生き物を飼う楽しみ
あなたは生き物を飼ったことがあるだろうか?新しい趣味を始めてみようとか、寂しいから何か生き物を飼ってみようとしている人にとって注意事項や何らかの参考となる考え方が得られれば幸いである。
動物行動学のコンラート・ローレンツによれば、生き物を飼う事には2つの状態があるらしい。(ソロモンの指輪より)
1つはその生き物が本当に健康な状態を維持して生きている、つまりちゃんと飼えている状態だ。
もう1つは飼い殺し、つまり現状生きてはいるがその生き物にとっては充分な環境とは言えず、じわじわと死に近づいている状態だ。
これまでに子供の頃から何度も生き物を飼っては死なせてきた私にとっても耳の痛い話だ。私は経済力や家の広さに余裕があって犬や猫を責任と愛情を持ってきちんと管理するタイプの生き物飼いではない。山や川、池などから突発的に生き物を拉致してきては不適切な環境下で死に至らしめてしまうタイプである。これまで飼い殺ししてきた生き物は昆虫や甲殻類、魚、両生類など多種多様だ。好奇心には勝てない。それに、飼う前は必ず、自分はその生き物を立派に飼えると根拠もなく信じているのだから救いようがない。
もちろん、うまく育てられたこともあるが、生き物にとって本当に充分な環境であったのか疑問が残ることがほとんどだった。野生の生物を無理やり人間の住む環境に連れてきてもうまくいかないのは当然かも知れないが。
人間ももちろん、生き物なので、生きるのに必要なのは「衣食住」と言われている。これは他の動物にも当てはまる。
衣は衛生状態や温度管理、食は餌、住はそこにいても元気に動けるスペース、広さや温度、湿度、水質などだ。
生き物を飼う上で必要なものは次の通りだ。飼い始める前にチェックリストを作ると良いだろう。以下、私の失敗から生き物を飼うのに必要な考え方を列挙していく。
◎充分なスペース
スペースとはその生き物が餌を食べたり運動したり、休んだりする所を含む。そのため、想定されるより少し広めにとっておいた方が無難だ。そして空を飛ぶ生き物は上級者向け。基本的にモモンガやコウモリ、トンボや蝶の成虫など空を飛ぶものはかなりの広さを必要とする。ただし、飛ぶ生き物も、ブンチョウのように人になれている鳥ならば可能だ。また、面倒事が増えるのは多頭飼育だ。
喧嘩や捕食などにより、せっかく飼っている生き物を失うことがある。私は飼ったことはないがハムスターは共食いをするらしい。喧嘩を始めたら別々の檻に隔離する必要がある。
特に多頭飼いの恐ろしさは水槽にたくさんの生き物を同居させようとした時に実感した。池の水をテキトーにさらってきてミニアクアリウムを楽しもうと思ったのだが、小魚、ヤゴ、カゲロウの幼虫、ザリガニの子供、小型のエビ、ケンミジンコ、藻、植物プランクトンなどがいっぺんに入っていたから大変だ。弱い、小さい生き物は次々と補食された。最後に残ったのはザリガニの子供、そして魚だった。アメリカザリガニを見落としていたために、水槽の生き物はほとんど食われてしまった。最強の王者だ。藻は日光が足りずにいつの間にかいなくなったし、昆虫やプランクトンの類いはわずかなケンミジンコをのぞいていなくなってしまった。生態系というのがいかに絶妙なバランスで成り立っているのかを思い知らされる出来事だった。
―スペースの考え方―
・喧嘩する生き物→隔離する為の余分の飼育ゲージ、あるいは喧嘩しても隠れてやり過ごせる隠れ家(ザリガニの場合は植木鉢を半分に割ったもの、とか何でもいいから隠れる穴や隙間)が必要
・水の生き物→呼吸に必要な水の量+喧嘩してもお互いを傷つけない充分な広さ。(追いかけた魚と逃げた魚がいる場合、逃げた魚が壁際に追い詰められて噛まれたりしなければ、無傷で逃げたり隠れたりすれば大丈夫と言える)そして不測の事態で2、3日家を空けても大丈夫な大きめの水槽を。
◎衛生状態
生き物というのは何も、目に見えるものばかりではない。あなたが水棲の生き物を飼うとき、同時に小さなバクテリアもまた、"飼っている"のだ。バクテリアは生き物の食べ残しを分解し、酸素を消費する。ただし、あまりにバクテリアが増えると水槽の中が酸欠になって魚も死んでしまう。そういうことを含めて水槽の広さを想定しないと飼うことはできない。こまめに水かえをすれば問題はないが水かえがあまり頻繁にできないならば広めの水槽が良い。
