時と自然と、人間と
生きているのか、生かされてるのか。
わたしは子供時代のこと、
ほとんど覚えておりませぬ…
はじめまして。
川根本町で、スピリチュアル発信している
鈴木ひなこです。
今回のテーマは
【子供時代】
ということなのですが
先に書いたように、わたしは子供時代のこと
ほとんど覚えておりません。
なので、父に聞いた昔話を。
父の子供時代、大井川に
橋はかかっていたのかいなかったのか
定かではありませんが、
対岸に渡るのに渡し船を使っていたそうです。
今よりもはるかに水量の多かった大井川。
そこを小舟で渡っていく。
なんだかロマンを感じるのは
私だけでしょうか…
そして時代は移り、
大井川にも橋がかかります。
当時は吊り橋。
ゆらゆら揺れる、あの吊り橋です。
吊り橋の真ん中の渡し板の上を
父はバイクで走り抜けていたそうです。
荷台に冷蔵庫、
ハンドルにラジオをぶらさげて。
そんな父の姿を見て、当時の女子たちは
黄色い声をあげたとかあげなかったとか(笑)
そして、吊り橋のたもとに
美人3姉妹が住んでいたとのこと。
彼女たちも、吊り橋をバイクで渡る父の姿に
頬を染めたのか
染めはしなかったのか定かではありませんが、
そのうちの一人は
私の母となった模様です…
今では信じられませんが
大井川は当時、水を満々とたたえていて
河床も現在よりは3メールほど低かったのです。
流れる水は渦を巻き、
岩にぶつかり、淵をつくり、
その淵は、川に流された人、
泳ぐ人たちを次々と飲み込み
いつしか「千人殺し」と呼ばれるようになりました。
そこは、徳山の宗徳橋の下でした。
今では大井川には立派な橋がかかっています。
令和の現代、橋から下を見下ろしても
かつて「千人殺し」と呼ばれた淵も岩も
土砂に埋まり、見ることはできません。
大井川もその流れを変え、
豊かだった水量も半分以下となっています。
その姿を見ると
人間は自然を相手に闘い、
組み伏せたかのように見えます。
そして、かつての姿は
私たちの記憶の中だけに残っている。
川根に住む私たちが
子供時代を懐かしいと思うのは
その、失われた自然の姿を
懐かしんでいるではないのかなと。
もちろん、若干姿は変えつつも、
川根には今でも豊かな自然が広がっています。
私たちはその自然に生かされ、今を生きている。
山に昇る朝霧を見るたび
雨上がりのきらめく新緑を見るたび
山から吹き下ろす風が頬をなでるたび
月夜に響くケモノの声を聞くたび
私の中に眠る子供心がそっと顔をあげ
冒険の旅に出ようとする。
今も昔も、
それは変わらないのかもしれません(^_^)
■書き手:鈴木ひなこ
日々、アメブロにて発信中。
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