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進んで勉強する子に育てる方法
「勉強しなさい」は逆効果
「親に言われなくても勉強する子になって欲しい」
自分の子に、こう願う親御さんは多いのではないでしょうか。そして子供が自分から勉強しないので、仕方なく
「勉強しなさい」
と言ってしまう。子どもに対して「勉強しなさい」という声掛けは最も逆効果になる可能性の高い言葉の一つですが、言わずにはいられないという方も多いようです。
進んで勉強する子に育てるにはコツがある
他人から強要され、嫌々やる勉強は身につきません。また、そうやって取り組む勉強は能動的ではなく受け身の学習の為、後の人生に役に立つ勉強になるかと言われれば、そこも疑問です。
では、どうすれば親に言われなくても勉強するようになるのか。これにはコツがあります。ポイントは、子どもたち自身が「学習意欲」を持てるかどうか。あるいは少なくとも勉強する意義を(ほんの少しでも良いので)感じるかどうか、にかかっています。
年齢別の学習意欲の育て方
生後、順を追って、以下に示すようなことを意識して子育てすれば、自ら勉強する子に育てるのは難しいことではありません。特に5〜11歳くらいが大切な時期になりますが、年齢別に考え方のヒントを紹介していきます。ただ、以下に示す年齢は、その数字(年齢)に囚われるのではなく、目安だと思って下さい。
※なお、学習障害を抱えるお子さんや境界知能にいるお子さんは、別の支援を必要とするケースが多いので、該当するお子さんは自治体など行政に相談するようにして下さい。
生後から2歳くらいまで 〜感覚運動的段階~
五感、特に視覚、聴覚、触覚を使うような場面、機会をできるだけたくさん持つことです。たくさん抱っこしてあげたり、手を繋いだりすること。スキンシップを取ることは心の健やかな成長と安定につながります。そして、たくさん話しかけてあげること。また、実際に手で触ることができるおもちゃや音が出るおもちゃは子どもたちの創造性を育むのにとても有用です。この時期は何でも口にいれる子が多いですから、安全に最大限の配慮は必要ですが、あまり難しく考えず、子どもを目一杯可愛がり、できるだけたくさんの時間を一緒に過ごせれば大丈夫です。
2歳から4歳くらいまで 〜象徴的思考段階~
この時期は絵本の読み聞かせをしたり、写真やイラストにたくさん触れるのは有意義です。これくらいの年齢の子は「象徴的思考段階」と呼ばれる状態にいて、実物とそれを描いたイラストが同じものかどうかの理解が少しずつできるようになります。例えば、実物の車とイラストの車は、同じ「車」であると理解ができるようになり、目の前に車がなくても車の絵を描けるようになります。あるいは紙や葉っぱを皿に見立ててママゴト遊びができるようにもなります。積み木遊び、お絵描きなども良いです。この段階の子は知識を身につけさせることではなく、創造性を育むことが最も大切です。数字や文字を教え込むのではなく、象徴的思考をしっかり育む、ということです。
4歳から7〜8歳くらいまで 〜直感的思考段階〜
「学習意欲」には、そのもととなる「学びのタネ」が必要です。「学びのタネ」から発芽するのが学習意欲、ということです。そして、子どもたちの「学びのタネ」は体験の中から生まれます。よって4〜5歳以降は、色々な体験を大切にしてあげて下さい。
ここでも、できれば五感を使うもの、目で見てわかったり、触ることができたり、音が聞こえたり、という体験は子どもたちにスムーズに入っていきます。視覚、聴覚、触覚で実感、体感できるものは子どもの脳を良い形で刺激してくれます。
理科的なことで言えば、ちょっと子どもが不思議に感じる経験は「学びのタネ」に直結します。例えば、持っているボールから手を離すと下に落ちるけど、(ヘリウムガスの入った)風船は手を離すと上に行く、などです。この段階で答えを教える必要はありません。そもそも、まだ難しくて説明してもわかりません。「学びのタネ」を蒔くことに主眼を置きましょう。もし、子どもに
「なんでそうなるの?」
と聞かれたらチャンスです。
「おもしろいよね〜」
「今はまだわからないけど、学校の勉強の中で出てくるよ」
など、「なんだか勉強っておもしろそう、早く勉強したいな」と思えるような、前向きな言葉を返してあげましょう。「学びのタネ」に繋がるような違った体験例はこちらのページにも挙げていますので、興味のある方は併せてお読み下さい。
「学びのタネ蒔き」はいつまで必要?
