NHK「歴史探偵」2022/04/13が酷かった件
NHKの歴史番組「歴史探偵」。
2022/04/13 「戦国の忍び 発見された武器」
の内容が思いっきり滅茶苦茶で、論理破綻。
あまりにも酷かったのですが、番組を視た家族は感心していたので、説明をしました。
同じように、この回を視て、納得された方が居りましたらお気を付けください。
武器
まきびし
番組の冒頭から、「まきびし」の紹介。
次に城への道に、「まきびし」を仕掛けます。
この「まきびし」が発見された事によって、当時この八王子城には忍者が居たと解かった。
この話を聞いて、どの様な感想を持ちましたか?
「なるほど。城を守るのに忍者が協力したのか!」
この様に思ったら、NGです。
完全に正しいとはいえませんが、
「忍者はまきびしを使う」と「まきびしを使うのは忍者」は同じではありません。
「ソクラテスは人間だ」と「人間はソクラテス」が違うのと同じロジックです。
戦国時代の攻城戦。防衛側は色々な物を相手にぶつけました。
門の上から、石を投げるのは当たり前。
女子どもでもできる攻撃として、熱湯をかける。そして酷いのは糞尿を熱した物も・・・
つまり、「まきびし」が発見され使われた事が、忍者の証明にはなりえません。
手裏剣
次の話題が手裏剣。十字手裏剣などが忍者の道具として有名だと思います。
ここで番組内の解説ですが・・・
ここで、みなさんの子どもの頃を思い出してください。
川に向かって、平たい石を投げて、何回跳ねるか。そんな遊びをしていたと思います。
回数を増やすよう、試行錯誤したと思います。
これを人にぶつければ、手裏剣の代わり。これであなたも忍者です!
(現在、人や物に石を投げるのは犯罪になる可能性が高いです)
武器から忍者かは断定できない
他にも、番組のセットに忍具の陳列も。
中には、熊手(イメージ:ドラゴンクエストの鉄の爪)、鎖鎌、水蜘蛛他他。
鎌は農民が草を刈るのに最適化された道具。農民が盗賊などから身を護るのに鎌を使う事は想像に難くありません。農作業をしている所に、竹槍を置いておき、いざというときに使う事はないでしょう。
中には、鎖を振り回して、先端に分銅をつけて・・・段々進化することが普通でしょう。
郷士への手紙
手紙の内容
関東管領を受け継いだ、上杉謙信(当時は上杉政虎)。関東の兵乱を治めるべく関東に出兵。当時関東の大半を領土としていた北条家は、規模が縮小。
上杉謙信が本拠地越後(新潟)に戻ると、北条家は失地回復にかかります。
褒美の話
これは、軽々には言えませんが、筆者の想像としておきます。
3つの領地。これは本田家の土地が上杉家により、他の郷士に与えられた土地を取り戻して与える可能性が否定できない事。
これは良くあることです。実際に土地を貰えるのではなく、その村の郷士等を配下に置く意味があります。ですので、この仮説であれば破格でもありません。
装束について
解説で、自分の功績を証明するために、鎧や陣笠に印があると。
「雑兵物語」の画像で説明していました。
さて、「紋なし」は果たして忍者や隠密活動に繋がるのでしょうか?
解説で、自分の手柄を証明。つまり「紋なし」なら、証明ができないだけです。
文書の内容は不明ですが、
・打ち合わせ時に誰が相談に来たか知られないため。
・旗印などは使わず、目立つ姿にしないこと
などが考えられます。
「目立たない姿にするなら忍者じゃないの?」
これは間違いです。
奇襲をかける場合など、一般武士にも同じような指示が出されている事も珍しくありません。
「忍んで攻撃」する事ではありますが、これが「忍者」とはなりません。
攻城戦
城の模様
城名は覚えていませんが、関東地方の平城(山の上などではなく、平地に築城)。
この城は、東が川、西から南部にかけて湿地帯という攻めにくい場所との事。
そして、いくつもの曲輪が設けられ、周りには水堀がある。
よって、防衛の要であって、難攻の城であった。
攻城方法
奇襲をかけるために、夜戦を選択。
正門を北条家正規軍、太田某が構える。
搦手(裏面)から、本田一党が潜入。見張りを殺し、増援を「まきびし」と「鉄砲」で攻撃。
櫓が焼け落ちたのを合図に正規軍が攻め入る作戦。
ここで、水堀の渡り方として
「水蜘蛛を利用して・・・」
ではなく、素早く動けるように舟を並べ、板を渡して一気に渡ったとの事。
確かに、これなら素早く渡ることが出来ます。
しかし、ちょっと待ってください。解説では8艘の舟に板が。
いつ、どのようにして、小舟を準備したのでしょうか?
