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映画の中のリアルに会いに -ラダック・SECMOL訪問記-


2年生とのインドの学び

 昨年度、ぼくは三ツ星小学校2年生の担任でした。彼女らとは1年間を通して、日常の好奇心や問いから多くのことを学んでいきました。中でも、「生活科」の時間はその中心でした。概ね30代までの方は、小学1,2年生の頃にご自身でも「生活科」という授業を経験してきたでしょう。ぼくの師匠は「世界は教科で区切られてはいない」と繰り返し言ってきている人なのですが、「生活科」という教科はちょっと特殊です。いわゆる「理科」「社会」といった比較的輪郭のクッキリした、より多くの学ぶべき内容が大人によって予め決められている教科とは違う、まだ生まれて6~8年くらいの一人の人間(子ども)を中心とした「生活」を通じて、世界をまるごと学び取ろうとするものです。だから、子どもたち自身の問いやホンモノから学びを始め易く、ぼくはそうしたことを子どもたちと一緒にたくさん試みてきました(実際には、この時間を国語や算数等とも繋げて、より大きなゆとりのある時間を確保していました)。

 ある日、一人の子がこう言いました。

「あのさ。おれんちの近所に、Sっていうめっちゃいい友達がいてね。それで、Sはインドの笛を吹くんだけど、今度学校に来てもらいたいんだけど、どう?」

それを受けて、2年生の子たちはすぐに首を縦に振りました。早速、その子ともう一人の子が2人で招待状を書き、Sさんに届けることになりました。Sさんはその申し出を歓迎してくれて、パートナーのMさんと2人で学校にやってきて、インド音楽と創作舞踊を子どもたちに届けてくれました(全校の前で!)。教室でサークルに座って、一緒に音楽を楽しんだのも忘れられない思い出です。

 さて、子どもたちのそうした様子を見ていたぼくは、こう思いました。
「今、インドは子どもたちの共通の関心事になっている。だとしたら、インドをテーマにした学習を始めるのはどうだろう。この町にはZOHOの人たちもいるし…。でも、Sさんはインド人じゃないし、今日の経験だけを材料にしてスタートするのは、ちょっと情報が乏しいな」
そこで閃いたのは、みんなでインド映画を観ることでした。ぼくは普段そんなに映画を見ないので、どの映画が一番相応しいのかわかりませんでした。そこで、日本で一番ヒットしたインド映画を調べてみたところ「きっとうまくいく」というタイトルの映画が見つかりました。「上映時間3時間」にちょっと躊躇いつつも、試しにこれを観てみると……素晴らしい! ぼくは映画フリークでもなんでもないのですが、これはぜひ子どもたちにも観てもらいたい映画だと思い、教室で何回かに分けてこの映画を見ました。最後の日は、ぼくが出張に出かける時に観てもらったのですが、後で同僚の先生に話を聞くと、子どもたちは見終わった時、拍手喝采だったそうです(よかった!)。

その後、ぼくらはインドについての質問(不思議に思うこと、知りたいこと、確かめたいこと etc.)を各自で書き出し、それを元にZOHOジャパンのサテライトオフィスにお邪魔しました。調理場にも立ち入らせていただき、インド料理の作り方を目の前で見せていただいたり(ご馳走になりました)、社員さんにインドについて質問させていただいたりもしました。素晴らしい経験をさせていただき、この学習に関わってくださった町の皆さんには、今でも感謝しています。どうもありがとうございました。


