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運男

①斎藤佑樹の引退がニュースになっているが、「こいつ運が良いなぁ」としか思わない。

『どういうこと?』

まず甲子園で「ハンカチ王子」になれていなければ、何年も前に戦力外通告されていたのは間違いない。
彼は野球選手としては敗北したが、容姿とハンカチのみで運男になったのだ。

そもそも、甲子園の決勝に出場できるかというのは、チームスポーツである野球においては運の要素が強い。

また、引退後の進路についても一般的な戦力外の選手とは全く異なるだろう。普通、戦力外で無名選手が引退した場合、その後の就職には苦労するが、それに関しても彼は知名度という圧倒的なアドバンテージがあるのだ。

このような運男はスポーツの世界以外にも数多く存在する。

②『ペン パイナップル アッポー ペン』のPPAP

たまたまジャスティンビーバーがSNSで取り上げたという理由だけで、100億円程度稼いだらしい。
なんの面白味もない一発歌ネタでそんな大金を稼ぐとは羨ましい限りである。

③日本には、『運も実力のうち』という言葉がある。
私はこの言葉が大嫌いだ。
運は運であり、努力や実力とかけ離れているものが多すぎる。

生まれた家柄、顔、身長、障害などの欠陥がないか。

これらは生まれながらの運であり、全て揃っていれば運男となる。

しかし大半の人間は運男ではない。

常に運男を羨ましがりながら生きるしかない。

④私はこの年になり、幸せに生きる上で必要なのは宗教だという結論に至った。
この世には不条理な出来事が多すぎる。
それをイチイチ真に受けていたらやってられない。

ということは、宗教を作った偉人達も、運男ではなかったのだろう。

選ばれた運男なら宗教なんていう哲学の究極を極める時間などあるわけがない。

運男は毎日遊んで、いい物食って、いい女を抱くのに忙しいのだから。

宗教で、
・いい行いをすれば天国に行ける
・いい行いをすれば輪廻から抜けられる
などは、いずれも死後の世界が中心であり、現実逃避である。

結局は限られた運男以外は、今世は諦め、しかし諦めたことから現実逃避し、寿命という暇つぶしをいかに楽しむかということなのだ。

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