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入院した息子を見舞いに行ったら大変なことが見えてきた@沖縄96回目

ゾウの足枷


こんにちは。
皆さんは「ゾウの足枷」の話を知っていますか?

小さな子どものゾウの足に杭で繋がれた鎖をつけると、ゾウが大きくなってからもそれを引きちぎろうとせず、従い続けるという話です。

もがいても外れなかった鎖から逃げられないことを学ぶため、大人になって杭を抜く力を持っていてもそれを試そうともしなくなる。

体も大きくなり、やってみれば外れるかもしれない。
やってみたい気持ちはあるけど、失敗したら嫌な気持ちになるし、恥ずかしい、どうせ自分には無理だ。
そこにあるのは心の鎖。
「無気力」「諦め」

今回の沖縄、元々普通に会う約束をしていたが、数日前に息子が入院したとの話を聞いて、向かったのは病院になった。
彼は今年、コロナにかかり、インフルにかかり、そして今回肺に穴が開く気胸という病気になった、手術したが術後の経過が思わしくないようだ。

いずれも免疫力が落ちていることが感染の原因な気がした。
となると、根本的なところを改善しないと、再発するんじゃないか、、、とか色々考えながら病院へ向かった。

部屋は個室だった。扉を開くと、そこにあった母と子の姿。

挨拶もなく不機嫌そうにスマホでゲームをしている息子。
困ったもんだと少し笑みを浮かべている母親。

聞くと
やりたいこともなく、ほしいものもなく、食べたいものもないそうだ。

そんな彼をみて、一日経って
このゾウの話を思い出した。

ただ、悲しかった。
ここまでになってしまった。危機感を持った。


病院からの景色

彼から感じる「諦め」「無気力」はどこからきてしまったのか

子どもは親の言っていることではなく、やっていることを見て育つと言う。
いくら「ほら、ちゃんとあいさつしなさい」と親が言っていても
その親が挨拶しなかったら、子どももそうなる。

親が自分の経験だけで、子どもの可能性に蓋をしないでください。
勝手にレールを敷かないでください。
そもそも違う人格を持った子どもはそのレールに乗って走ることがスムーズにできません。
乗り物が違うから。

親が、自分の限界にチャレンジせず諦めて生きてきた場合、子どもの無邪気な可能性に「良かれと思って」反論や無関心を示すのかもしれない。
自分の過去の経験に照らし合わせて子どもの限界も勝手に決めてしまう。
自分の劣等感コンプレックスを子どもに押し付ける。うまく人と関わって来れなかった親は、子どもが外に出てたくさんの人と関わって行こうとすると、ブロックをかける。

10月にあった時に母親と二人で話す機会があって、その時彼女に「彼(息子)に欠けているのは自分から他者と関わっていく力で、自分を表現していくことだと思っている」と伝えてみた。
すると「自分もそれを感じている」と返事があり、そういう環境を作ってあげないといけないねって話したのに、その一方でそういう開いた環境を作らないようにしているある意味矛盾した行動を感じた。

一般病棟から個室に移った理由もよく理解できないし、病室から外に出て売店や他の患者さんや病院の方々とコミュニケーションをとることで、他者と関わることができるのに、その反対の行動をとっている。
それはまさに母親自身が他者とうまく関わってこなかったコンプレックスを踏襲しているのではないか。

もしかしたらそれが愛情の形かもしれないけど、子どもは「どうせ言っても否定されるし」「本気で聞いてくれないから言っても無駄」て諦めて、不信感を持って、社会に対して希望を持てなくなって、大人になりたくなくて、そのことを考えないようにゲームに没頭する。

大切な、大切な、自分の息子。
一人の人間として立派な大人に成長してほしい。

そのためには、子どものうちに失敗して恥をかかせなきゃいけない。
大人になってから間違いや失敗をしないように育てるのが親の役目、だから子どものうちから、いろいろやらせてみずに、間違うことを取り上げてしまうと、子供は成長できなくなる。大人になってから失敗し、失敗したくないから楽な方に楽な方に逃げる。

子どもにチャレンジさせて、失敗させて、そこからこども自身が学び成長する。その繰り返し。


息子に書いた手紙

離れて10年。見えなかった母子の関係がもやが晴れるように見えてきた。
この10年でそんな環境ですっかり飼い慣らされ、気力を失ってしまった息子。独特のやり方で若さの可能性の蓋を閉じ、諦めさせる親。

実は今回、病院に行く前に近くのスタバに寄って、入院中の息子に急いで手紙を書いた。本能的に手紙を書いたほうがいいと思った。入院中なら嫌でも目を通すんじゃないか。。。という期待もあった。

手紙の内容は、要約すると、

自分のことをよく考えてみてほしい、過去の出来事と、その時の気持ち、なぜそうなったのか、、
自分を知ることで、表現ができるようになる、あまり表現をしなくなったね、でも本当の自分は心の奥の方で押さえ込まれて悲しんでいる、流れてないから、その澱みが滞って、体が弱くなって免疫が落ちていろんな病気として症状として出てきてるんじゃないか、

だから自己表現をすることが大切、でも言いにくいこともある、身近な人には特に。言えないことを相手のせいにして責めていても何も変わらないしんどいまま(あなたのお母さんと自分の関係もそうだった)、でも「あ、そもそも自分がちゃんと気持ちを伝えてない」
だから勇気を出して気持ちを伝える、そうすることで、心の奥が喜んで健康になれる、自分を大切に、

といった内容で、暗に母親に対してちゃんと言葉で自己表現するようになれば病気が治っていくから、ということを伝えた。


母親へのアプローチ

見舞いの後、LINEでやりとりした。
(父親が来て、息子の気持ちが少しは晴れたんじゃないか、彼が早く退院できるように引き続き励ましてあげてください)
とメッセージがきたが、少し違和感を感じた。

そこじゃない。そんな表面上の問題じゃなくて、もっと根本的なことな気がする。
そう、上で書いたゾウの鎖の話だ。

メッセージ返信した。
(こちらこそありがとう、彼がお母さんに甘えきっているのを歯がゆく感じました。彼がもっと色々主体的に考えられるように計らっていきたいと思います)

厄介なのが母親自身にその自覚(支配的な干渉)がないか、そのことが自身の劣等感からきていて、そのことを知られたくないと思っているから相当な抵抗が生まれること。
10年前の泥沼な関係は本当に思い出したくなく、でもまたそこを通るのか、、、そうしないと自分の成長がないのか。。。いや、何よりも息子のために、自分が嫌われてもいいから、動かないといけない。ぶつかって戦わないといけない。
親に先に変わってもらわないといけない。

・息子の世話に対する感謝
・見舞いに行って感じたこと(本音を言いあわない、母の過保護、息子の無気力)
・彼に失敗させて恥をかかせることが彼の成長に必要なこと
・親が子離れしないと子は親離れできない
・腹割って息子と本音でぶつかり合ってほしい
・親が腹割らないと子は腹割れない

わかんない、ガチンコでぶつかるしかない。
なんせ、2000キロ離れてるので、言葉のキャッチボールができにくい。ガッツリ一球一球ど直球でボールを投げないといけない。
これを言って、抵抗は当然あると思うが、現状をわかってほしい、納得はできなくても理解はできるだろう。
こうなれるまで10年かかった。言い方は超重要、一方的に言わず、感謝と尊重を交えながら、丁寧に。やはり手紙だ。

母と息子と、両方にアプローチしなければいけないけど、今回は母の比重が高い気がする。母が変われば息子は変わるだろう。

父ちゃん頑張ります、愛する息子のために。



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