きっとうまくいく、その続き

 さて、実はこの話には続きがあって……前置きが長くなりましたが、これが今回のテーマ「夏の思い出」に繋がります。映画「きっとうまくいく」では、エリート大学の知識注入型の教育や、頑なにエンジニアになることを強いる家族との間の問題を、主人公が持ち前の発想やユーモア、3 idiots(原題で「3人のおバカ」)の友情で軽やかに乗り越えていきます。これを読んでいる人にもぜひ観てもらいたいので、話の中身は詳しく書きませんが、後になって、実はこの映画には主人公のモデルになった人がいたことを知りました。その人はインド北西のラダック地方の公教育を改善することに取り組み、その後、映画にも登場する学校を実際につくったというのです。その人の名前は、ソナム・ワンチュク。学校とその公教育改善のための運動の名前はSECMOL、ということが分かりました。私には調べれば調べるほど、この人とラダックというヒマラヤ山脈の麓にあるこの土地が、私たちのまち(川根本町)と日本の教育の大きな参考になるに違いないことを感じ、実際にここを訪問できないか探りました。すると、長く川根の地に縁のあるNPOのメンバーが、奇跡的にラダックとSECMOLの人たちとのつながりがあることが分かり、ぼくの存在を伝えてくれました。通常は4週間以上のボランティア・ティーチャーとしての滞在のみ受け入れているようでしたが、ぼくから日本と川根本町の学校の取り組みを伝えることを提案すると、およそ10日間の滞在を特別に受け入れてくれることになりました。こうしてこの夏、ぼくはインド・ラダックとSECMOLを訪問することになりました。


映画の中のリアルに会う

 8月9日、羽田を発ちインドへ。最初についたのは首都デリー。そこで1泊した後、さらに国内線でさらに北西、ラダックへやってきました。標高3,500mを超える地点にあるレー空港には、到着前から高山病の薬を飲んで備える必要がありました。ここからの出来事は毎日がほんとうに濃いもので、とてもここに書き切ることができないので、この記事では目的地SECMOLの紹介を中心にしようと思います。

 インダス川のほとり、絶壁の上に建つSECMOLスクールはティーンエイジャーのための学校。SECMOLはラダック地方の公教育を改善するための運動体でしたが、その長年の取り組みを通しても救えなかった全国共通学力テストに落ちた子たちのための学校として始まりました(以下、SECMOLスクール=SECMOLと表記)。この学校の建物には、至るところに「3R to 3H」というスローガンが記されています。

生徒たちがつくった校舎の一部。壁に「3R to 3H」

3Rとは読み書き計算(Reading, wRiting, aRthmetic)のことですが、3Hは聞いたことがない人がほとんどだと思います。これは元を辿れば、近代教育の父とされるペスタロッチが重視したもので、手と頭と心(Hand, Head, Heart)を指します。読み書き計算だけでは、頭のみを鍛えるイメージが強い(もちろん、それもとても大事)ですが、ペスタロッチはトータルとしての人間の養育を重視しました。こうしたトピックは、教育学を学んだ人なら必ず一度は出会っている基本中の基本ですし、現代の学校で働く人たちにこれに真っ向から反対する人などいないと思いますが、SECMOLがこの「3Hs」をここまで明確に、学校の中心的な理念として掲げていることには驚かされました。


地球を癒すスクールコミュニティ

 SECMOLに入ると、何人かの生徒が慣れた様子でキャンパスを案内してくれました。彼らの母語はラダック語ですが、案内は英語でしてくれました。これも彼らの意味のある言語の学びで、滞在に費用が必要なことからしてお金(計算)や仕事の練習でもありました。キャンパスはほとんど全てが身の回りの自然素材で、自分たちの手で作られており、食料も電気も水もガス(牛の糞から出る)も、一切を自給自足しようと試みられていて、それは既にほぼ成功していました。集会所で各自が皿を洗った際に使った水は、そのまま一段低いところに作られた畑に流れ出ます。当然使っているのは土壌に負荷のかからない石鹸だから、問題がありません。

時刻はインド時間より1時間早く設定されていて(SECMOLタイム)、夜の過剰な電気利用に自らブレーキをかけていました。太陽光パネルによる蓄電でほぼストレスなく過ごせますが、時には電池が切れて使えないこともあります。洗濯機はありますが、使う人は少額のお金をカンパします。シャワーがあり、温水を出すための蓄熱機?もあります。

