恩人~創業期編~『専務』(CEOブログVol,18)
恩人シリーズ第二弾
前回ははじめて銀行からの融資を繋いでくれた会長の話を書きましたが、今回は、鹿児島で起業して1番苦労したと言っても過言ではない、営業の話。どのように顧客獲得していったかについて、立役者である恩人の紹介を交えて説明していきたいと思います。
本当に苦労した営業開拓
創業当時はトラックを購入し、スクラップ業者さんや産廃業者さん、建設業界などを回ってリユース品を買い取り、それを買い取ってくれる問屋のようなところへ販売する事で利鞘を稼ぐ転売のような商売でした。
前職で得た知識で何が売れるのかは把握していたものの、縁もゆかりもない鹿児島で創業し、よそ者の僕が全く地の利のない九州、ましてや鹿児島で営業するなど、普通に考えればめちゃくちゃ不利なんですが、当時はあんまり深く考えず起業してしまい、案の定本当に苦労しました(笑)。
その最大の理由は話し方。つまり訛りですね。大阪生まれ、東京育ちの僕は、話すとすぐによそ者だとバレてしまい、営業先ではなかなか話を聞いてもらえませんでした。なんなら全く話を聞いてくれないこともしばしば。
鹿児島という土地柄なのか、一度中に入り込むと本当に良くしてくださる方が多いのですが、基本よそ者には厳しい方が多く、業界的にもかなり閉鎖的な状況でした。
価格やサービスの問題ではなく、そもそも話を聞いてもらえない…。半年、1年と奮闘するもなかなか顧客が増えず困り果てている時にその出会いはやってきました。
救世主
きっかけが何だったかははっきりと思い出せないのですが、たまたま知人から繋いでもらい、鹿児島で大手の産業廃棄物処理の会社に珍しく、しかも専務に直接話を聞いてもらえることになりました。
業界柄社長とか専務とか、とてもいかつい人が多いので覚悟して行くとそこで現れたのは明らかに今までと違うスマートな雰囲気の方が。スラッとして背が高く、めちゃくちゃ足が長い。15以上は年上に見えるが、めちゃくちゃかっこいい!(僕は産業廃棄物業界のハリソンフォードと言っています。本人がオッケーならいつか写真載せたい)
いつもと違う雰囲気で商談が始まり、どうにか顧客獲得しないとこのままで早くも廃業の危機という状況だったので必死にプレゼンをしました。
すると、専務はほとんど喋らず静かに話を聞いてくれて一言、
専務:『いいでしょう。取引しましょう。』
僕:『え、あ、あの価格は…』
専務:『そちらの価格でいいですよ。自信あるんでしょ?ならそれでいいです。』
と。
はじめてお会いしてからここまでわずか15分。
だいたいどこの会社も話を聞いてくれたとしても、
『なんぼで買うねん!?あん?そんなんじゃ取引せんぞ!』
と徹底的に価格交渉されるので、やや拍子抜けしてしまい暫く思考停止していると、
専務:『それと1週間後にもう一度来てください。準備しておくので。では今日はこれで失礼します。』
と。
はっと我にかえり膝に頭がつく勢いで
『ありがとうございます!!』
と深々と頭を下げて会社を出たのですが嬉しさを抑えきれずに意気揚々とトラックに乗り込みました。もしかしたらスキップしてたかも(笑)
専務の神対応
それから一週間後、記念すべき初回の取引きをむかえ、農機具やモーター、家電品など買い取れるものをトラックに積み込み、なるべく丁寧に手書き伝票を書いて事務所に行き、間違えないよう気をつけて支払いをしていると(当時は現金払いだった(笑))専務が出てきてくれて衝撃の一言。
専務:『これ、この企業に行ってこの人を訪ねなさい。こちらから連絡入れているので。』
と、今まで門前払いされていた企業の、しかも重役の方々のリストが!!
