人類の未来に対する展望
皆さんご存知レオナルド•ダヴィンチは、モナリザの作者ですが専業の画家ではありませんでした。発明家、SF作家、化学者、解剖学者、軍事技術者に側面も兼ねていたのです。多彩な能力をもちますが、自然を観察して人間に役立てる、と言う点においては共通しているかもしれません。
彼は膨大なスケッチを残していますが、その中に新型の戦車や空を飛ぶ道具が含まれています。これらを見ると、まるで人間の想像力が発明を生み、現在の技術の進歩を加速したように思ってしまいます。
日本の高度経済成長期の人々は、未来に対して希望を持っていました。今は大変でも働けばそれだけお金がもらえる。豊かな暮らしができる、と。そして人類の未来は明るく、空飛ぶ車が走り、ビルが宙に浮き、誰でも宇宙に行ける、まるで夢のような未来世界のイラストが多くあります。
その一方で、公害問題や環境破壊が進み、技術の進歩を疑問視する人々もでてくるようになりました。SF小説や映画では希望あふれる未来世界ではなく、社会を批判するディストピア的な未来像が多く描かれます。このようなディストピアは、「近いうちにこうなる」という予測というよりはむしろ現代社会を批判する目的の意味合いが強いです。たいていの主人公は理不尽な未来社会に対して抵抗したり反旗を翻したりします。
バブル崩壊以降、夢や希望、人類の進歩、若者の成長、といった、前向きな作品はそれほど作られなくなります。SFやファンタジーの分野では、物語そのものが世界を説明するためのコンテンツです。まるでゲームのチュートリアルのような構成のストーリーが増えてきます。世界を統べるルールの元に、主人公たちが特別な力を与えられて組織やシステムに則って悪を倒すというような構成はある種安心感を与えてくれます。システムの中でしかヒーローたりえない登場人物たちが閉塞感を感じさせないのは美男子や美少女が出てくるからでしょう。
さて、もしも人間の想像力が未来社会をつくっていくのだとすると、昭和に書かれた社会を批判するSF小説が本当になってしまいそうですが、どうでしょう?今の世の中はディストピアでしょうか?平和でしょうか?時々、私は昭和に書かれたSF小説を読んでドキッとすることがあります。例えば星新一の「マネーエイジ」なんかは現代社会をかなり言い当ててると感じます。
少し話が脱線しましたが、”技術の進歩”に話を戻しましょう。技術革新は必要に迫られて起こります。戦争に勝ちたいとか、もっと効率的に商品を生産したいとかです。どれもお金が儲かる分野です。逆にお金が儲からない分野で技術革新が起こることはないと言えます。
現在のところ、世界ではエネルギーの安定的な確保が必要に迫られています。情勢の変化によってエネルギー供給が止まったり急激な価格高騰を招いて人が生活できなくなったりしています。アメリカやEU中心の権力構造の中で様々な矛盾や不満が噴出しています。今、ロシアを中心に国連の代替機関を設立する案が動き始めています。とりあえずはそういう、エネルギー保有国やエネルギーの確保に関わる分野にお金が集中すると思われます。エネルギーの自給自足、あるいは逆にパイプラインの整備であったり。
その先は?
この問題の鍵となるのは、世の中に富を生み出せるもの、資源や産業です。資源や富を求めて人間は森を切り開き、地中深く掘り進めていきます。過去の歴史では人間の開発の方向性は自然に向いていました。金鉱を掘り当てたり、石油を掘り当てたり。そのような分野を中心に科学者が研究し、技術革新が起きてきました。
ところが地球上の資源の確保に上限が見えてきたり、油田などもこれ以上増やす必要はないと判断されれば、新しいエネルギーを得るためのの開発は徐々にペースダウンしていきます。自然や生き物の利用価値が研究し尽くされると今度は開発の対象が人間の精神や身体に及んでいきます。開発とは、得たいものを得るために環境を変えること、と言い換えてもいいかもしれない。人体とか、人の心とかを、利益を生み出せるように手を加えていくわけです。
人間は労働力でもあり、ものを買ってくれる消費者でもあるので、ある人々から見れば“人間は資源である”とも言えるのです。
例えば人間の持つ免疫システムは大きな鉱脈です。ワクチンを打たないと得られない抗体を売りにするんです。抗体だけで病気そのものが防げるかは置いといて。世界に病気は数多あります。かつては病気になった人からしかお金を取れませんでしたが予防医療は違います。健康な人からもお金を取れます。感染症の脅威を煽り立て、あるいはワクチンを打たないと不利益があると脅して、予防医療にお金を払わせるのです。強制力を持った予防医療は、国民から税金を通してお金を巻き上げられるので便利です。