親が行う「学びのタネ蒔き」は少なくとも小学校卒業くらいまでは、適宜、行っていくのが望ましいですが、同時に芽が出そうなタネを堅実・健全に、良い形で発芽させることは大切です。なかなか芽が出ないと焦ってしまって、水をやりすぎてしまったり、何度も畑を確認して、結果的に畑を荒らしてしまったりしないことです。残念ながら、こうした失敗例は山ほどあります。
直感的思考段階の子の特徴
◎保存性が未発達
この年齢の子は成長プロセスで言えば、「直感的思考段階」という状態にいます。この段階にいる子の特徴の一つとして、「保存性が未発達」であるということが挙げられます。例えば、同じ形、同じ大きさの積み木を同じように並べた時には同じ数・量だとわかりますが、片方を縦に積んだりして並べ方を変えると同じ数・量だとわかりません。あるいはホールケーキをいくつかに切り分けた時に、切る前後の総量が同じだとわからなかったり、同じ量の水が入っている2つの同じコップがあった時、片方を違う形状の容器に移し替えると、この2つの水量が同じだとわからなかったりします。これが、保存性が未発達ということです。
◎自己中心性が強い
また、自己中心性が強い、というのも直感的思考段階の子の特徴の一つです。自己中心性が強いというのは自分勝手とかワガママというのとは違います。幼い子を持つ親御さんにこんな経験はないでしょうか。幼稚園や学校から帰ってきた子が
「今日、XXXちゃんがYYY先生にZZZの写真みせてたよ」
親であるあなたはXXXちゃんもYYY先生も知らないし、ZZZが何のことかわからず、
XXXちゃんは友達なのかな?
YYY先生って聞いたことないけど新しい先生かしら?
ZZZっていうのはXXXちゃんのペットとか?
と想像するしかありません。
しかし、子どもは、パパやママはXXXちゃん、YYY先生、XXXのことを知っている、と考えています。直感的思考段階にいる子どもは自分の知ってる、見えている、感じていることは他の人も同じように知ってて、見えてて、感じていると思っています。これが自己中心性が強いということです。
7〜8歳から11〜12歳くらいまで 〜具体的操作段階〜
主に小学生です。成長プロセスで言えば、「具体的操作段階」と呼ばれる状態にいます。直感的思考段階の特徴だった、未発達の「保存性」を獲得したり、自己中心性から脱却していく年齢です。少しずつ論理的思考ができるようになり、数的な考え方が理解できるようになっていきます。
子どもたちが、「感覚運動的段階」→「象徴的思考段階」→「直感的思考段階」→「具体的操作段階」というプロセスで成長をしていくというのは、スイスの心理学者、ジャン・ピアジェが提唱した理論です。児童心理学の教科書に出てきたり、保育士の試験問題にもなるくらいなのでご存じの方もいるかもしれません。実際に多くの子どもたちを見てきた経験からも、このプロセスを経て子どもたちが成長していくのはわかります。
ただ、上記で示した年齢はあくまでも目安であり、9歳でも、まだ、直感的思考段階の子もいれば、5〜6歳で具体的操作段階の子のような論理的な考えをする子もいます。
子どもたちの成長速度の違いは「差」ではない
大切なことは、年齢で判断するのではなく、子どもの脳や心の成長が今どの段階にあるのかを的確に把握することです。
論理的思考ができるようになったり、数的な考え方が理解できるようになる子が周りに増えてきても、自分の子が、まだ直感的思考段階にいるのなら、我慢して待つ。我慢して待てるかどうかは、子どもの学習意欲を引き出せるかどうかに大きく影響します。焦ってしまって、他の同い年の子と比べて遅れてるから少しでも先のことを勉強していく。これは最悪です。他の子との「違い」を「差」と捉える親の思考は子どもを不必要に追い込むことに繋がります。直感的思考段階にいる子に具体的操作段階の勉強を無理強いするとどうなるか。勉強が嫌いになります。
学習意欲を自然に引き出すポイント
では、どうすれば良いのか?