昼間から堀に舟を運んでいたら怪しいですし、夜間に舟を堀に運び入れたのでしょうか?
確かに怪しい術を使う忍者であれば、可能かもしれませんが・・・
物理的には無理でしょう。
太田軍が近くまで進軍している事は、城主も察知していたと思います。であれば、城の防備を固めるのは当然の行動です。
堀や櫓などを作るのは、時間的に不可能ですが、夜襲に備えて「かがり火」や「松明」を使い、そして番兵も増やします。
ですので、城の周りはそれなりの明るさでしょう。
本田党は、夜間訓練を行っていたので、夜襲ができたと分析していましたが、この様な城の状態で暗闇を動けるのが忍者だと証明になるのでしょうか。
そして、いざ夜襲の開始。
柵をバレーのレシーブを使ったジャンプで越えて、曲輪の見張りを全滅。騒ぎを聞きつけた増援を、「まきびし」で足止めして「鉄砲」で攻撃。
あれ?「まきびし」は設置するものでは?
援軍が来るまでに、そんな悠長な時間があるのでしょうか。警戒中なら、よほどの呑気な見張りです。
筆者がとる戦術
ツッコミを入れまくっただけでは、単なるクレーマーになるので、筆者鳴りの戦術を紹介したいと思います。
番組では、本田党の動きから始め、曲輪を落とした後、太田本隊が突入。筆者は逆です。太田本隊が城門に攻撃。警備が薄くなったところで、本田一党が搦手を占拠。破壊活動を行い、混乱した城を落とす。本田一党の一部は、昼間から城の内部に忍び込んでいて、手引きしていた。
詳細なデータがないので、安易に結論は出せませんが、通常の出入りする門は複数存在していると思います。臨戦態勢になり、橋を壊すなり、どかすなりの対処はしていたと思います。しかし、内側から崩れれば脆いと思います。
また、橋もすべて片付けたとは思えません。完全包囲でなければ、逃げ口の準備や、援軍の受け入れなどもあるはずです。
そもそも忍者とは?
筆者の意見ですが、
「身体万能、忍具を使い分ける影の存在」
というのは、講談の「自来也(じらいや)」や「真田十勇士の猿飛佐助」などから生まれた物だと思っています。
「武経七書」の一つ「孫氏」。
そこには、9つの情報戦要員の使い方が書いてあります。
今でいう、スパイです。
日本に忍術をもたらしたと言われるのは、天才児「吉備真備」。大陸から多くの物を輸入しました。
そして戦国大名の多くも、武経七書を研究していました。
武田信玄の「風林火山」も同書からの引用です。
これが、情報戦としての忍者のイメージとなりました。
次は忍具を使った、超人戦闘員。
こちらは、山岳部に住んでいて足腰の強い者。その土地に明るい者。
よって、修験者なども超人的な忍者とみなしても良いでしょう。
各地の大名家に協力する郷士の中に、上記の忍者に該当する一党はあったでしょう。
「透波」「乱波」「伊賀」「甲賀」「軒猿」、そして北条に近しいと伝わる「風魔」。
そんな彼らの活動がフィクション化されて、現在のイメージである「忍者」が生まれたのだと思います。
忍者小噺
本能寺の変後、徳川家康を救ったと言われる服部半蔵。
彼の名は半蔵門として、江戸城を護る位置に残っております。
彼は出身地である伊賀の地形や情勢を把握。安全な道を選び、有力者を味方につけ、そして武の力で邪魔者を敗したと思います。それが成功したからこそ、家康の危機を救うことが出来ました。
時は遡り織田信長による、伊賀攻め。敗れた伊賀者は各地に散りました。そして家康によって召し抱えられ御庭番となっていきます。
しかし、サラリーマン武士と化してしまった者たちからは、技術の継承は難しかったのかもしれません。安泰ならば、不要な生き残り戦術ですから。
最後に
これは、監修にあたった学者が悪いのか、編集が悪いのか。
最近の歴史系情報番組は酷いのが多いです。
たまに視たりしますが、ツッコミの嵐です。
今回は特に酷かったので記事にしました。
NHKが作っているから、大学の教授が話しているから。
こんな安心感で歴史を観てはいないでしょうか?
懸念する事は2つ。
・間違った情報、ミスリードに引っかかる視聴者が出る事。
・番組に登場した学者の評判が落ちる事。
編集の切り取りなどで、違う解釈にされてしまう事もあるでしょう。
逆に、全てを語り、この自称歴史愛好家に指摘されるのは専門家としてどうか。
NHKは、多くの国民から高い受信料を徴収しています。
最低でも、もっとましな情報番組を作って貰いたいものです。
長文をお読みいただき、ありがとうございました。
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