陸の生き物も同じだ。衛生状態の重要性は蚕を飼った時に実感した。幼虫の時は50匹を飼育し、1日二回、餌と糞掃除をした。清潔を心がけて無事故、無病で熟蚕になったのだがここで問題が発生した。蚕には幼虫の時期と繭を作って蛹になる時期がある。「蔟」(まぶし)という繭を作るための枠を入れてやるのだがこれがけっこうかさばる。50匹分の繭を用意して水槽に入れるともう、手を入れる隙間もない。繭を作り始めている蚕と、餌を食べている蚕が同時にいるという事態になってしまった。糞掃除をしようとすると繭を作っている蚕を邪魔することになる。結果的に糞掃除を断念し、6匹の蚕が病気で命を落とした。真っ黒になって異臭を放っていたのでバクテリアやカビの繁殖による酸欠状態で徐々に弱ってきたのかも知れない。あるいは細菌の感染による死亡の疑いもある。もっと広い水槽、あるいは水槽以外のもの(蚕棚というものがある)で飼うべきだったと反省した。飼育スペースは生き物だけでなく、自分にとっても管理しやすい大きさや形がある。
―衛生状態に関する考え方―
・掃除と生き物のライフサイクルの両立ができるか
・掃除が行き届かない場所や時間はどれくらいあるか
・掃除の時に生き物に過度なストレスを与えていないか
・掃除中に事故や脱走の危険は無いか
・掃除中に一時的に隔離しておく容器やゲージはあるか
◎温度、湿度
生き物を飼うには適切な温度がある。犬や猫、鳥には体温調節をする機能が備わっていて人間同様の温度や湿度に耐えることができる。犬は特に寒さに強いものがいる。恒温動物(こうおんどうぶつ、同じ体温を維持できる動物、という意味)
ところが、体温調節ができない生き物がいる。魚類、爬虫類、両生類、節足動物、昆虫などだ。これらは変温動物という。自分の体温は周りの温度に合わせて変化する。熱帯魚と違って昆虫や爬虫類は寒さに耐えられないというわけではない。寒くなると冬眠してやり過ごそうとする。餌を食べず動かなくなる。ただしあまり急激な気温の変化には冬眠の準備が追い付かないで死んでしまう。また、氷点下には耐えられない。
このような、変温動物や熱帯にすんでいる恒温動物には適切な温度や湿度が飼う生き物の種類によって決まっている。そのため、ヒーターやクーラーなど、温度管理ができないと飼うことができない。また、昆虫など体が小さな生き物は乾燥に弱いので湿度が低くなりすぎると死んでしまう。西日の日差しが強く当たる部屋や直射日光は暑さによってぐんぐん水分を奪ってしまうので注意だ。
―温度、湿度に関する考え方―
・あなたが飼う生き物は恒温動物か、それとも変温動物か
・その生き物にとっての最適の気温や湿度を把握しているか
・生き物を飼う部屋の1日の温度変化をある程度把握しているか
・日差しはどのように差し込んでくるか
・ヒーターなど熱源をつかう場合、熱源と生き物が直接接触する危険が無いか
・暖房機器の事故や落下の危険が無いか
・水などを使って保湿する場合、生き物と水、そして餌と水が直接ふれてしまわないか
◎餌
餌やりは生き物を飼う上で最も楽しい醍醐味である。自分のペットがもりもり食べるのを見るのは本当に幸せなひとときだ。
その生き物が何を食べるのかや、餌の調達方法は生き物を飼い始める前に把握しておくのが良い。ペットに適した生き物はペットフードなどが市販されているのでさほど困ることは無い。問題は元々野生動物だった生き物である。例えば野原で見かけた見知らぬ美しいイモムシを連れてくるような場合、昆虫図鑑や植物図鑑が欠かせない手がかりとなる。自分にとっては未知の生き物を1から調べて飼うのだから。
餌やりに関する最も多い失敗は餌のやりすぎによるものだ。特に水棲生物に関しては必ず生き物が食べきれる量を把握してそれ以上はやらないことだ。水が汚くなる原因にもなる。ただ、これがなかなか難しい。毎回餌を計量して食べ具合を観察するしかないだろう。記録して経験を積むしかない。