焦って子どもに勉強を「させる」のではなく、「学びのタネ蒔き」となる体験をたくさんさせてあげるのです。子どもが勉強を自ら「したい」と思えるようになる体験をすることに重きを置くのです。
ところで、年齢で判断するのではなく、子どもの脳や心の成長が今どの段階にあるのかを的確に把握することが大切、と書きました。この成長段階の把握を正確にできるのがベストですが、幼児教育や初等教育、児童心理学の知識に加え、多くの子供達をみた経験がなければこの判断は難しいかもしれません。
直感的思考段階にいるのか、その先の論理的な考えができるようになりつつあるのかは、保存課題と呼ばれる保存性の概念を獲得しているかどうかのテストや、The Three Mountains Task(3つの山問題)と呼ばれるピアジェが考案した実験課題をやれば、ある程度の目安にはなるでしょう。しかし、体の発育と違い、脳の発育や心の成長は目には見えないこともあり、子どもの成長段階を正確に把握するのは
簡単ではありません。
川西珠算学院には「学習脳の特性・発育度診断」という診断メニューがありますが、この診断結果を親御さんにお伝えすると、それまで気付けなかった(あるいは薄々感じていたけど、それまでは気にすることのなかった)子どもの脳のクセがわかって良かったと言われることが多いです。それだけ、ご自身の子供の成長段階の把握は難しいのかもしれません。いや、ご自身の子供だからこそ難しいのかもしれません。
子どもの成長段階の把握を正確にできない場合の次善の策は、「学びのタネ蒔き」体験を優先すること。このことで、子どもが持っていた「学びのタネ」の発芽に気づくのが遅れても問題ありません。逆に最悪なのが、前述した通り、無理に先取り学習に走るということです。芽が出ていないのに畑を弄くって結果的に芽を出さず、芽生えかけたタネがだめになってしまう。残念ながら、こんなことも多いのです。
子どもから学習意欲の芽が出る例
幼稚園などのお友達からお手紙をもらって、そこには、まだ拙いけれど文字が書いてある。すると子どもが
「私もお返事書く〜」
これは子どもたちにとって能動的な学習であり学習意欲を持った行動、学びのタネが芽吹いた瞬間です。そこではじめて文字というのを教えてあげるのはいいでしょう。
しかし、子どもにそんな気持ちはめばえていないのに、
「XXXちゃんのように字が書けるように練習しよう」
と親が仕向けるのには感心できません。こういうちょっとした言動の積み重ねが後々の子どもの学習意欲が芽吹くかどうかに繋がるからです。
成長段階に合った学習サポート
こうした学習意欲と子どもたちの脳の発育度(川西珠算学院が提唱するところの早熟型の脳と晩成型の脳)を正確に見極めて、子どもたちを育てていけば、学習意欲を持てるようになりますし、多少苦手だったり嫌いだったりする科目があっても、勉強する意義を感じてくれるようになります。すぐに結果(効果)は出ません。辛抱と我慢は必要ですが、長い目で見れば必ずプラスに働きます。
※「早熟型の脳」「晩成型の脳」については、こちらのページで詳しく解説しています。
学習意欲の芽生える時期と義務教育制度の矛盾
そうは言っても義務教育から始まる現在の教育制度では、子供たち個々の学習意欲が高まってくるのを待てません。学校教育法には、「保護者は、子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから」小学校等に就学させる義務を負うという規定(第17条第1項)があり、一定の年齢になると一斉に入学する制度になっているからです。こういう制度にしないと不便極まりないからですが、この点についてはあまり神経質に考える必要はありません。
小学校に入学したけど、まだ「直感的思考段階」の子であれば、学校の算数や国語の学習について、ひとまず与えられたものは、具体的に把握できる方法を使ったり、五感を使ってこなすようにします。
