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足跡を辿る①

「そーいやお前が前住んでた家、なくなって今新しい家建ってるわ」
私の髪を乾かしながら、彼はさらりと言った。
幼馴染の美容師の彼である。
彼の家の斜向かいに住んでいたのはもう13年も前のことだ。
1歳から22歳で家を出るまで、21年間過ごした家がなくなったと聞いても、私はそれほど寂しいとは思わなかった。


22歳になる年の春、私は自衛官になるために家を出た。
母は最後まで反対していたが、私はどうしても家を出たかった。

気が付けば12歳くらいから、両親は不仲だった。
父はお金に関してだらしない人間で、転職とギャンブルによる借金を繰り返していた。
さっさと別れればよかったものを、ダメンズメーカーの母は何かと理由をつけてはずるずると離婚を先延ばしにした。
母の愚痴は、長女である私に浴びせられる。
進学校に通う私にアルバイトは許されず、「ふつうのくらし」ができている友達が羨ましかった。
弟たちは職業系の高校を選び、バイトに明け暮れ学費を稼いだ。
某国立大の合格通知が届いても、奨学金のことを考えると気が重く、授業料割引のあった公立短大を選んだ。
国立大の入学金振込締切日、なぜ振り込まなかったのかと父が母を親戚の前でなじったことを、私は今でも許せないでいる。

短大卒業後は地元で就職した。
就活中、自衛官になりたいと既に心は決まっていたが、私が家を出ることを許す人間は誰一人として周りにいなかった。
ある日、ここにいては何も変わらないと不安に襲われた私は、職場にも実家にも内緒で試験を受け、既成事実を作って家を出た。
自衛隊にいる間に結婚し、娘も産まれた。
娘が1歳を過ぎた時、ようやく両親が離婚したと知った。

もうとっくに社会人になっていた弟たちと母は転居し、父だけが元の家に残った。
数年間はそこに住んでいたらしいが、土地を売ったのだろう。父の姿と同時に家も消えた。
美容師の彼から聞くまで、私は何も知らなかった。
父とは既に10年以上音信不通だ。
もはや私の中では死んだことになっている。
土地を売ったお金を、せめて弟たちに残そうなどという考えは塵ほどもなかったのであろう。
どうせ既にギャンブルで食い潰しているのだろうな、と虚しい想像だけが頭を過る。

「いっぺん見に行ってみたら?あの辺ずっと行っとらんやろ?」
彼の言葉に、何と返してよいのかわからず言葉に詰まる。
「◯◯のおっちゃんとおばちゃんも元気してるよ。会いに行ったら?」
◯◯のおっちゃんとおばちゃんは、当時の自宅近くに住んでいた父方の親戚だ。
とても可愛がってもらったが、両親の離婚以来なんとなく気まずく足が遠のいていた。
「あの二人も、元気してるとはいえ随分じいちゃんばあちゃんになっちゃってんだよ。びっくりするよ。」

恐らく、彼の後押しがなければ私はおっちゃんおばちゃんにも会いに行かなかっただろう。
休日に娘と外食した帰り、ふと彼の言葉を思い出した。
「ごめん、ちょっとドライブ付き合って」
私は車を家とは逆方向に走らせた。

長いので続く。

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