ラ・トゥーレット_day21_ヨーロッパ建築旅行2018
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朝6時半、二段ベッドの下側のベッドで起床。二段ベッドだが上の段に人はいない。泊まっているのはホステルだが、ドミトリーの予約を入れるのが遅すぎ、もう個室しか空きがないと言われて、仕方なく個室を取ったのだが、個室でも二段ベッドだったのだ。個室な分もちろん一泊一万円というスイス物価な値段で、貧乏旅行者としてはかなりな痛手だった。
(ジュネーヴはホステル自体がほとんどなく、普通のホテルは一泊最低2万くらいするので気を付けた方が良い…。)
まだ夜が明けきらない中、今日の目的地であり、本旅行のなかでもひとつの大きな目的であったル・コルビュジエ設計のラ・トゥーレットの修道院へ向かう。
ラ・トゥーレットの修道院はフランスのリヨンの郊外にあるため、ジュネーヴからは電車で国境を越えて一旦、リヨンを経由する必要がある。
今回、旅程をあまりきちんと組んでいなかったので、フランスの東側にある、ラ・トゥーレットの修道院やロンシャンの礼拝堂をどうやって回るかが一つの大きなファクターであった。
一週間ほど前にマルセイユに行った際、イベリア半島を回るのに予想以上に時間を使ってしまった私は、イタリアを諦めてフランス内を北上して、ラ・トゥーレットの修道院を見て、スイスに入っていくという選択を取るか、かなり悩んだのだった。しかし、やはりローマは外せないということと、ミラノのOMAが見たいという思いが強かったので、後々日程がきついことは承知の上で13時間かかるローマ行きの夜行バスに乗り込んだのだった。
という訳で今回の旅では、スイスを回りながら、隣接するフランス、ドイツ、オーストリアに入っては戻るという作戦を取る。
正直、日本で準備をしているときは、そんなに簡単に国境を行き来できるのか不安だったが、電車はそれなりにあるし、駅員の人もこっちが粘り強く聞けばきちんと教えてくれる(あとはGoogle Mapがある)ので特段問題ない。
もうひとつ、ラ・トゥーレットの修道院を訪問するうえで注意したいのが通常、個人での訪問の場合、日曜日の14時半からのガイドツアーでしか中に入れないということだ。(詳しくは公式サイト)
本当のところ、可能であれば修道院に一泊したいと考えていたのだが、これは2週間前までにメールで予約する必要があった。ただ今回の旅で2週間先の予定を固定するのはあまりにリスキーだったため諦めていたのだが、諦めきれずイタリアを抜けるタイミングが固まったあたりでダメ元で宿泊のお願いのメールをしてみた。すると、もちろん宿泊は無理だったのだが、たまたまステンドグラスの展示会があるようで、平日だけど入れるよ、と教えてくれたのだった。なので行き当たりばったりの旅の場合は、行く前に電話かメールをしておいた方が安心だと思う。
と、そんなこんなを経て、最寄りの駅のラルブレル(L'Arbresle)に到着。最寄り駅といっても修道院は丘の上に建っているのでここからは徒歩でひたすら坂を登っていく。無心でどんどんと登っていくと、いつの間にか背後には冬の太陽に照らされたフランスの大地が広がっている。
20分程登ると、ようやく入り口のような看板が出てくるが、礼拝堂は全く見当たらない。そこからさらに10分程歩いていくと、ようやく礼拝堂の施設のような建物に出る。そこにいた人に敷地内の道を聞いて、古い建物の脇の道を抜けていくと、ついに丘の上に建つラ・トゥーレットの修道院が現れる。
見に来ることが叶って本当に良かったと思える建築だった。ルトロネに行った時にも似たようなことを考えたが、歴史から切り離されたとしても成り立つ強度を湛えていた。
そして、それと同時に、明らかに統合的な現れから遠ざかろうとする意識が通底していて、簡単に咀嚼できるものではなかった。
一般的に、後期のコルビュジエはフォルマリズムの色が強いという捉え方をされるが、それは良いとして、「フォルマリズム=恣意的な造形」という考えは成り立たない。なのでこれは自分に引き付けて再解釈しないといけないと思う。
既にコルビュジエの読み解きなどいくらでもあるが、ルトロネの時に書いたような建築のあり方は、再生する側の仕方によって全く違ったかたちで立ち上がるということが本質なのであり、あらゆる建築はそういった面を持っている。
取り合えずのメモになってしまうがラ・トゥーレットで引っかかったことを2点簡単にまとめておこうと思う。
まず、建物の柱梁のつくり方が面白いと思った。コルビュジエが打ち出した自由な平面という概念の延長として捉えることもできるが、柱と外皮の分離や梁の現れ方は、その表現としてだけで終わらせられるものではないように思えた。システマチックな構造という考えからは逸脱して、一見すると不規則であり、もうすこし別の回路から捉えなおすことができそうな気がしている。
また、斜面に建つことによって副産物的に生まれている中庭のような、ピロティのような場所は今まで体験したことのない空間だった。建築のなかでも素気なく扱われていて、そこは「ない場所」としてあるのではないか、とぼんやり思った。もしくは、細胞における細胞質のようなものを思い浮かべた。この場所は建築の各部分、エレメントが調停される場所であり、それは計画されないことによってその調停を行っていて、それゆえにこの建築にとってなくてはならない場所となっている。単に豊さでは捉えられないが、とても心惹かれる場所であった。
この日はジュネーヴに帰ることができる最終電車ぎりぎりまで、ラ・トゥーレットで過ごした。
明日からはジュネーヴを離れて、バーゼルに移動していく。
190505@東京
現実の方で働き始めたため、旅行記の更新頻度が大変に落ちていますが、悪しからず。いまようやく旅の半分くらいまで来たので、この後のことも気長に書く予定です。
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