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インド・ブッダガヤ

インドは不思議な国です。訪れた人の好き嫌いが、端的に現れるのです。コルカタやヴァラナシなど大都市は一様に暑さとほこり、混雑がひどく、そのうえ裸足で「パイサ!、パイサ!」と物乞いする母子、子供達など、あまりの貧富の格差を目の当たりにしてインドに拒否反応を示す人も多い。

ヒンドウー教のカーストは身分制であると同時に、職業を規定し、その世襲を支える社会システムのようです。その職業が極めて細かく分かれています。大きなホテルの客室担当従業員をみると、床、トイレ/水場の掃除係、ベッドを整える係、洗濯物を受け付ける係、飲み物や食べ物を運ぶ係などにこと細かく職掌が分かれていて、担当以外の人に頼んでも全く受け入れてもらえませんでした。

わたしが初めてインドを訪れたとき(1971年)のことです。カルカッタ(コルカタ)の博物館の裏通りで、下水と汚物が一緒に流れる通りで寝食する人々の暮らす貧民街のホテルに泊まりました。ある日近くの市場に出かけたところ、いつもホテル門前に座って物乞いをしていためくらでいざりの男性が歩いてきて、「やあ」と悪びれることなく、片手を挙げて声をかけてきたときには本当にびっくりしました。乞食まで職業化していて、丁度休日に市場に出かけたら、顔見知りに出会ったので挨拶したという感じでした。

カルカッタの人と熱気、エネルギーの充満した独特のカオスにわたしも耐えられず、古都パトナを経由してネパール・カトマンズに逃げ出しました。このときカルカッタの町はコレラが蔓延し、多数の住民が路上で亡くなっていたことを、のちに家族からの手紙で知りました。

けれども、カトマンズからインド・ベナレス(ヴァラナシ)に戻り、ガヤに出て、牛に引かれた荷車に乗ったブッダガヤの道中で、水田の広がるのどかな田園風景に触れたとき、なんだかこころが休まるのを感じました。ブッダガヤはカーストを否定した釈尊が悟りを開いた仏教の聖地です。アジア各国の寺院が建てられていて、わたしは日本寺にお世話になり、10日間ほど投宿しました。

朝4時に起床、寺院の建屋内外の作務と坐禅に始まり、朝食後に再び、読経と坐禅、午後は午睡、夕方食事のあと、読経、法話と坐禅という風な勤行生活でした。とくに、朝は大塔の周りを歩き、菩提樹下の金剛宝座の前に座り、終わると近くの茶店でミルクティをいただくという贅沢な時間を過ごしました。とにかく、朝から晩まで座っていた記憶が残っています。

ブッダガヤでの修禅生活のおかげで、なにより「(日本)時間」の観念に囚われれることが無くなりました。「理不尽」にもやや鈍感になったのか、これに振り回されることがなくなりました。「時間」や「規則」などの日本社会の規範もまた相対的なものであることを学び、実感しました。インド時間に適応し、運行が遅れて列車の接続が間に合わず、駅で数時間待つことになったり、夜を過ごすことになっても、動じずにこころ穏やかに受け入れることができるようになったことは、貴重な体験でした。そのほかにわたしのなかの何が変化したのかよくわかりませんが、以後のインドの旅は楽しいものとなりました。

わたしは旅が好きで、若い頃からいろんな場所に出かけ、見聞きしました。そうした経験も結局はある場所で、ある限られた時間を過ごした旅人の一過性のものに過ぎません。訪れた土地や人々を包括的に理解できるものではもちろんありません。けれども、このような見聞や経験を通じて、自分や故郷を外側から比較・相対化し、俯瞰的な視点から物事を観て、理解できるようになった気がします。

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