SECMOLは日本の暮らしと比べれば「何不自由ない」とまでは言いませんが、自分たちの生活を、自分たちの知恵と工夫で十分に成り立たせているところで、その暮らしは地球への負荷をほとんど与えないものであることが感じられました。

ゴミを10種類に分別して捨てるコーナー

滞在期間中、ありがたいことにあの映画の主人公のモデル、ソナム氏と複数回お会いすることができました。
「世界の教育を変えるために、私たちにできる有効な手段は何でしょうか?」というぼくの質問に、ソナム氏はこう答えてくれました。

「Heal the earth(地球を癒すこと)」
「Focusing on climate change(気候変動に焦点を当てること)」
「No more education for production(これ以上、生産のための教育をしないこと)」

ーーー 今回の訪問では見ることができませんでしたが、ソナム氏はラダックの年間を通じた寒暖差や起伏の多い地形を利用して、簡素な仕組みで、冬季に天然の氷の塔(アイス・ストゥーパ)をつくりました。これは気温が上がるにつれて自然に解け出し、砂漠地帯を緑化します。

滞在期間中、見慣れないカウントダウン式のデジタル時計が設置されました。「What’s this?」と尋ねると、それは地球の気温上昇を1.5℃未満に止める目標(国連の気候変動に関する政府間パネル:IPCC)を達成するまでのタイムリミットが示されているのだそうです。

1.5℃目標までのタイムリミットを示すデジタル時計

刻一刻と減り続けるデジタル時計の目まぐるしさは、ぼくに日本人とラダック(SECMOL)人との、気候変動に対する言い表しようのない程の認識のギャップを感じさせました。

「この人たちは、地球を癒すことに本気で取り組んでいるのだ。私たち日本人は、それに比べて、なんと瑣末で、なんと自己中心的なものの見方をしているのだろう。私たちは日本人である前に、1人の地球人であることを、今この時にまず確かめなければならないーーー」

そして、ぼくはSECMOLを、学校を超えた気候変動に取り組む先端地点、ホンモノの世界の中に生きるコミュニティーなのだと理解しました。


川根本町とラダック・SECMOL

 1本のブログ記事にしては既に長過ぎるものになりましたので、今回はこの辺で。実際には、これはほんの旅の入り口に過ぎません。この後、現地の生徒たちにけしかけられてプールに飛び込んだり、日本とラダックそれぞれの伝統を守ることについて話し合ったり、独立記念日の催しで一緒に深夜まで踊ったり……忘れられないエピソードが満載でした。

8/15インド独立記念日、集会場所で踊る生徒たち

ぼくと日本・川根本町の取り組みをとても興味深く聞いていただけたこと、ソナム氏の夫人を含む複数の方からラダック再訪(現地での研修)の依頼を受けたことなども、大きな出来事でした。この記事とは別に報告文をまとめましたので、ご関心のある方はこちらからお読みください。

https://drive.google.com/file/d/10ND0EJ8oIaxoJwxVCD-1Q9nl0GqBS7yE/view?usp=sharing


さて、ラダックから日本に戻ったその日の夜。ぼくはこの町で、なんと「これからラダックに行く」というティーンエイジャーと、奇跡的に出会いました。そんな偶然が、まさか……と大いに興奮しましたが、そもそも映画の中のホンモノに実際に会いに行けたこと自体が奇跡みたいなものですから、それに続いて起こる出来事も、やっぱり奇跡みたいものであって、案外当然なのかもしれません。川根本町とラダック・SECMOLーーーこの繋がりはまだまだ終わりそうにない、という予感がしています。読んでいただき、ありがとうございました。



濵 大輔(はま だいすけ) 青部の小高い丘の上に住まう、まちの先生3年目(中川根第一小学校 → 三ツ星小学校 → 三ツ星学園)。現在、三ツ星学園4年生担任・川根本町型授業づくり研究員・一般社団法人日本イエナプラン教育協会代表理事。