ミッドサマー 2024/6/21視聴(3回目)
私が一番好きな映画です。
夏至の日(6/21付近)にリバイバル上映されるのを毎年の楽しみにしていて、リバイバル上映は2回目の視聴でした(1回目はアマプラで)。
リバイバル上映を楽しみにするために、アマプラとかでは観れても観ないように1年を過ごしています(夏至の日をより特別な日にするために、わざとお腹を空かせているわけです!)。
レビューの酷評で「こんな村有り得ない」「リアリティに欠ける」ってよくみかけて悲しくなりますが、私的解釈、この映画は
「小さな村の文化がやばい宗教すぎる!」って映画じゃないなと思っています😌
誰がどう見てもやばいんだけど、それにどっぷり浸かってしまう主人公(ダニー)が可哀想ってはなしだと、私は思います。
(あとはうざいひとたちが滑稽な死に方をしてくれて助かる映画でもある)
私事を挟んで申し訳ないですが、過去に今思うと怖くなるくらいに病んだ時期がありました。その経験から言わせてもらうと、
自分が不安になったり鬱を抱えているときに1番恐れることは、頼りたい人や大切な人に鬱陶しいと思われることです。
本作では、まさに彼氏がその状態(ダニーを鬱陶しがっている)になってる、
それにダニーは気づいていながら、彼氏のそんな状態に指摘したくても、彼氏が離れてしまうのが怖くて出来ない。
そこに、「共感」してくれるあの村の存在がダニーの求めてるものに当てはまり、ダニーが救われてしまうのが恐ろしく、悲しい
という映画だと思っています。
あの村の宗教のコンセプトはおそらく「共感」で、嬉しいことの共有より、苦しいことか悲しいこと、みたいなマイナス感情を共有し合ってる描写が目立つ。マイナス感情の共有で成り立つ絆ってタチが悪い…
離れられない深い絆が誕生してしまう気がする…
ダニーがほんとうに求めてるものは彼氏からの本当の愛情とか寄り添いなのに、その穴を埋めるようにあの村が存在する瞬間がたまらなく苦しい(こういうシーンで私は毎回泣いちゃう)。。
ダニーの性格の、個人的解釈ですが、
人と衝突するのが嫌すぎて自分の感情を殺してしまうタイプのキャラクターだとおもってて
それがわかるシーンとして
彼氏がスウェーデンに行くことを隠してたのも「怒りたいんじゃなくて話がしたいだけなの」って言ったり、
彼氏が誕生日を忘れてたことも「私が念を押さなかったせいなの、彼は悪くない」とか言ったりするシーンがある。
それに対して彼氏は自分がカスであるのを分かりながらそれを認められず、嘘をついて隠したりするし謝れないタイプなので相性がすこぶる悪い🥲ダニーが立場が弱いばっかりに、1人だけ我慢をする。
他の方の考察はいくつか読ませていただいたのですが、1番好きな考察があります(下記添付、さとこ・ゴリラ様の考察です)。
「9日間の祭りのはずだが、この映画では5日しか経ってない!」というもので、今回確かめてみたのですが
数えたら3日かも?と思ったのですが(本編に集中しすぎて数え間違えたかも)、少なくとも9日は経ってないです。更に、「大祭は90年に1度だけど、祭り自体は毎年行われてる(女王の数とかから考えると辻褄が合う)と考え、去年の女王がいないのはおかしい(去年の女王が村にいるなら紹介されるはず)。
すると、どこかのタイミング(あるとすれば最終日の9日目)で女王は死ぬ??と考えるとゾクゾクしました…
前回から気になっている点で、
終盤、生贄としてホルガ村からでる2人(既に木のかたちにされてる2人)が誰なのか、今回の視聴でも分からなかった…🤔分かる必要がないのか、なにか見落としているのか、、
この映画の好きなところはたくさんあるけど、泣く様がぐちゃぐちゃなところ(綺麗に泣かない)が、すきです。
自分が泣きたくて泣いてる時こんなかんじだな〜って思います、、
本当に辛い時って、綺麗に泣いてる暇なんかないよね、、
この映画に対する思いは、自分の境遇とか経験を余りにもダニーと重ねすぎな懸念はありますが、
自分にとってはとても大切な作品なので、これからも一年に一回のリバイバル上映は頼むから続けてくれ…!とという気持ちで、それが無くなったら円盤を買おう!と思っています☺️
好きな考察↓↓↓
2024/6/21記載、10/29転記と修正等