正直その瞬間は何が起こったのかわからず、とりあえず曖昧な御礼をしてふわふわとした感じで帰路に着いたのですが、その道中、ようやく事の重大さを理解して、もう喜びというか、ここまであまりにも営業がうまくいかなかった事もあり、涙を堪えて会社までの道のりを運転したことを覚えています。
その後、いただいたリストに電話をかけると、
『専務から話は聞いてるよ!準備してるからいつでもおいで!』
と、どこの重役も神対応。
おかげで一気に忙しくなり、本当に朝から晩まで必死になって紹介してくれたお客様を訪問し、商品を買取りしてまわりました。
今までとは打って変わって突然忙しくなり、睡眠時間も本当に1日3〜4時間と超ハードな日々でしたが、あの頃は本当に充実していたなぁ〜。
とにかく、専務に紹介してもらったお客様に150%の対応をして、万が一でも専務の顔に泥を塗るわけにはいかない!と必死になって仕事をしていました。
奇跡の始まり
しかもしかも、本当に凄いのはこれからです。
なんと専務から紹介してもらったお客様の殆どが、
A社社長:『ここの会社に川野くんのこと紹介しておいたから行ってごらん!宮崎だけどいけるよね?』
僕:『はい!行きます!』
B社専務:『川野くん、うちのグループ会社の本体が熊本にあるから次はそっちに行ってくれないかな?話は通しておいたから』
僕:『もちろん行かせていただきます!』
C社社長:『実は僕の親戚が長崎で商売してるからさ、行ってきてくれてる?準備してくれてるみたいだから。』
僕:『絶対行きます!』
と、数珠繋ぎに繋がっていき、次は福岡、山口、松山、大阪、東京というようにまたその先でお客さまを紹介してくれて…と、どんどん繋がっていった結果気づけば売上10倍。社員も倍々と増えていき、当時まだ20名程度だった会社があっという間に70人まで増えていました。
その間も専務は静かに見守ってくれて、時には進め方のアドバイス、時には法律面のレクチャーや行政書士などの紹介、時には要注意人物についての対処の仕方を教えていただくなどと、本当にお世話になりっぱなしでした。
何故??
ある時ふと、
『出会ってたった15分くらいだったのにこの人はなぜここまで良くしてくれるのだろうか??』
と疑問に思い専務に聞いてみます。
僕:『専務、なぜここまで良くしてくれたんですか?あの時、わずかな時間で何を感じ取ったんでしょうか?』
専務:『何だろうね。なんてゆうか、川野くんに光が見えたんだよね。ウチはもう100年近くもこの仕事やってきてるからさ、何というか今の状況が当たり前になってきてる。そんな中川野くんはこの業界の開拓者になるんじゃないかっていうオーラみたいなものを感じたんだよね。循環の心臓部であるこの業界の働き手がどんどん居なくなってる。本当に大事な仕事なのにこのままじゃいつかダメになるんじゃないかっていう危機感の中、希望を感じたんだよね。一瞬で。うまくは言語化出来ないけど。それに僕はただ紹介しただけ。その先を作っていったのは川野くんの努力でしょう?ただ僕はそのきっかけを作っただけだよ。』
と。もう発言も神。
いつかきっとこの人のようになるんだと誓った瞬間でした。
正直あの時専務に出会わなかったらここまで続けられていなかったかも知れません。今のお客様を辿っていくと、冗談抜きで6〜7割が専務にたどり着くのではないかと思います。文字通り、専務は僕らにとって恩人なのです。
その後
今でも本当に良い取引を続けてくれている専務。
今では当社の新卒社員にもまるで我が子のように接してくれて、いつも的確なアドバイスをくれるメンターのような存在。それでいて、
『いやぁ、いつも川野くんのところには勉強させてもらってるよ。本当にいつも刺激をもらってる。お互い頑張って行こう!』
と決して偉ぶらず謙虚な姿勢で接してくれる専務。
僕はこの人に恩返ししなければならないのです。
絶対に成功させて、いつかきっと
『専務のおかげで本当に世の中を変えられる企業になりました。』
と報告したい。
それが僕の活力です。
大きなパワー
勉強も一切ぜず、四六時中スケートボードばっかりやってきた僕が、なぜ22で起業して15年も続けられているのか?
それは専務のような素晴らしい方との出会いにつきます。
一人の力では何も出来なかった。
たくさんの方に支えられて今がある。
自分の意思とは違う大きなパワーに守られて今があるのだと思います。
それなら、やっぱり全身全霊を込めて頑張らなあかん。
これからもたくさんの方の顔を思い返しながら頑張っていきたいと思います。この力は強いっす。正直負ける気が一切しない。これからのecommitの進化を見守ってくださると本当に嬉しいです。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!恩人シリーズ、まだまだ書きたい人は本当にたくさんいるのでちょいちょい書いていきたいと思います。それではまた!