幽霊について2

あなたは幽霊を信じますか?
オカルトや占い、スピリチュアル、霊能者など、この世には嘘かまことか、しかし熱心な客を集めている商売がある。身も蓋もない見方をすれば共通点は原価があまりかからないことだ。原価とは、その商売をするための“もとで”や材料費のことである。魚屋は魚を仕入れるのにもとでがいる。医者は医学書を買って勉強し、医療機器を買って治療に使う。高額な機材や原料を必要とする商売ほど、サービスは高額になってゆく。歴史家は古文書を買って読み漁るし、ジャーナリストは海外に出かけて行って取材する。どんなものにも“もとで”は必要だ。
一方、思想家や占い師、弁論家、宗教家はそのようなもとでを比較的にあまり必要としない。情報のソースは「自分」というわけだ。しかし当然、当たる占い師は客がつくし、当たらなければ離れていく。自分の腕次第、ということになる。自分が生まれついて持っている霊感やひらめき、あるいはハッタリでお金を稼ぐのである。

さて、幽霊の持ち味とはその不確実性、不確かさにあると、前回述べた。
幽霊について

•不確実性と確実性について

もしもあなたが払ったお金に対して確実に元が取れるような買い物がしたいのならば、不確実な商売をしている人にお金を払うべきではない。ちゃんと海外に取材に行っているジャーナリストの記事を読むとか、“もとで”や原価、人の労力のかかっているものに対してお金を払うべきである。

ただし、呪い師の類いに原価がかかっていないとは言わない。例えば韓国の巫女、ムーダンなどは様々な楽器や呪術に使う道具を買い揃えていて、原価がかなりかかっていそうである。私は映像でしか見たことがないが、単なる呪術というよりも、芸人としての側面もあるようで見ていて楽しいものだ。もしかしたらそもそも、芸人のルーツがアミニズム信仰のようなところにあるのかも知れない。イザベラ•バードの朝鮮紀行には、朝鮮の人々が長い歴史の中で鬼神崇拝を続けていることや、ムーダンの風習について書かれていて面白い。

こういう、楽しい気持ちになるとか、ご先祖様に感謝するとか、心の平穏を得るとかそういうことに関しては、具体的な数字で示すことはできない。確実なもの、例えば衣食住などを支える物質が人間の生活を支えているとするならば、不確実な儀式やおまじない、葬儀や墓参りなどが人間の精神面を支えている。

•地盤のしっかりした不確実と、しっかりしていない不確実がある。

一方、ギャンブルにハマる大富豪や占い師に入れ込む政治家は悪い意味で不確実性の餌食になっている。“物足りなさ”とか“不安”につけ込まれて、不確実な商売に自分自身が飲み込まれてしまった。満たされない精神面を不確実なもので埋め合わせしようとしたがうまくいかなかった例だ。誰が言い出したかわからないが「人の不安は飯のタネ」なのである。

•良くない精神状態の時は悪いものを自分から引き寄せてしまう

もしも、この世に悪霊が存在するとすれば、彼らが好むのは弱っている人間に違いない。悪霊なんてものがいないとしても、依存心が強く、根拠の無い自信にすがろうとする人は付け入るスキがある。心のスキにつけ込まれて悪巧みに利用されてしまうのだ。自分からは努力はしたくないが地位やポジションが欲しくてたまらない人は他人を蹴落として這い上がろうとする。そういう人間のメンタルは、俺には、私には「運が向いてくれる」とか、いつか偉い人が自分の努力を認めてくれて出世のチャンスがある、と思い込むクセが付いている。別に根拠はないのだが。そしてタチの悪いことに、劣等感やコンプレックスがそういった思い込みをより強化してしまう。無意識のうちに心の中の足りないものを埋め合わせしようとしてしまうのだ。埋め合わせ、というものが一番危険だ。無いものはない、と諦める勇気も大切だ。一度開き直ってしまえば楽になることもある。

•自分の中に根拠を持つことで人間は強くなれる

夢や目標を持つ人は強い、努力する人は強い、なんて言うが必ずしもそうではない。人間の成長過程において、思春期やその直後は根拠の無い自信を持ちやすい。夢にあふれていて全能感にあふれている。何でもできる気がする。若いうちはまだ、親の庇護の元で日常がこなせていた名残が残っている。強いバックアップが存在した時の強気の名残りなのだ。そういう自信はいずれ不要になる。代わりに必要になるのは根拠のある自信だ。自分自身の努力とか身につけたことなど。ただがむしゃらに努力するのは精神力を使ってしまう。根拠のある努力をするためにはまずは己の実力を正しく知らなければならない。「これくらいしかできない」と卑下するのではなく、「ここまではできる」と明確な基準を自分の中に持つ。
ギャンブルやおまじない、魔法に頼りたくなるのは若い時の根拠の無い自信をもう一度手に入れたいからだ。

•自信を無くした時は墓参りなどに行く

人間、生きていれば何とかなる。私は自信を無くした時などにはお墓に行く。墓参りとは限らず、寺や古い時代の建物など、昔の人が生きていた証を探すのだ。そうして、ご先祖さまに想いを馳せる。今、自分が生きているのは過去の人たちが命をつないできたおかげだ、そう思えばなんだか力づよい後ろ盾を得た気がする。そして誰にともなく、昔の人に挨拶して帰る。幽霊がいてもいなくても、ご先祖様は確かに、それぞれの時代を生きていたのだ。だからこの先どんな困難があろうとも生きのびていさえすればいい。

•まとめ

幽霊がいるかいないか、それとは関係なく、人間は確実なものと、不確実なものをよりどころにして生きている。

悪質な商売、あるいは悪霊に付け入るスキを与えないためには精神面を強化する必要がある。

根拠のある自信は努力やスキル、実力を正しく把握することから生まれる。

埋め合わせをしようとした時にスキが生まれる。時には無いものは無いと諦める。

根拠の無い自信は不確実なところからではなく普遍的な物事から得る。


以上、悪霊に取り憑かれない方法を伝えるわけではありませんが、生きている人間に対しても、そうでないもの達にも応用できると思います。学校に通ったり、何かスキルを身につけたり、私たちは“もとで”のかかる人生を歩んできています。しかし、採算のことを考えたり、失った分を取り返そうとすればするほど苦しくなります。それだけ人生というものは不確実性に満ちている証拠です。だからこそ幽霊とか、いるんだかいないんだかわからないものとうまく付き合っていく方が楽しいだろうと思います。その際は取り込まれぬようお気をつけて。

最後までありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!