40代で起業した自分がスタートアップを創業して1年経って思うこと。
就職超氷河期の平成10年に入社し転職もせずに24年間勤めた会社を退職。その後2022年7月7日に創業した会社が今日7月7日で1周年を迎え、ひと区切りがついたので前職の退職から今までを振り返ってみる。
サラリーマンを辞めた話
そもそもなぜ辞めたのか。
ちゃんとどこにも書いてなかったのでいい機会なので書いてみる。
ちなみに控えめにいっても辞めた会社は”超”いい会社だったので、気が触れたのか?と親戚一同・友人含めて大反対をくらった。
辞めた当時のポジションでは、かなり先進的なことを自由にやらせてもらっていたので「何が不満なんだ」と諸先輩方から何度も呼び出しをいただいたた。「新規事業の立ち上げ部署なんだから、そこで立ち上げればいいだろう」
たしかにおっしゃる通りで、ここでチャレンジしないのもなんだかルール違反な気もした。しかしながら当時から「新規事業には2つあるよなぁ」と思っていて、大企業ではやりにくい、最初は誰も儲からんと思うような新たな価値づくりの新規事業を、どうしてもやらねばという気持ちになってしまったので、会社の外にでてやる選択肢をとった。
年齢的にも40代がラストチャンスと感じていた。前職で0からサービス開発をして100億円事業にグロースさせた経験から、もう一回情熱を注いで死に物狂いで新しいサービスを立ち上げられるのは、あと数年が限度かなとも感じていた。
それともう一つ、仮に定年まで働いたしても僕の性格上、絶対にその後に何かを立ち上げたくなろうだろうな、と確信していた。だとしたら、10数年後に新たなゲームの仕組みを覚えることになるのなら、その時期を早めて、今ルールを知ったほうがいいプレーヤーになれそうだなと思った。
話をもとに戻すと、その馬鹿みたいなビジョンの実現に向かう新規事業の話を少ししてみる。
ビジョンの話
当社は社名から組織形態、事業範囲までMVV(ビジョン・ミッション・バリュー)に割と忠実なソーシャルベンチャーである。
ど真ん中に置いたミッションが「半径100mのひととひとをつなぐ」とぶち上げているので、全方位から「失礼かもしれませんが、一体どうやっても儲けるんですか?!」と容赦ないツッコミをいただく。
当たり前だ。新規事業を10年経験した僕だって、この事業計画を聞いたら「はっ?」となっただろう。ある方は、「引力に逆らった事業をしようとしているね」とお褒めの言葉いただいた。
ただ1年たって「バリバリ単月黒字が見えてきちゃいましたよ!」とはさすがに大ボラはふけないながらも、このビジョンで事業を展開する道筋は見えてきた。
この1年のプロジェクト(未発表含む)
・グロースを念頭においた自社新規事業が2件
街中に共同型書斎を展開、つながりを生むシェアビレッジ構想
・ビジョン達成のために我々の武器を生かして運営に携わらせていただいてている案件が2件
+NARU_NIHONBASHI(発表済)、トリオ左近山(発表済)
・行政サイドの課題にこのビジョンで切り込んだソーシャル系案件が2件
長野県某市某地区におけるグランドデザイン提案業務、熊本県某市における繋がりを産み出すワーケーション事業
・全ての事業のもとになりそうなソフトウェア(アプリ)開発とその導入現場が3件
某上場企業人事部様との社内のつながりをうむプロジェクト他
・ビジョンに共鳴いただいた事業会社さんからいただいたコンサル的案件が3件
某都市開発企業のオフィス案件、某老舗企業のリブランディング案件、某大手SIer企業のまちづくり系アプリ構想
といった具合に、半径100mの人と人をつなぐというビジョンがビジネスにしっかりと繋がってきいる手応えを感じている
もうすこし正確に補足するならば、今あるさまざまなプロダクトやサービスに「人と人のつながり」をあらたな付加価値としスパイスを加えれば、売り上げのアップやコストダウンという経済価値が生み出せることが確信に変わってきた。
ユーザー同士が繋がっているサービスは、繋がっていない同種のサービスよりも間違いなく価値が高いはずである。
