デジタルお絵描きとIT資本・ギルドと絵画技法

デジタル技術の発達により、イラストレーターやフォトショップ、メディバン、クリップスタジオなど、絵を描く現場もパソコンやタブレットでの作業がほとんどを占めるようになった。

私自身、アナログ派であるがデジタルでのお絵描きをやってみての感想は、技術に助けられ過ぎて何でも出来てしまうので中毒になりそうだった。もちろん、技術を覚えるにはたくさんのツールのアイコンやマウス操作を覚えなければいけないが、一度覚えてしまえば自由自在だ。

だがそこでの自由自在とはなんだろう?

デジタル絵の最小単位はピクセルだ。ピクセルごとに一色の色が可能だ。グラデーションを作る場合、色の少しずつ違うピクセルが並ぶのできちんとした濃淡に見える。また、白い画面に鉛筆の黒一色で線をひく場合、近くで見るとピクセルの黒い部分と白い部分の境目は階段のようにガタガタとしている。これは"ジャギ"と呼ばれるもので1つ1つは四角いピクセルの形が現れたものである。大抵のお絵描きソフトにはこのジャギが見えないよう工夫がしてあり、描線と下地の境目を少しずつ色を変えてある。ドット絵のようなガタガタではなく、一本の線に見える。アンチエイリアシングという技術だ。近寄って見ると白と黒の境目には灰色が少し入っていて、遠目に見れば境目がくっきりして見える。1ピクセル内の色は一色しか表せないので仕方がないが、画像事態のピクセル数を多くすればなんら問題ない。

このような技術はエンジニア達の開発、プログラミングの賜物である。0と1だけのデジタルの世界と私達人間をつなぐ橋渡しをするのがプログラミング言語だ。さらに、人間が書いたコードをマシン語に翻訳する過程を通してパソコンははじめて命令を実行する。マシン語とはコンピューターが直接処理、実行できる言語(?)のことだ。コンピューターとは言わば電卓のような計算機であり、ディスプレイに表示されているのはその計算の結果である。それを印刷することによりはじめて現実世界に絵が現れる。
そしてそれはいくらでも量産可能である!

デジタルで自由自在に絵を描く為に、実にたくさんの数式やプログラミングの技術の粋が結集している。全てはプログラミングの許す限り、そしてその技術に支払った金額に応じて。

さて、ここでアナログ絵に対しても同じ説明をして見よう。

アナログ絵の最小単位は原子である。原子は目に見えないが、分子の構造によって様々な効果が発生する。また、分子から成る粒子や物体の形により効果は多種多様。紙、という基底材の上に鉛筆で線をひく場合、紙の細かな繊維の隙間に鉛筆の粉が溜まり、黒く見える。近づいて見ると紙は細かな糸のようなもの(繊維)が集まって出来ていて、決してまっ平らでは無いことに気づく。鉛筆の線は筆圧により様々な表情を作り出せる。

続いて絵画の技術に関して。
西洋画にも日本画にも、かつては厳格なやり方が存在していた。ギルドを中心に、技法や制作方法、画風までが統一されていた。また、現代では作家が全ての行程を一人でやっている。(画材はやはり買ってくるが。)一方、ギルドの絵師達は分業体制で作業することにより効率的に進めた。マスターが下絵を描き、影をつける職人、絵の具を調合する職人、絵の具を塗る職人、それぞれの合作により1つの作品が仕上がった。下手をすると「絵師◯◯の作品」と伝わっていても、絵師◯◯はほとんど手を入れていない場合もある。◯◯の工房で作られたので◯◯作というわけだ。

現代のような自由な芸術表現は生まれにくいが、高値が付き、美術館や博物館に展示されるような傑作はこのようなギルドから生まれている。
親方を中心に、弟子達が技術を学び、受け継いでゆく。自由度は少ないが確かに職業として食べていくことができる。

…いかがだったでしょうか。

あなたはデジタル派ですか?アナログ派ですか?

いずれにしてもアナログの場合は画材という自然に存在する天然の素材から作られる物、そしてデジタルの場合はソフトを作る技術を支える大企業、計算式や公式を抜きには成り立ちません。
また画風に関しても誰かの影響を受けたりもする。「一人で絵を描く」とは言っても実際には一人だけで描いてるわけではないです。

自由度や肌にあったやり方、自分に合ったやり方を探して行けると良いですね!

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