記録するのが面倒な人は、食べている様子を観察して満腹かどうかを見極めると良い。ただしこの方法には欠点がある。肥満だ。例えば野生のライオンは1週間近くを何も食べずに過ごす。空腹が日常であり、狩の成功率は空腹が増すほど上がると言われている。もしも食べる量を食べるだけ与えていたら…?たちまち太って健康を損なってしまうだろう。街中でも時々、肥満猫や肥満犬を見かける。早死にするのでやめて欲しい。これは生き物によって違うので飼う前に調べてみる必要がある。昆虫の場合は食べるだけ餌を与えても大丈夫だった。
―餌やりの考え方―
・飼う前に食べる餌と餌の調達方法、それから餌の保管方法を確認する(常温か、冷蔵か、冷凍か)
・餌をやる時は計量して記録しておく
・毎回食べきれる適量を与えて、食べ残しの腐敗をできるだけ少なくする
・食べ方を観察して、よろこんで食べているのか、仕方なく食べているのかを見極める
・生き物によって空腹状態(腹八分目)が必要な種類もある。
ここまで読んできて生き物を飼うってめんどくさいんだなぁーと思われたかも知れない。じゃあ、生き物を飼っている人は皆、こんな苦痛や煩わしさを含む行為をなぜ積極的に行っているのか不思議におもわれる方もいるかも知れない。答えは簡単だ。それを上回って生き物を飼うというのは魅力的なのだ。というか、その煩わしさこそが楽しいのである。
―最後に―
◎人間を飼う
以上、生き物を飼う衣食住を考えてみた。だがこれは生命を維持するための必要最小限だ。独房と同じで、ずっと入れといたらいつかは死んでしまうものもいる。飼い殺し状態だ。多かれ少なかれ、どの生き物にも必要最小限以上の必要がある。幸せに生きて繁殖し、死を迎える、一連の命の流れができる為には必要最小限では足りない。例えば動物園では、ゴリラが一頭しか檻にいない場合、孤独死を防ぐためにテレビをつけている。
その最たるものが人間だ。不要不急のたわいのない会話、不要不急の遊び、不要不急の音楽、不要不急のライブ、不要不急の演劇、不要不急の野球観戦、不要不急の芸術、そういったものが不可欠なのだ。外に出よう!不要不急の人生を満喫しようではないか。
さて、「人間を飼う」というとちょっぴり犯罪の匂いがするが、私はここで問いたい。
―人間は野生動物ですか?―
もしもあなたが独り暮らしで、仕事、もしくは学校と家の往復で生活しているとしたら、あるいは仕事以外の時間は狭い部屋でずっと面白くもないゲームばかりしているとしたらそれは危険信号だ。それは独房の囚人と同じである。すぐに精神や身体に不調をきたしてくるだろう。他にもSNSに投稿していいね!をずっと待ち続けたり、「友達」の投稿を精神衛生に悪いとわかっていながらチェックし続ける。面白い、楽しいという感情などもはやなくなり、単なる作業と化している。意味の無い作業と最低限の衣食住の繰り返し。その中で自分で自分を飼い殺しにしている。何もかもが面倒くさい。いわゆるセルフネグレクトというやつだ。だがそれは本人が悪いのだろうか?セルフネグレクトになったのは社会的要因や環境の中に、その人が生きていくのに必要なものが無かったか、あるいは生きていくことを阻害する要因があったからだ。自己責任論ばかり飛び交う世の中だが、人間というのは人間が手をかけてやらないと生きてはいけない家畜のような弱い生き物なのだ。無人島で暮らしているのでない限り自分の力だけで生きている生き物はいない。
いきなり重い話になったが、ともかく生き物を飼うことは人間を理解する上でも役立つと思う。人間だって生き物だ。生きているからには、本当の意味で生きている場合と、(現状生きてはいるが)飼い殺しでじわじわ死んでいる状態もあり得る。まずは飼い主が健康でなければ生き物は飼えない。生き物の健康管理と共に、スケジュールをしっかり組んで、自分の睡眠や栄養管理、精神的なメンテナンスもしっかりやっていきたいものである。そして時には人を頼ることも大切だ。
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