自分を語るのは難しいことだ。
たぶん演劇に恋をしていた。
小学五年生ぐらいの記憶から紐解いてゆく。
こども劇場やおやこ劇場と呼ばれる、親子で見たいものを選び多数決で決めていく団体に加入していた。
そこでなぜかグループごとに出し物をすることになり、演劇が選ばれた。
異説『浦島太郎』
乙姫さまが実は悪いやつ(?)で浦島太郎の気を引くために何でも優しくして引き留めようする設定で、私は乙姫さまの役。
最初はセリフが多かったんだけど、稽古の度に削ってもらって(喧嘩して)最後の一つだけ残してもらいました。
舞台で光を浴びてる間はセリフを無くし、引っ込んでから「実はね」と愚痴る。
そういう役にしてもらいました。
たまたま同級生が見に来ていて、私のセリフがないから全然気づかなかったけど声でやっと気づいたすごかったよとわざわざ教えに来てくれました。
ま、その同級生とは色々あって褒め言葉を素直に受け取れなかったのもあるし、表現することには批判が必ずついてくるという認識もあるしで、この演劇の出来事そのものをモヤッと抱えたまま20年以上生活します。
中学校で入った文芸部はたまたま年に一度演劇をするという部活だったので小道具大道具にまわりました。
一度だけ本番で衣装トラブルが発生し、役者志望の先輩が何とか舞台へ飛び込んで間を持たせたのが印象的な思い出です。
高校には演劇部があり、友だちが演劇部に入ってましたが一度も観劇することなく終わりした。
大学で狂言を学べる講義がありましたが、それにも興味を持たず、受けることはありません。
演劇というもの全般の興味を失っていました。
中山美穂さんが最初の推しだったのでドラマは見ていましたが、ストーリーだけ追えればいいという感覚でした。
休学時にネットで知り合った恋人が前衛演劇好きで、どうしてもというので万有引力の舞台を2度ほど観劇しました。
本当に久しぶりでしたし、前衛だったので新鮮な感想しかありませんでした。
批判とか賛意なんかより、あの演出が良かった、あの台詞はこういう意味じゃないか、といった議論が楽しかった。
でも、やはり演劇そのものへは復讐心が強かったように思います。
自分が演劇に対して復讐しようと感じるのも恐怖でした。
演劇自体はキラキラ光る宝石箱なのですが、自分が見たり演じたり関わりたいという気持ちと逆にそうするのは良くないんじゃないか、一線を引いてもっと外側から眺めてるだけがいいんじゃないか、二律背反ですっかり怖じ気づいていました。
ちなみに学生時代、キャラクターを演じるシステムのTRPGをやったのですがセリフが湧いてくるのに全く発言できなくて困りました。
そのぐらい変な感情を抱いてたんですね。
ドラマも相棒や科捜研の女といったシリーズものを見るぐらいで、演劇を忌避していた私ですが、未解決の女にドハマリしてからモヤモヤが解消したように感じています。
役者さんみんな演技が良かったし、演出も良かったし、ホンも良かった。
原作も原作で、また良い出会いがあった。
未解決の女ファンのオフ会に参加して、一緒にDVD見た。
100パーセント賞賛でも良いんだ。
褒め言葉しか聞こえなくても良いんだ。
むしろ何かしらのアクションが届いたことはスゴいことなんだ。
積年の思いが氷解していくようです。
当時は気づかなかったのですが、多くのセリフを削ることは演出そのものの変更とそれに劇の方向性を変えることでもあったのですね。
しかも一人の役だけセリフを無くすという(笑)
それだけ台本を読み込んで、どこが物語のオチや本質か見抜いていたのだと思います。
案の定、セリフを言った後は笑いの渦が観客から起きてましたから。
大人と喧嘩してセリフを削ってもらう。
何が自分をそこまで駆りたてたのか。
物語のしなやかさと強さを知っていたから。
幼い頃から毎晩絵本の読み聞かせをしてもらったり、読書に熱中して睡眠を忘れたりしていた自分にとって物語を創り出すことは大きな出来事です。
たぶん演劇に恋をした。
恋に恋して幻滅して、勝手に失恋した。
かなぁと今は思っています。
変じゃなくて恋だった!
セリフのある歌はすごく好きだし、何と言っても本人たちの解釈とは別で演じてもカラオケでは一切怒られません。
セリフ部分がカラオケでは表示されない歌も覚えて歌うのめちゃくちゃ好きですし!
好きは止められないんですかね。
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