・ワーカー同士が思いっきり繋がるビル
・住民同士が他に比べて圧倒的に繋がる住宅
・部署部門を超えて公務員が繋がっていることで柔軟な市民サービスが提供できる行政組織
ちなみに今世界を席巻しているゲームはほぼユーザー同士のつながりが価値になっている。当たり前すぎて誰もわざわざ言わないが、対戦できたり、協力したり、情報を交換したり、ユーザー同士のつながりの無いゲームは無味乾燥になりつつある。
と、だんだんビジョンばっかり熱く語る投稿になってきてしまったので、せっかくの振り返りの機会ということで1年を経た新米起業家の気付きも少し残しておく。
新米起業家の気づき
もしも今から起業を考えているサラリーマンになにかしら1年苦闘した僕から言葉を送るとしたら、以下の4つ。
言い古されていることばかりだけど、「やっぱりそうだったんだ」という先人のアドバイスを踏襲するしかないのでこう書かざるを得ない。
1:事業はほぼ100%ピボットする
2:人間の一番の恐怖は減りゆく残高
3:全て、全部が自分の責任
4:仮説検証が全て、データを軽んじない
少し詳しく書いていきます
1:事業はほぼ100%ピボットする
どんな新規事業の本を読んでも、どんな人の講演を聞いてもでてくるのに、何故か組織が対応できないこの問題。別にどうせピボットするから細かいことはいい、という議論ではなくって、どうせピボットするからピボット先を死ぬほど考えて手をつけられるならばちょっとで触っておいたり勉強しておくことが重要。
2:人間の一番の恐怖は減りゆく残高
「減りゆく残高」というのは人類共通の恐怖なのだそうだ。減ったり増えたりではなく、じわじわどんどん減っていく。これに打ち勝てる人は、高杉晋作と野口英世先生ぐらいだと思うが、とにかく企業の恐怖はこれである。雇われ時代にいくら仮想で数値管理をしても、「自分の財布から出すとしたらその金額だせるのか?真剣に考えてみろ」といくらハッパをかけられても現実感のなかった話。ちなみに、この恐怖に打ち勝つ手は、「打てる策を毎日考え続ける」しかない。見なかったこと・・という安直な回避策が効かないのがやっかいだけどメンタルは鍛えられる。
3:全部、自分の責任
こいつは割と前職で鍛えられた感覚だったので僕的には割と対処がしやすいものだった。事業プロデューサーたるもの、相手の会社のせいでプロジェクトが遅延したら、責められるのは自分。部下が会議を飛ばそうが、発注先が事故で入院しようがなんだろうが、プロジェクトにまつわるすべての責任は自分!みたいなことを口すっぱく言われて育てられたのでまぁまぁなんとかなっている。起業をすると予想しないさまざまな問題が降りかかる
「まじかよ勘弁してよ、これ俺の責任じゃないのに」なんて言葉はスタート地点において来ないといけない。アメリカの連続起業家が言っていた。「足に絡みつく小さな怪獣と仲良くなれない奴は起業家になれない」はい、これが真理かと。
4:仮説検証が全て、データを軽んじない
だいぶ当たり前すぎてもういいかなと思うほど当たり前の話。チャレンジしたら必ず検証してデータで振り返る。ちょっと頑張ったらデータに直せるものを面倒くさがってデータにしないのは犯罪くらいの気持ちで臨む。
例えばお客さんからの最初の反応から無料体験▶︎契約までの日数とか、感覚では毎日ふれているので、わかりきっていても起算日から何日たっているのいか?を自分で指をって数えてデータにして書いてみる。CSVの数字だけがデータじゃない。一桁の母数でも馬鹿にせずに%に割ってみる。全てはデータという相互比較できる数字に一度落としてみる。これもさんざっぱら新規事業の先輩方がいいまくっていたことだけど、なかなか体得できないものだったりする。
というわけで、1周年の今日、現場で汗かいているみんなに心の中でごめんを言いながら、カフェベローチェでマックブック広げて思いつくままに書き殴った。これも次の1年に繋がる何かになりますように。
引き続きどうぞよろしくおねがいします!
「つながりたくない人なんて、本当はいない。」
僕はこの言葉を信じているんですよね。