算数の学び方の工夫 〜具体物、半具体物を活用
算数の足し算や引き算は、イラストを数えたり、手指をつかってやれば良いですし、おはじきなどを数えながらでも良いでしょう。さくらんぼ計算の説明ページで少し触れてますが、さくらんぼ計算が理解できなくてもあまり気にしないことです。6〜7歳では、まだ直感的思考段階から脱していない子もいます。そういった子にとってさくらんぼ計算が理解できないのは当然です。さくらんぼ計算を無理に理解させようとムキになると逆効果です。
国語の学び方の工夫 〜抽象的な記号は五感を働かせながら楽しく学ぶ
国語はできるだけ書く練習だけではなく声に出して読みながらやるほうが楽しく取り組めます。数字や文字は小学校入学前後の子どもにとっては抽象的な記号です。できるだけ具体的なものを使い、五感を働かせながら取り組むのです。無理にやらせるのではなく、できるだけ楽しく取り組めるように工夫することは必要でしょう。
「与えすぎ」が「有り難み」を奪う
子供の意欲そっちのけで、計算ドリルをやりこませたり、漢字などを先取り学習させるのは「与えすぎ」であることにも気づかなければなりません。「勉強しなさい」という言葉も与えすぎの一種と言えるかもしれません。与えすぎると有り難みに気づきません。
紛争下にある国、地域の子供たちで勉強したくないという子はあまりいません。ゼロとは言いませんがそういう声を聞くことは非常に少ないです。学校がないところであればあるほど、子供たちは学校を欲する、学ぶことを欲するからです。勉強したくてもできないから、その有り難みを知ることができるのです。
勉強する有り難みを感じることができれば、あるいは学ぶということに対しての飢えの状態、ハングリーな気持ちを持つことができれば、放っておいても子どもは勝手に勉強するようになります。
魚は釣り方を教えよ
老子は「魚を与えるのではなく釣り方を教えよ」と言いました。人に魚を与えれば一日の糧となるが、その場しのぎの解決に過ぎず、人に魚を捕ることを教えれば一生食べていくことができる、ということ。
これは、短期的な助けではなく、長期的な自立を目指すことが重要であるということ。自分で考え、行動することの大切さを説いた言葉ですが、これを教育に当てはめるなら、子どもたちが自律的に学習するように育てるのが、釣り方を教えるということ。学校や塾に入れてあとはお任せ、というのは魚を与えるということ。子どもの意欲は二の次で先取り学習をさせたり、勉強しなさいと言うのは、魚を釣ってあげるどころか、もう要らないと言ってるのに食べさせようとしてるのと同じことです。そんなことをしたら魚を嫌いになるのは当然です。
こうした子育てをした実例
私にも一人、高校生の息子がいます。私自身の、これまで書いたような知見をもとに、どう育てたか、そして、今どうなっているか。一つの実例としてご紹介しておきます。
生後から幼稚園まで
子どもが不思議に思うようなことをたくさん体験させました。
スキーが趣味だったので麓でスナック菓子を買って、山に上がると気圧の関係でスナック菓子の袋がパンパンに膨らみます。
面白いよね〜。
祖父母の家への帰省時は飛行機に乗ります。ペットボトルのお茶を買って、機内で開けて半分くらい飲んで、着陸時にはペットボトルは気圧の関係で凹んでいます。
面白いよね〜。
などというように。
弊社がそろばんの仕事をしているので、興味があったらそろばんをさせたいなとは思ってましたが、(そろばんをやりたいという)「学びのタネ」が発芽しなければさせるつもりはありませんでした。そろばんはさりげなくリビングに置いておき、たまに妻や私がそろばんをするぐらい。それを見ていた息子がやりたい、と言った時に、
1から10まで数えられる?
