがあったので、こいつらは無理矢理、窓に挟んでいる。
それから、運転席側と助手席側の頭に当たるクッション部分を取り外し、助手席側の足元に置く。座席を最大限ハンドル側に移動させたら、背面のシートを倒し後部座席と極力水平にする。このまま寝ると頭が後部座席のへこみで寝れないのと、サイドブレーキが足にぶつかって寝れないので、へこみ部分にはフリースを丸めて嵩上げし、サイドブレーキの上に寝袋の下に敷くマットを敷き、前の座席の座面と背面の間の段差をやや滑らかにする。これで一泊泊まれる準備は整った。あとは寝袋と運転中腰に当ててるクッションを枕に使えばいいだけ――
寝袋に入ってからすぐに眠りに落ちた。
白い光が目の辺りを探るようにチラチラ光り、朦朧とした意識で光の先を追うとその光は車外から放たれ、顔のそばの光の源の後ろに黒い影が二つゆらゆら揺れた。
「すみませーんどなたかいますかー警察でーす」
「はい…今行きます」
車を出ると、ずんぐりした背の低い浅黒い(夜だったからそう見えただけかもしれないが)三十代くらいの男と二十代前半のひょろりと背の高い眼鏡をかけた生真面目そうな警察が立っていた。
「すいません、お休みのところ、今この辺りを巡回してたんですが、こんな所行っても誰もいないだろうなんて話してたんですけど、本当にいるとは思いませんでしたよ。エヘヘ…」ずんぐりした方の警察が妙に愛想よく話し出す。
「そうですか」
「中には行方不明で届けが出ている人もいましてね
、先月なんて、これ」両手を首に当てた。たぶん、自殺の意味だろう。
「なので申し訳ないですが免許証拝見してよろしいでしょうか」
「ええ、かまわないですよ」
私が免許証を出すと、若い方の警察が機械を取り出し、何か照合している。
「行方不明届は出てないみたいですね。いやあ本人の知らないまま実は届けが出てたってことがありましてね。ハハ。すみません、お兄さん、簡単に車内をチェックさせてもらってもいいですか?」
「ええ、別に何もないので構いませんけど」と言ったとたん急に腹が痛くなって来た。山の水にあたったのか、突然の警察の急襲に内臓がひっくり返ったか。
「ちょっとトイレ行って来ていいですか」と私が言うと「ちょっとその前に簡単に身体検査させてもらってもいいでしょうか」とずんぐりした方が言う。奴は私が便所で違法薬物などの証拠を捨てないか危惧しているのだ。「構いません」と言ってズボンのポケットを全部出した。「はい、結構ですありがとうございました」私は急いで便所に駆け込んだ。
便所から車に戻ると、若いひょろりとした警察が車に上半身を突っ込み、車内のものを掻き回している。時に車内の暗闇にライトが光ったり消えたりしている。しばらくして気が済んだようだ。
「他にも警察が回ってますのでまた来たら〇〇署の何某が来たということを言っていただければと思います。どうもお休みのところお邪魔しました!」
「ご苦労さまです」と言って車内に入った。
こんな夜更けにとても元気そうに帰って行ったものだ。でもまた警察に起こされたらたまらないと思った。ニーチェの永劫回帰のような、ふたたび寝ては警察の光で起こされるシーンが延々と続く様を想像した。
しかし寝袋に入ると意外とぐっすり眠りについた。
朝起きると広い駐車場に一台、それも私の車の隣に停まっているから驚いた。昨夜の警察のイメージが浮かぶ。こいつ探偵か何かじゃないだろうな。黒いサイドの遮蔽シートから相手の顔を観察する。どこにでもいる顔だ。まったく印象に残らない顔だ。たぶん便所が近かったからここに停めたんだろう。他にも停める所があるだろうに、なぜわざわざここを選んだんだ。
法多山尊永寺はここから近い。観光サイトに挙がってたから、行くことにした。あとで知ったのだがどうやら厄除けで有名らしく、まさに私自身今年は『本厄』が降りかかっている真っ最中なので、いくらかの御利益を期待したい。
車を寺の敷地に入れようとすると、エプロン姿の日に焼けたお婆さんが手を上げて待ち構えている。ここに入れろという事か。お婆さんが立つ建物の前に駐車場した。
「駐車料金は百円ねー、本堂まで一キロ坂を登ります 、帰りは団子屋を通ってここへ戻ってきます。いってらしゃい」とお婆さんはパンフレットを手渡しながら『一キロ』にイントネーションをおき、一息に言った。おそらく一キロに驚いて欲しいのだろうと思った私は、一キロですか!それは大変だといった風にわざと驚いてみせた。