そして人間の精神や心理。これを研究することはマーケティングに非常に有利です。本当に意味や価値のあるビジネスというのをやるよりかは、嘘でもいいから人の心を動かしお金を払わせる方がコスパはいい。催眠商法や霊感商法の類いのことがこれからずっと続いていくんだと思います。いわゆる「心の時代」です。これからの時代、人間の心を操る術の技術革新がピークにまで達するでしょう。
しかしながら、仮に全人類が何かの教祖や詐欺師だったとすると、資源や食べ物、必要なものを生み出す人がいなくなってしまいます。詐欺師階級の人口割合が増えすぎて労働者の生み出す物資では養いきれなくなるかもしれません。詐欺師階級の大規模な口減らしのために戦争や紛争が起こるのではないかと思います。
次はロボットについて。ロボットなら全ての問題を解決してくれるでしょうか?もしも仮に、このような詐欺師階級が労働者の代わりにロボットを働かせて生活するようになれば、ロボットに頼る文明と頼らない文明に分かれて別々の進化を歩み始めるかもしれません。
だけど無駄じゃないですか?仮にロボットが全部やってくれたとしても、人間は何かしらやるべきことがないとすぐにボケてしまいますし、運動も必要です。金持ちは高級車を乗り回してジムに通い、スピリチュアルやら瞑想やらに人生の貴重な時間を溶かしてるんですよ。偏見ですけどね。
ロボットには別の問題があります。それはエネルギー効率がものすごく悪いということ。電気で動かすにしろ、石油で動かすにしろ、動かすのに必要なエネルギーが多すぎるんです。牛は草を食べさせるだけで牛乳が出せますし堆肥も作れます。もしもロボットがエンジンで動くように作ったとして、草を投げ入れて燃料にしたらどれくらい動くんでしょう?生き物と比べるとロボットは燃費がものすごく悪いという欠点がある。それともそれも技術で解決できますか?それは生物より優れたものを人間が作るということを意味しています。
故に、すべての仕事を機械に任せることは人間の性質上、健康上、そして環境上よろしくないということです。そう考えるとロボットはちょっとした贅沢や高級品という立ち位置が無難なところでしょう。
まとめると、
•自然を開発し尽くしてしまうと開発の対象は人間の心身に及んでしまう。
•心理学などが発達するとマーケティングに有利になりすぎて洗脳社会が誕生してしまう。
•社会を維持するためには、様々な仕事に就く人の割合にある一定のバランスが必要。•人間はやることがないとボケてしまうし運動も必要、つまりロボットではなく人間が仕事をすることが必要。
最後に私の望む未来を記しておきます。
はっきり言って人類はまだまだ自然を知らなすぎる。生き物の種類もその生態も把握しきれていないのが実情であり、自然にはまだまだ研究の余地があります。人体に手を加えている場合じゃない。ワクチン打って免疫をいじってみたりゲノム編集ベイビーを誕生させて喜んでる場合じゃないのです。利用価値がわかっていない動物、植物は多く存在していて、大自然そのものはまだまだ巨大な鉱脈であり続けると思っています。
人間以外の生き物にもっと興味を持とうよ、ということ。で、実際あまり生産的じゃない、何のためにいるのかわからない生き物ってたくさんいるんですよ。でも人間だってそうじゃないですか。何のためにいるのかわからない奴らの最たるものじゃないですか。競争社会であぶれた人や障がい者は社会から隔離されて特別のメニューを与えられている。だけど競争社会の上辺にいる人も実は疲れていたりする。スローなペースを欲しがっていたりする。
動物セラピーというものがあるようですが、精神的な充足を生き物から見出している。でもその一方で生産的な部分だけを求めてしまっている乳牛や肉牛たちがいる。
これ、どっちもというわけにはいかないでしょうか?つまり、あまり生産的じゃない生き物にそこそこの利用価値を見出して共存していく。
要は人間社会は貨幣経済が発達しすぎて、各々の仕事が専業化しすぎたんですな。お互いの足りないものをお金を使って手に入れて補うんだけど結局うまく行ってないって話です。
例えば石油で動くトラクターで畑を耕して、何か物足りないからペットの犬を飼うのであれば、遅くて生産性は低いけど可愛いモフモフの牛を使って畑を耕せば、動物セラピーも農耕もいっぺんにできるよってこと。牛の糞は乾燥すれば燃料にもなります。
何かに特化するだけが生産性ではない。食品工場のロスや出荷できない製品を捨てるのを大量に見てると思うのは、総合的にOKなら実はそこまでの特化した生産性は必要ないんじゃないかと思います。