10から1まで逆に数えられる?
それができるようになったらそろばん触って良いよ
こうした(そろばんをやりたいという)学習意欲の芽が出た時も制約を課して、学習への”飢え”の状態をあえて作った結果、中学1年生までそろばんを続けました。本人はもう少し続けたかったみたいですが、やりたいことがたくさんあって優先順位の関係で一旦はやめました。(そろばんに対して)マイナスのイメージは持ってないので、今後の人生で、またやることが出てくるかもしれません。
小学生時代
今後のグローバル時代を見据えると、海外でも通用し、活躍できる要素を身につけておくことが望ましいでしょう。私もそれには同意しますが、表面的な英会話力だけを身につけても本当のグローバル人材にはなれないことを海外で仕事をしてきた私は知っています。
そんな我が家は、海外からの留学生のホストファミリーをやっていました。息子は幼少の頃から海外の人たちと交流する経験をたくさん積むことができました。英会話スクールなどには行ったことはありません。とにかく、「海外の人との交流」という体験を大切にしました。
小学5年生になってまもない頃、突然、
「お父さん、僕、塾に行きたい」
と言い出しました。この頃の息子は「具体的操作段階」の次の段階である「形式的操作段階」にいるということはわかってました。なので、塾に行かせても、少なくとも消化不良になったり、塾の授業についていけないということはないだろうとは思いました。しかし、魚の釣り方を教えるには塾に入れるよりも優先すべきことがあると考えたので
「まだ塾に行くには早い。中学になっても行きたいって思ってたら行かせてやる」
と言って塾へは通わせませんでした。
「塾にいかないとできないことって何?」
「何のために塾に行くの?」
「何のために勉強するの?」
と、事あるごとに問いかけ、勉強する意義なんかも考えさせたつもりです。
中学生時代
学ぶことへの”飢え”も相まって、中学校に入学するタイミングで
「やっぱり塾に行きたい」
と言ったので、塾通いがスタートしました。親が行かせたわけではなく自分から行きたいと言ったので、やらされる勉強ではありません。こうして中学校の3年間は塾も併用して自律的に勉強をし、無事、希望する高校に進学しました。
高校生になって
今春、高校3年生になり来春には大学受験ですが、これまで一度も「勉強しろ」と言ったことはありません。そして、幼少の頃から留学生と接してきた息子の得意科目は英語です。
「勉強の中では英語が一番好きなの?」
と聞いて返ってきた答えは
「英語は勉強だとは思ってないなあ」
楽しく、趣味的にやってるみたいです。「学ぶ」楽しさを知り、意義を感じ、価値を理解したんだろうと思います。
勉強は良い人生を送る為の有力な手段の一つ
「学ぶ」というのは生涯必要になる行動です。それはミュージシャンであっても、スポーツ選手であっても、芸能人であっても同じこと。物理や科学や数学ではないかもしれないけど、仕事をしていく上で、あるいは良い人生を歩んでいく上では「学び」というものは必要不可欠です。
近視眼的に、目先の試験・テストとか受験とかに囚われるのではなく、良い人生を送る為には勉強は必要だと子どもたち自身が理解しなければなりません。そして、大人はそうなるように働きかける必要があると思います。子どもたちがこれからのそれぞれの人生で、それぞれ立派な花を咲かせる為には、勉強する価値に気づき、実践するように子どもたちをサポートしたいものです。