参道入口をしばらく歩くと蕎麦屋や土産物屋並び中でも目を引いたのは釘で打たれたパチンコが200円でちょっとやってみたかったがやめておいた。大昔パチンコ屋で釘のパチンコを打ってみた事がある。釘の弾力で玉が飛び跳ねる様が面白い。下の方の釘が微妙に開いている所にパチンコの玉が入ると興奮したものだった。
だんだん、登るにつれ参道の右を小川が流れ、鬱蒼とした高い紅葉が辺りを山深い印象に変えていく。すると目の前に仁王門が現れた。
普通、お寺では門をくぐった後に、建物が続くから門の印象もどこかで薄らいでしまうが、法多山は仁王門をくぐってから、建物がない参道をしばらく歩くので、仁王門は独立した建築物のようにそびえ、それだけで厳かな風格を漂わせている。国の重要文化財。
ふたたび小川沿いの参道を歩く。カエデ並木の足元にはシャガやアジサイが植えられている。途中で黒門というその名の通り黒い門をくぐり階段を上ると寺の中心に出る。写真を撮らなかったのは惜しいが、素晴らしく手入れされた松が三本ほど生えていて、その一本などは懸崖の松のように石垣の上から空間に向かってせり出してきていた。
寺の建物の前をいくつか通り越して奥へ進むと、さらに急な階段になっている。その階段を登り切ると本堂へ着く。ずいぶん空に近づいたなという感じがする。
お参りを済ませ、神社の方にも行って参拝する。
厄払い団子も食べ、お茶もあんも深みがあって、美味しくいただく。
参道を下り、車を出そうとすると、建物から今度はお爺さんが出てきて車を誘導する。この役割分担はどうもフェアじゃない感じがする。亭主関白なんだろうか。人の家庭の事情は深く考えないようにしよう。
結構城が好きだ。旅行に行くと必ずといっていいほど城に行く。そこの領主が分かると歴史のなんとなく知ってる部分が明確になって、歴史と自分が城を通じて近づく感じがする。石垣や濠や城の壮麗たる姿を見るのは心躍る。
今回訪れたのは掛川城だ。戦国時代は山内一豊が十年間いたようだ。何かミニマムな美しさを感じる城だった。無駄な装飾を一切廃した感じがする。東海の名城と呼ばれているそう。駐車場を変な所に止めてしまって、正門から入れなかったのは悔やまれる。
天守閣は最上階まで登れるようになっていた。階段の一段が普通の階段の倍くらいあって設計ミスを疑ってしまうのだけれど、この高さの意味なんだろうと今でも疑問に思う。早く昇り降りする為か戦と関係する何かがあるんだろうか。考えても分からない。最上階まで昇ると、風が吹き抜け心地いい。眼下に掛川市が見渡せる。
二の丸御殿も国の重要文化財になっていて、実際に山内一豊が政務を行った部屋を見る事ができ、武将らがずらりと並んだ姿が目に浮かぶようだった。
御殿も侘び寂びを感じさせるとても美しい建物だった。
そのまま国道1号線を東京方面に上り駿府城にも行ってみたが、何もないだだっ広い公園で、天守閣は発掘調査で大きくバリケードが張り巡らせていて、あまり面白くもなかったから、帰路に着きつつ下田に寄って見ることにした。
静岡は横に長く動脈のような国道1号線が名古屋まで延びている。この国道1号線は上下線ともに二車線で、東京から関西方面へ抜ける物流を担う大型トラックが走りやすいように、幅も広くつくられている。だからこのバイパスでは平均的に75キロくらいのスピードで走ってくれるので、ストレスなく早く目的地に到着する。さらに天気のいい日は右手に太平洋(か駿河湾)正面に富士山を仰ぎながら走ることができるので気持ちいい。
三島から伊豆半島を南下して途中浄蓮の滝にふらりと寄る。急な階段を下った先に浄蓮の滝はあった。滝の裏側がとても大きな洞窟のようになっていて、滝よりそっちが気になってしまった。あそこにテント泊したらどうだろう…。しばらく鮎釣ってワサビ齧りながら生きていけるかな…。
下田のペリー来航の碑が建っている場所に着いた。下田開港の地に立つのも歴史的気分になっていい。日米和親条約で下田は開港された。ちょうどここは入り江になっている。きっと黒船はもっと視界から離れた沖の方で錨を下ろしていたんだろう。そこから小さな船に乗り換えてこの岸までペリーを乗せた船は辿り着いたんだろう。ここから近くにはペリーロードという時代を感じさせる建物が建ち並び、その先に了仙寺があり、このお寺で下田条約が結ばれたそうだ。なんとなく歴史の一員になった感じがする。すなわち日本人のアイデンティティが沸き立つ感じ。
今は夕方近く、日暮れも近い。家に着くのは夜10時か11時くらいか。旅の終わりは哀しみが漂う。土地への愛着があったからだ。コンビニの光が眩しい。コーヒーで目を覚まし、家に向かって走り続ける。
「さようなら岐阜、静岡!さようなら!」